明治学院大学 文学部芸術学科 芸術メディア系列のゼミです。
週に3回のペースで活動内容などを報告していきます!
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「東京」イメージから迫った、自分のテーマ/ゼミについて考え続ける
 こんにちは。今回のブログは、〈かわしま〉が担当します。
 本日、長谷川ゼミHPは最後の更新を行います。ページタイトルは、「12年度長谷川ゼミの軌跡」です。内容は、1年間の振り返りレポートと私たちの卒論目次案のまとめです。卒論を執筆し終えてから、私たちは1年間の取り組みを振り返ったレポートを書きました。ゼミ生それぞれが、ゼミから何を学んだかが分かるレポートになりました。ぜひ、ご一読ください。
 さて、今回は私の12月以降の論文への取り組みについて書こうと思います。また、論文を書き終えて3ヶ月が経とうとしている今、自身のテーマやゼミについて考えていることをまとめます。

 私の卒論タイトルは「雑誌『東京人』に見る「東京」イメージの変遷」です。東京を主題とした月刊誌『東京人』の創刊から現在までの26年分を読み、雑誌が東京という都市をどのように扱っているかを追ってその変遷を論じました。この取り組みについては、以下の記事にもまとめてあります。

 「東京」に挑む!―『東京人』に見るイメージとしての「東京」(2012.11.12更新)
 第5回発表〜3日目〜 初心に戻って着実に(2012.12.07更新)

 12月以降は、論文の肝となる『東京人』を読み解く章の執筆を中心に進めていきました。ゼミ内提出日であった12月24日に一度論文を完成させることをめざし、『東京人』を引用しながら「東京」イメージの変遷の執筆を続けました。ゼミ内提出日には、目次案の全項目を書ききることが出来ましたが、十分な考察が出来ていないという実感が残りました。
 年末年始はや註のチェックや付録の作成などと共に、本文の添削に明け暮れました。添削を行うにあたって、本文を全て紙に出力するよう心掛けました。パソコンの画面上では小手先になりがちな修正も、出力して紙を並べることにより章や節のレベルで見直して修正することが出来ます。これまでに書いたものへの愛着のような思いを一度捨て、他人の論文を直すような気持ちで添削に取り組みました。
 そのようにして読み直しを進めていくと、いかに自分が『東京人』が提示する「東京」イメージを真に受けているかが分かりショックを受けました。『東京人』は、創刊の1986年から2001年まで東京都の外郭団体が発行していたことから、東京という都市の「面白さ」を伝えることが目的であったと言えます。『東京人』が示す「面白い東京」に私自身が縛り付けられ、東京が「面白い」ことを自明のことのように感じてしまったり、雑誌の中に東京が「面白い」都市である理由を探してしまったりしている記述が多く見られました。そのような見方では、『東京人』の内容を論文上に再構成するだけになり、十分な考察に繋がらないことは明らかでした。気を付けながら執筆していたにも関わらず、イメージを現実として認識してしまう見方に、何度も陥ってしまっていました。
 そのような時には文献を参照しながら思考の軌道修正を図り、書き直しをしました。また、論文全体を見渡して、章の役割や関係を考えることによって、章ごとに論じることと結論付けるべきことが明らかになっていきました。この時期に行った、読み返し・気付き・書き直すことと、論文全体を見渡して考えることの2つによって、私の論文は本提出時の形になっていきました。読み返す度に、自分の視野の狭さに直面するのは辛いことでしたが、そのような自身を自覚して修正を施し、日々論文を新たな姿にしていけることは、とても楽しいことでもありました。
 口頭試問では、良い評価を頂くことが出来ました。私が最も心配だったのは、『東京人』の「東京」イメージにとらわれず題材を読み解けているかどうかでしたが、その点についても評価して頂くことが出来ました。また、『東京人』という題材を用いて、「自分のテーマ」に近づけたことが良かったと言って頂けました。卒論執筆の過程を思い返すと、私は特に「自分のテーマ」を設定することに苦労しました。そのため、長谷川先生からのこのコメントは、私にとって大変嬉しいものでした。

 テーマ決定までを振り返ると、私は昨年の4月発表の頃より、ものの仕方や見方に関心があるということを話していたように思います。ですが、ものの「仕方」「見方」自体は、特定の題材に依るものではありません。当時は、日々のふるまいの中に感じるひび割れのような違和感を、どうしたら論文に出来るか分からずもどかしく感じていました。また、「東京の街歩き」「演劇」「合唱」などの体験が私の関心を成していることは確かでしたが、それらがどのように絡まった状態で私の中にあるのかを発表で伝えることも大変困難なことでした。
 結局、私の卒論の題材や「東京」イメージを捉えるという取り組みは、秋学期に入ってから長谷川先生の後押しによって決定しました。自分自身の力で、題材や取り組みを決定することが出来なかったと悔しく思いましたが、その頃は10月も半ばに迫っており、落ち込んでいる暇はありませんでした。すぐに『東京人』を読み、題材を活かしてどのような論文が書けるかを考える必要がありました。実際に『東京人』を読み進めると、気が付いたことがたくさんありました。そのうち、以下のことは、実際に論文の核となりました。それは、『東京人』が扱う「東京」は、90年代半ば頃を境に「カタログ化」していくということです。
 創刊当時の『東京人』には、東京という都市を、その「歴史」や「国際性」などと結び付けて物語る仕方が多く見られました。しかし、『東京人』を読み進めると、東京という都市は時間や空間という文脈から切り離されて、カタログのように紙面に羅列されるようになります。例えば、『東京人』にとって建築は、80年代は東京の「国際性」を発揮する存在として語られていましたが、90年代以降から近年では、都内近郊の建築を観光スポットとして紹介する特集などに、写真をメインとして紹介されるのみとなります。その状態は、『東京人』において東京という都市が個々の文脈から切り離され、意味を見出されなくなっている状態と言えます。
 では、この「カタログ化」をどのように理解すれば良いのでしょうか。私はこの雑誌の「カタログ化」を、北田暁大氏の『広告都市・東京』を用いて、私たちの認識の「カタログ化」であるとしました。北田氏の〈つながりの社会性〉概念(*1)では、ケータイ以降のコミュニケーションは、伝達の意味内容はどうあれ、外部と接続されていること自体がその関係性を可能にしているとされます。そのような私たちの「現実」において、都市空間とはいつまでも「接続されていること」を目指すための、素材でしかないのです。素材には、東京の歴史性や物語性は不要です。そのような意味は、「つながり」を優先させる私たちの「現実」によって断片化されてしまいます。このように都市に意味を求めない「現実」と、『東京人』の脱・意味化――「カタログ化」は対応するものであるとして、私は自分の論文をしめました。
 このようなことを、『東京人』や文献を用いて述べることが出来たのは、私にとって重要なことでした。私の卒論での取り組みや題材の後押しをして下さったのは長谷川先生でしたが、以降は時にアドバイスを受けながら、自身の力で『東京人』という題材を活かし、「自分のテーマ」を自覚することが出来たと言えるのではと思います。そして、そのことは私にとってとても大きな収穫でした。
 私はこの論文の執筆を通して、いかに私たちのものの見方が様々なものによって枠付けされているかということを実感しました。そして、私たちの「現実」を作っているものたちを捉え直し、広く認識していくきたいと思いました。そうすることで、もっと様々な視点から世の中の物事を捉えたり、結びつけたりして考えられるようになると思うからです。それが私の関心であり、取り組みたいテーマであると、論文を書き終えた今はっきりと自覚することが出来ます。この論文を出発点として、もっと広く物事を考えていけるよう、今後も勉強を続けていこうと思います。

 私は、「自分のテーマ」に気付かせてくれたゼミという環境に、とても感謝しています。1年間を通して、物事の取り組み方や自分の考え方の癖など1人では自覚できないことを、ゼミ生たちや先生との議論を通してたくさん教わりました。そして、再びこのような環境で勉強が出来たらどれだけ良いだろうという気持ちもあります。ですが、その気持ちと共に、今はゼミを離れなければいけないという思いもあります。1年間過ごしてきたゼミという慣れ親しんだ環境を、距離をとって見つめ直したいと考えるようになったからです。
 1年前の春、私たちは様々なプロジェクトのために、ゼミ生同士で頻繁に話し合いをしていました。初めの頃は、話し合いで物事ひとつ決めるのも時間がかかり、どのようにゼミ活動を進めていけば良いのかいつも手探りでした。何事も思うようにはいかないゼミという環境は、まだまだ円滑に回っているとは言えませんでした。ですが、ホームページの作成や、文献講読、フィールドワークなど様々な課題を通して、夏頃にはゼミとしての物事の取り組み方を掴み、様々な取り組みが円滑に進むようになりました。
 そうして面白さを増してきたゼミ活動に没頭する一方、長谷川ゼミや芸術学科を知らない人にゼミ活動や論文の話をしても、なかなか思うように説明できず、理解されないこともしばしばありました。それは私の口下手にも由来することでもありますが、毎日必死に取り組んでいるゼミ活動を、単に「卒業のため」「単位のため」などと誤解されることもあり、それは悲しいことでもありました。同時に、ゼミ生はこのもどかしさをとてもよく分かってくれました。ゼミ生以外の人にゼミ活動について上手く伝えられないことをもどかしく思う一方で、こんなにも通じ合うことが出来るゼミ生の存在も不思議なものだと思いました。
 ゼミが円滑にまわり、ゼミ生たちと議論をしたり素直に思いを交わし合ったりすることが出来るのは、ゼミにとっては良いことでした。しかし、上記したような経験から、私は自分たちがいかにゼミという環境を作ってきたかについて興味を持つようになりました。そして、そのことについて一度ゼミを離れて考えてみたいと思うようになりました。
 私はゼミ長という役割もあったことから、この1年間 毎日ゼミ活動の充実を考えて過ごしていたように思います。ですが、卒業したからと言ってゼミのことを考えなくなるわけではありません。これからも、この日々から学んだことをいつも思い返し、自分自身の指標として過ごしていくことでしょう。そして、ゼミで大事なことをたくさん学んだと思えるからこそ、1年間自分が身を置いたこの環境を見つめ直したいです。この1年間がいかに成されたものだったか、また、自分がこの環境においてどのような役割を果たしていたかを考えていきたいです。ゼミから離れても、自分の関心について考えていくこと、また、ゼミという環境そのものについて距離を取って考えることを、それぞれ続けていこうと考えます。

 12年度のゼミブログの更新は今回で最後です。ゼミ活動の一環としてのブログ更新は、卒論を自身の力で書きあげるための訓練でもあり、自身の考えを言葉にして整理する絶好の機会でもありました。このブログ更新をそのような機会として捉え、充実したものにしようという意欲を持てたのは、このブログを読んでくださっている読者の方がいたからこそです。1年間、12年度長谷川ゼミにお付き合いくださった皆さんに感謝申し上げます。
 4月からは、13年度ゼミ生によるブログ更新が始まります。今後とも、長谷川ゼミの活動を見守っていただけたら幸いです。それでは!

〈かわしま〉


*1 北田暁大『広告都市・東京――その誕生と死』(ちくま学芸文庫、2011年、138頁。)

posted by 長谷川ゼミ | 16:05 | 長谷川ゼミ報告(2012) | - | - |
卒論を提出してから
 

 みなさんこんにちは。本日のブログは<えみし>が担当いたします。ずいぶん久しぶりのブログ担当のような気がします。いつの間にか卒業論文を提出してから2ヶ月以上が経ちました。

 前回のブログまで、卒業旅行についての記事が全3回続きました。今回のブログでは、私が卒業論文を提出してからどのようなことを考えてきたのか、また、4月から始まる仕事について考えていることを書きたいと思います。

 

 私の卒業論文のテーマは『個人商店のエスノグラフィー―家族・地域・ネットワーク―』でした。家族経営の個人商店であるおでん屋に約1ヶ月間のフィールドワークを行い、地域というネットワークのなかにある、家族というネットワークが個人商店を媒介にしてどのように成り立っているのかということを明らかにしようとしました。詳しい執筆までの経緯は、過去のブログをご覧ください。

「夏ゼミリフレクション座談会と卒論へ向けて」

http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20121022

「ゼミ内提出まであと9日!」

http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20121215

 

 私はこの卒論で、家族というものを集団としてではなく、ネットワークとしてとらえようとしました。そのために、『商人家族のエスノグラフィー―零細小売商における顧客関係と家族従業―』(坂田博美、関西学院大学出版会、2006年)において、坂田博美が提示した「地域密着型小売店の多重ネットワーク構造」(227頁)という理論を土台とし、考察を進めていこうとしました。しかし、坂田が提示したものは「従業員」や「配偶者」などの社会的立場をそのままネットワークとして言い換えているものに過ぎず、考察の土台とするには適さないことがわかりました。そこで、私はこれを解体することを目指しました。

 

 私は人と人との関係を、坂田の理論のように社会的立場ごとに考えるのではなく、日々のやりとりやふるまいから成り立っていくものとしてとらえようとしました。私がおでん屋でフィールドワークを行った理由は、家族経営の個人商店に実際に入り、そこで日々どのようなふるまいややりとりから家族というものが成り立っているのかを見るためでした。そして、実際の記録をルポルタージュ形式で書きました。その記録をもとに、おでん屋での日々のやりとりやふるまいからどのように家族という関係が浮かび上がり、また、浮かび上がらないのかということを考察しようとしました。しかし、私のルポルタージュからは、そのようなことは読みとりにくく、何か重要な視点が抜け落ちているのではないかと感じました。そのときは、それが何なのかはっきりとはわからなかったために、どのように考察すればいいのかわからなくなり、かなりの時間を費やすこととなってしまいました。

 

 口頭試問では、フィールドワークの記録としてのルポルタージュにおいて、私がおでん屋にフィールドワークを行ったことによって、おでん屋にいる人々や調査者である私自身が変わっていった様子が重要だという評価をいただきました。実際に私がフィールドに入りこみ、自分と自分のまわりが、自分を中心としてどのように変わっていったか。また、フィールドにいる人々とっては異物のような存在である私が、どのようにフィールドに入り、入れなかったかということがルポルタージュによく書けていると言っていただけたのです。

 おでん屋の人々にとって私は、卒論の執筆のために1ヶ月間だけ働いて辞めていった存在でした。働き始めてしばらくすると、私のことを下の名前で呼んでくれるようになり、私はおでん屋に受け入れてもらうことができたように感じました。しかし、店長は私がなにかミスをしてもあまり怒ってくれないことなどから、あくまでも部外者であることを感じざるをえないこともありました。また、私が辞めるときには、私のことをありがたかったと言って寂しがってくれる人や、反対に辞めるのを待っていたような人がいました。それらの過程で私は自分がどのように感じたのかということを素直に書き記したため、その変化がよくわかるルポルタージュを書くことができました。

 しかし、私はそのこと自体が重要であることに気付けていませんでした。文化人類学の分野では、フィールドワーカーがフィールドの人々にとってどのような存在なのかということが重要な問題として考えられます。私は、口頭試問で長谷川先生からこのお話をしていただいたことで、自分の卒論に足りなかったものが見え、もやもやとしていた気持ちがすっきりしました。

 私は、自分の卒論の考察が不十分だと感じていました。考察のための理論的な枠組みが勉強不足であったことはもちろんですが、もっと何か決定的なものが足りないような気がしていたのです。それがおそらく、調査者である私が、おでん屋の人々にとってどのような存在であり、おでん屋のネットワークにどのような影響を与えるのかということが重要であるという視点だったのだと思います。その過程をルポルタージュとして描きだすことができていたにも関わらず、考察において言及することができなかったのです。

 また、私はどうしても人と人との関係を実体として、実際にそこにあるもののようにとらえてしまう考え方から抜け切ることができませんでした。これは卒論の執筆中にも長谷川先生から繰り返し指摘されていたことでした。例えば、家族という関係は実体としてそこにあるのではなく、日々のやりとりやふるまいから作られたり浮かび上がってきたりするものが一般に家族と呼ばれているに過ぎません。私はそのことをわかっていたつもりでも、卒論のところどころに関係を実体としてとらえていることが表れてしまっていました。

 私は、自分の実力に不十分なところがあると感じたからこそ、もっと勉強がしたいと思いました。自分が考えたいことを考えるためには、理論的な枠組みを勉強する必要があるということがわかったのです。

 

 もっと勉強がしたいと強く思った口頭試問から2ヶ月以上経ちますが、この春休みは忙しいことを言い訳にして、勉強をする時間を作ろうとしていなかったと思います。私は、4月からカフェを作り、経営している会社に就職します。卒論執筆中は、会社の研修よりも卒論が大事だと思っていたため、研修に身を入れて参加することができていませんでした。しかし、卒論の提出が完了し、口頭試問を終えてからは、研修の日数も増えました。研修では、基本的な接客をマニュアルに沿ってロールプレイングしたり、実際に店舗でアルバイトのスタッフとして働いたりしています。4月からは店舗に入り、店員として働くことになります。おそらく、いま行っている研修とは比べものにならないほど忙しくなるだろうと思います。会社の先輩の様子を見ていると、身体を壊している人も多く、体力的な部分での不安が大きくあります。

 

 また、研修を行っていると、長谷川ゼミで私がいかに恵まれた環境にいたのかということをひしひしと感じます。長谷川ゼミでは、皆が卒論を書くというひとつの目標に向かって切磋琢磨してきました。その過程で、プロジェクトを成功させるために私たちはさまざまなことを学んできたと思います。それは例えば、連絡の取り方や、事前にリマインドをするなどという実務的なことだけでなく、自分が向き合うべき問題への向き合い方や自分自身との向き合い方もそうです。

 私はこの1年間、これまでの人生で向き合うことを避けてきた家族について考えることができました。先述しているように、私の卒論は不十分なところもあり、何かを明らかにすることができたとは言い難いかも知れません。しかし、私ががんじがらめになっていた「理想の家族」というものから抜け出すことができたのではないかと思っています。これまでの人生の集大成を書くために一生懸命になることは、同時にこれから先どのように生きていくのかということを考えることでもあったのだと思います。

 ゼミを離れたいま、「なんだか違和感がある」と感じることがあっても、いつの間にか忘れ、そのことについて考えることができていません。これまで、ゼミ生とお互いに意見をぶつけ合いながら考えを深めてきましたが、これからは自分自身でその考え方を実践していかなければなりません。1年間をかけて教えてもらったり、自分たちでつかみとった考え方をこれからの日々に生かしていけるようにしたいです。

 

 私のブログはこれで以上になります。1年間読んでいただき、ありがとうございました。

 次回のブログは331日、<かわしま>が担当してくれます。2012年度長谷川ゼミブログの最後の更新となります。お楽しみに!

 

<えみし>

posted by 長谷川ゼミ | 23:50 | 長谷川ゼミ報告(2012) | - | - |
ゼミ卒業旅行3日目/ツインテールさんへの返信
 みなさんこんにちは。<まゆゆ>です。
 今回のブログでは、<ちえみん>、<さちこ>に引き続きゼミ卒業旅行の3日目の模様についてお伝えします。そして2012年度長谷川ゼミを卒業する今、少し振り返りをしたいと思います。

 私のゼミ卒業旅行の3日目は、慌ただしく始まりました。私は、長谷川ゼミ卒業旅行を企画する係を<かわしま>、<ちえみん>と共に務めていました。この3人は、2日目に宿泊したホテルで一緒の部屋となり、旅行が無事に終わることを祈りながら眠りにつきました。しかし、目覚ましに気づかないほど熟睡してしまい、なんと朝の集合時間まで合宿係は誰も起きなかったのです。明け方近くまで何人かのゼミ生と「人狼ゲーム」というパーティーゲームをしていたことが祟ったのでした。既に支度を終えたゼミ生にたたき起こされ、旅行係はバタバタと支度をしてなんとかホテルをチェックアウトしました。
 突然の起床による動揺を落ちつかせながら、長崎三菱造船所資料館へ向かいました。ここは三菱造船所の歴史、またその中で製作された戦艦、客船などの船、発電プラントなどを紹介しています。私が一番興味深いと思ったのは、この発電プラントでした。旅行2日目に玄海エネルギーパークで原子力発電の展示をみていたので、長崎三菱造船所資料館でもいくつもの発電に関するタービンを見ることができ、面白かったです。最後に資料館の一番奥にあった「関西電力株式会社尼崎第一発電所1号タービン」の前で集合写真を撮りました。
(造船資料館での見学の様子1) (造船資料館での見学の様子2)

 その後は自由行動の時間となり、長崎観光をしました。私は主に<かわしま>、<さちこ>、<ちえみん>、<にゃんちゅう>、<黒帝>と行動しました。旅行係は卒業旅行のためにしおりを作り、それには観光地に関するガイドも載せていました。しかし事前に調べていたにもかかわらず、自由行動でどこに行くかは全く決めていませんでした。行き当たりばったりで始まった自由行動の時間に、まず私たちは腹ごしらえをしようと「ツル茶ん」という喫茶店を訪れ、トルコライスとミルクセーキを食べました。観光ガイドによると、トルコライスとはカレーピラフ、ナポリタンスパゲッティ、トンカツを一皿に盛り付けた料理です。しかしトルコライスに明確な規定はないため、さまざまなバリエーションがあるようです。私が食べた「ツル茶ん」のトルコライスも、ピラフ、ナポリタンスパゲッティ、トンカツにカレーソースがかかったものでした。最初にトルコライスを出されたときはそのボリュームに圧倒されそうでしたが、一皿で様々な味が楽しめるため、夢中で食べているうちに完食してしまいました。デザートとして注文したミルクセーキは、私には意外な味に感じられました。確かにミルクの味がしますが、レモンの香りもする、想像したよりもさっぱりとしたシャーベットでした。
(ツル茶んで食べたトルコライス)

 食事を終えてから路面電車に乗り、大浦天主堂へ向かいました。路面電車の石橋駅から大浦天主堂までには坂があり、そこに多くの土産物屋が立ち並んでいます。まず私たちが飛び付いたのは、坂の麓にあったチリンチリンアイスの屋台でした。チリンチリンアイスは、ほんのりバニラの香りがする薄甘いアイスです。小さな屋台を引いたおばさんが販売しており、注文するとその場でアイスをコーンにバラの形に盛ってもらえます。この形を作るためにヘラを使うため、地域によってはババヘラともよばれるそうです。私は高校の修学旅行でも長崎を訪れてチリンチリンアイスを食べ、大好物となっていました。久しぶりに食べたチリンチリンアイスもやはり美味しかったです。
(チリンチリンアイス)

 それから土産物屋を見ながら坂をのぼり、大浦天主堂へ向かいました。大浦天主堂は1865年に建てられたカトリック教会で、国宝に指定されています。この日は天気がとてもよく、ステンドグラスを通して色鮮やかな光が大浦天主堂に差し込んでいました。
 最後に大浦天主堂のすぐ隣にあるグラバー園へ行きました。グラバー園は、外国人居留地にあった洋館を移設して作られた観光地です。園内を歩いていると、グラバー園でコスプレが出来ると観光ガイドに書いてあったことを思い出しました。グラバー園では西洋風の衣装を貸し出しており、利用者はそれを着て園内で記念撮影ができます。このとき集合時間が迫っていましたが、どうしても衣装を着て写真を撮りたくなった私たちは、大急ぎで衣装を選びました。<黒帝>は軍服風の衣装を選び、<ニャンちゅう>は緑、<ちえみん>は青、<さちこ>は黒と黄色、<かわしま>と私<まゆゆ>はピンクのドレスを選びました。それぞれ選んだ衣装が似合っていて、いつもと違うゼミ生を見られて面白かったです。
(左から、にゃんちゅう、さちこ、かわしま、まゆゆ、黒帝) (左から、ちえみん、さちこ)

 慌ただしく撮影したあと、急いでで坂を下り、タクシーにのりこみました。そして集合場所である長崎駅に着き、長崎での自由行動の時間は終了となりました。
 あとは東京に帰るだけです。長崎空港へ向かうバスの中、また東京へ向かう飛行機の中で、私は急にしみじみとした気分になってしまいました。卒業旅行が終われば、ゼミ生が全員集まれる機会は卒業式くらいになってしまいます。1年間一緒に過ごしたゼミ生は、それぞれ新生活を迎え、別々の場所で生きていくことになります。二度と会えないわけではないのに、卒業旅行が終わると容易に集まることが出来なくなるのではないかと思った途端、さみしさが込み上げてしまいました。
 そう思っているうちにあっという間に羽田空港に到着し、長谷川ゼミの卒業旅行は終了し、解散となりました。しかし解散してから1時間ほど、ゼミ生は帰らずに今後の予定について話し合いました。私たちは1月に卒業論文を提出してから、1年の振り返りを書き、ウェブにまとめることにしていました。卒業旅行の時点で振り返り文の執筆はほとんど終わっていましたが、それをどのようにまとめるか、またどのようなスケジュールで進めるか未定のままだったのです。振り返り文は、2012年度長谷川ゼミの最後のプロジェクトです。このプロジェクトが終わらなくては、本当にゼミを終えることはできない。そう考えると、本当にゼミを卒業するのは振り返りのウェブページを公開するときで、まだゼミは終わらないのだと思いました。感傷に浸るには少し早かったのです。 私たちは今大急ぎで振り返り文のウェブページを作成しています。公開の目標は3月31日に設定しました。最後まで慌ただしいゼミ活動となりそうですが、4月から新しい環境に身を投じていくため、思い残しのないように最後のプロジェクトを進めて参ります。公開しましたらブログでご報告しますので、是非ご覧頂きたいと思います。最後まで2012年度長谷川ゼミにお付き合い下さい。


 さて、4月から私<まゆゆ>は明治学院大学大学院へ進学し、引き続き長谷川先生に師事することとなりました。ですから、来年度も長谷川ゼミブログでお目にかかることかと思います。
 しかし、2012年度のブログ担当は今回が最後となります。私は最後に卒業論文の振り返りと、ゼミ生への感謝を述べたいと思います。

 今までのブログで、私は文献の読解力不足から、卒業論文のテーマを「女性アイドルのファンコミュニティ」から「アイドル声優の成立」に変更したとお伝えしました。

    「今の力で取り組む、卒業論文/ハロウィン」
    http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20121105
    「カウントダウンブログ:ゼミ内提出まで残りあと12日。」
    http://hajime-semi.jugem.jp/?eid=264 

 改めて決定したテーマも私にとって難しいもので、結局私の卒業論文は、課題が多く残る結果となりました。一番大きな後悔は、文献を参考にアイドル声優の必要条件を挙げることが出来なかったことです。アイドル声優の条件を挙げることが出来なければ、成立の過程をみていくことはできません。しかし、読解力不足のせいで文献を読んで条件を整理することができず、結局卒業論文の中で十分条件しか上げることが出来ませんでした。このため、アイドル声優に対する個人的な先入観が本文に強く反映されてしまいました。結局ただのファンの目線からしかアイドル声優を捉えることが出来なかったのです。
 卒業論文をうまく書けなかったという事実は、きちんと受け止めなければなりません。論文は筆者の力を映す鏡だからです。卒業論文で見えてきた「できない自分」は、卒業論文執筆を通してだけでなく、1年のゼミ活動を通して知っていったように思います。私は文献を読み解く力がとても弱いです。このため、自分の意見を述べることはできても、文献を用いて意見を構成することができません。これができないと、ただ自分の意見を述べることしかできず、論文という形にまとめることはできません。また、文献を読めないなど、「できない自分」に直面すると途端にやる気がさがってしまいます。そのため、今までできない自分と向き合うことも、、打破することも出来ませんでした。こうした姿勢は卒業論文への取り組み方に嫌というほど反映されていました。卒業論文に取り組むことで、やっと「できない自分」を直視し、向き合おうと決心することが出来たのです。
卒業論文を通して「できない自分」を振り返ることができました。しかし、「できない自分」を自覚できたのは、決して卒業論文のおかげだけではありません。卒業論文を含め、1年間ゼミ活動を共にしたゼミ生がいたからこそ自覚するが出来たのだと思いました。そう思った時、私は大学2年生の頃の自分を思い出しました。

 大学2年生の頃の私は、同じく長谷川先生の授業を受講している生徒から「ツインテールさん」と呼ばれていました。当時、田村ゆかりというアイドル声優を真似て、髪型をツインテールにして大学へ通っていたためです。また、こう呼ばれていたのは、長谷川先生の授業での発言回数が多く、ちょっと目立っていたからかもしれません。私は卒業論文でアイドルに関して書きたいと考え、題材を自由に決められる長谷川ゼミに入ることを目指し、積極的に授業で発言するようになっていました。
 しかし授業の中で発言する人はまだ少なく、私は一人相撲をとっているような気分でいました。発言に対する返信を先生から貰えても、他の生徒と意見の交換を活発に行うことはあまりできていないと感じていました。長谷川先生の授業では常にグループワークが課されるため、他の生徒と話し合う機会は多くありました。その時の意見ももちろん勉強になったと思っていますが、他の生徒との間にどこか授業に対する姿勢の温度差を感じてしまっていました。私はそのような状況に対し寂しさを感じ、早くゼミに入りたいと思っていました。ゼミに入れば、自分の発言に対して返信をたくさんもらうことができ、生徒同士での意見の交換も活発に行うことができると思っていたのです。
 そんなさみしさを感じていたことはは必死に授業に取り組むうちに忘れてしまい、いつの間にか髪形をツインテールにすることもやめてしまいました。そして気づけばゼミに所属し、あっという間に1年を終えて今に至ります。

 私がツインテールさんと呼ばれていた頃にほしかった返信は、いつのまにかゼミ活動の中でたくさん得ていたように思います。ツインテールさんがもらえなかった返信をくれたのは、まぎれもないゼミ生でした。ゼミ生からの返信は、意見だけではありません。課題への取り組み方や姿勢など、一緒に過ごした時間のすべてが返信だったのではないかと思います。「できない自分」を自覚できたのも、ゼミ生が必死に課題に取り組む姿を見られたからでしょう。私は知らないうちにこのようなたくさんの返信を受け取っていたのです。
 私は、たくさんの返信をくれたゼミ生に本当に感謝しています。2012年度長谷川ゼミの一員として、充実した1年を送ることが出来ました。しかし一方で、私はみんなに良い返信をできただろうかと疑問にも思います。なんだか私ばかりが、良い返信をもらっているような気になってしまうのです。 
 しかし、返信は卒業後に出来ないわけではありません。先述したとおり、私は大学院に進学します。そして2013年度ゼミの一員としてまた活動を始めます。これから学ぶことを、2012年度ゼミ生に返信し続けることが出来たらと思います。春休み期間中の今は、文献を読む練習として、何冊か新書を読んでレポートを書くという取り組みをしています。まだ基礎の段階ですが、こうした練習を積んで自分の力を伸ばしていきたいと思います。そして今後は、取り組みを通じて勉強したことをたくさんゼミ生に返信していきたいと思います。そうして、ゼミを卒業しても互いに学び続けられるような関係になりたいと思いました。


 次のブログ担当は<えみし>です。
 連日のブログ更新となりますが、ぜひご覧ください。

<まゆゆ>
posted by 長谷川ゼミ | 22:57 | 長谷川ゼミ報告(2012) | - | - |
長谷川ゼミ卒業旅行〜2日目
 こんにちは!<さちこ>です。
 今回のブログでは前回に引き続き、長谷川ゼミの卒業旅行の様子をお伝えしたいと思います。卒業旅行の簡単な概要は前回の<ちえみん>のブログ(http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20130323)をご覧ください。

 2日目は玄海原子力発電所にあるPR館「玄海エネルギーパーク」の見学をメインとした佐賀観光を行いました。2日目の朝、雨は止んでいましたが風が強く、少々肌寒さを感じつつホテルを出発し、貸切バスに乗り唐津駅に向かいました。
 唐津では約2時間、自由散策の時間がありましたが、観光したい場所が多くあり、2時間で全て見て回ることは困難でした。私は、<まゆゆ>、<ゆーめん>、<りんご>と一緒に唐津を観光していました。まずは唐津駅の近くにある商店街にて、「一番館」というお店で唐津焼を見てから、お昼をとることにしました。
 唐津は海が近いため新鮮なお魚が多くとれるようで、商店街には多くの魚屋さんがありました。私たちが入った定食屋さんにも刺身定食や、寿司定食、海老を使った天ぷら定食があり、どれも美味しそうでメニューを決めるのに時間がかかりました。

 次に、私たちは旧唐津銀行に向かいました。旧唐津銀行は煉瓦造りになっており、現在、銀行の中は銀行の歴史についての展示施設となっています。昔の銀行は、柱や造りがとてもしっかりしており、美しかったです。
 そして自由散策の最後に訪れた場所が唐津城です。あいにく唐津城の一部が工事中だったため、全てを見て回ることが出来なかったのですが、城を前にして私たちのテンションは振りきれたのか、写真の橋を駆け抜けて門まで向かいました。
  私たちは唐津城の中に入る時間がなく外観を楽しんでいましたが、他のゼミ生はお昼ご飯も惜しんで見学していたようです。見学しているといつの間にか集合時間の10分前になっており、急いで集合場所に行くことになってしまいましたが、とても楽しく散策することができました。

 唐津自由散策の後は、再び貸切バスに乗って2日目のメインとなる玄海エネルギーパークに向かいました。エネルギーパークに着くとすぐに、建物から案内の方が出てきて、館内の案内を申し出てくれました。エネルギーパーク内はとても広く、いくつかの館にわかれていました。
 はじめに、原子力発電がどのようなものか説明する展示物などがある、サイエンス館という場所を案内してもらいました。中心には実物大の原子炉模型があり、原子炉の動きや安全性についての説明を受けました。恥ずかしながら、私は原子炉というものがどういったもので、どのような動きをしているのかということをそれまで理解していませんでした。核燃料を用いて蒸気を発生させ、その蒸気でタービンを回して電気を発生させているということ、そしてその後の使用済み核燃料の処理についてなどの説明がありました。
 特に安全性については、原子炉は地震の揺れの影響を最小限に留める造りをしているということ、放射能を外に出さないこと、また熱くなった原子炉をしっかりと冷やすことなどが強く説明され、とても勉強になりました。
 
 写真は実際に原子炉の揺れを体感している様子です。
また今回はエネルギーパーク内の原子力訓練センターも見学することが出来ました。ここでは発電所の運転訓練と、補修訓練のための設備がありました。この日は実際に、発電所の運転訓練をしている方たちがいました。発電所で働いている人たちがどのような訓練を受けて、どれくらいの経験を積んでいるのか。また間近で燃料が格納されている機材などを見学することができました。
 エネルギーパーク内にはさらに、九州ふるさと館が併設されており、九州の代表的な祭の様子や伝統工芸品が展示されていました。また発電所の温排水の熱を利用した温室があるのですが残念ながら私は温室までは見て回ることはできませんでした。しかし、盛りだくさんの内容でした。
 このような場所に訪れなければ、私は原子力発電についての知識が、 いつまでも曖昧なままでいたと思うので、卒業旅行で来ることができ、良かったと思います 。
 玄海エネルギーパークの見学を終えて、私たちはホテルのある長崎へと向かいました。旅行最後の夜は、長崎の路面電車に乗って居酒屋に向かい、イカの活き造りを始めとした新鮮な海鮮料理を食べながら、会話を楽しみました。
 
 写真はイカの活き造りです。とても美味しかったです。余った部分は天ぷらにしてもらい最後まで美味しくいただきました!ホテルに着いてからもみんなで同じ部屋に集まり、夜通し賑やかに過ごしました。

 私は旅行の計画などには全く関わることができなかったのですが、旅行の全てがスムーズに進み、本当に全日楽しく過ごすことができました。旅行を企画し、綿密な計画を立ててくれた旅行係の<まゆゆ>、<かわしま>、<ちえみん>には感謝でいっぱいです。
 ここからは、私の1年間の振り返りになりますが、この1年間、いろいろなことがありました。ゼミの活動が始まってから、しばらくの間、私は誰かの意見に賛同することばかりで、自分から意見や議題を発信するなど、積極的にゼミ活動に関わることができずにいました。卒論のテーマ決定に至るまでも、自分の切実なことに対して考えを深めていくことができていませんでした。特に最初の頃は、ゼミ内での発表の直前になってやっと自分のテーマについて考えはじめるなど、どこかで「なんとかなるだろう」という気持ちあり、自分で卒論を書くという覚悟が薄かったのだと思います。
 しかし、そのような考え方では成長できないことに気づきました。それに気づいたのはその後の夏合宿やゼミの活動を通して、私は自分自身と向き合い、人としっかり話すことの大切さを学んだからです。
 卒論のテーマが決まらず、うまく自分について話すことができなくなってしまった時も、辛抱強く、まるで自分のことのように私の話を聞き、意見をくれたゼミ生がいてくれました。だからこそ、私は自分自身と向き合い、考えを深めることができました。そして自分の言葉で人と話をすることで、新たな発見があり、人の意見を聞くことでこんな考え方もあるのだと知り、自分の視野が広がっていきました。
 このような段階を踏んで、しっかりと自分と向き合い卒論のテーマを決めることができて良かったと思います。その後の11月、12月は、ただひたすらに自分が定めたテーマについて調べてはまとめ、卒論を書き進めていました。
 卒論執筆中に何度も、自身の勉強不足を感じては悔しい思いをしました。自分がもっと多くの本を読んでいれば、もっとしっかりと卒論の題材であるコミュニティを見ていくことができればなど思うこともありました。卒論を提出するときにも、本当にこれで論文になっているのだろうか、まだ書けることがあったのではないかと考えていました。しかし、卒論に対して、その時の自分の全力を出し切ったことも事実です。ゼミでの積み重ねがあったからこそ執筆することができた卒論になったと思います。

 ゼミの活動を通して、自分の未熟さから目をそむけるのではなく、その未熟さをしっかりと自覚し、その後どのように行動するべきか考えることの大切さを学びました。私が卒論執筆中に勉強不足だと感じた点も、ただ不足していたと後悔するのではなく、今後の自分に繋げていけるよう引き続き勉強していくことが大切だと思います。
 ゼミの活動は終わってしまいますが、ゼミで学んだ考え方は、今後社会に出てからも大切にしていきたいと思っています。ただ人から提示された課題に対して受け身でいるのではなく、自分自身で課題を見つけて、しっかりと考えることを忘れずに自分自身の成長に繋げて行きたいと思います。

 次回のブログは3月24日(日)、<まゆゆ>が卒業旅行最終日の様子をお送りします。どうぞお楽しみに!

<さちこ>

posted by 長谷川ゼミ | 15:25 | 長谷川ゼミ報告(2012) | - | - |
長谷川ゼミ卒業旅行〜1日目 ・この1年を振り返って

 

 こんにちは、<ちえみん>です。今回からブログでは3回にわたって12年度長谷川ゼミの卒業旅行の様子をお送りします!卒業旅行の日程は31315日の23日、行先は福岡・佐賀・長崎の3県に行ってきました。

 私は卒論の提出が終わってから、ゼミ生の有志で発足した、卒業旅行係の一員として活動をしていました。旅行先を考えたとき、玄海原子力発電所に行こう!という話になりました。長谷川先生が全国の原発PR施設を回っており、ゼミの時間に何度か話を聞いていたこともあり私たちも一度行ってみたい、と思ったのです。その目的を軸に、1日目は福岡、2日目は玄海原子力発電所のある佐賀、そして3日目は長崎に行くことを決めました。私は生まれてから九州に行ったことは一度もありませんでした。そのため、今回が人生初の九州上陸になりました。



 
 まずは1日目の様子をお伝えします。朝早くからの集合でしたが、無事誰も寝坊することなく羽田空港に集合し、最初の目的地である福岡空港に向かいました。福岡につくと、外はあいにくの雨模様。旅行は雨の中でスタートを切りました。

 博多の宿に荷物を預け、最初に向かったのがキャナルシティ博多の「ラーメンスタジアム」です。ここは博多ラーメンをはじめとしたご当地ラーメンの店舗がビル内の同じフロアに集結している場所です。私はここで初めて博多ラーメンを食べました。私は博多ラーメンの店舗でラーメン一人前を食べたのですが、ゼミ生の中にはハーフサイズを注文して、2店舗の梯子を楽しんでいる人もいました。私もほかの店のラーメンをゼミ生から少しもらったところ、同じ博多ラーメンであるにもかかわらず全く味が違っていて驚きました。 

 

 
 次に向かったのは太宰府天満宮です。太宰府天満宮に入る手前にはお店が連なるにぎやかな参道がありました。太宰府天満宮と言えば梅が有名ですが、私たちが行ったときにはほとんど散ってしまっていました。ここは学問の神様である菅原道真が祀られています。雨にもかかわらず、天満宮の中は学生団体などでにぎわっていました。撫でると知恵がつくという伝承がある撫牛には私たちゼミ生も含め、多くの人が触っていました。


 


 みんなで本殿にお参りをしたあとは、天満宮の隣にある九州国立博物館に行くことにしました。

 九州国立博物館では常設展示を見ました。この博物館では常設展示のことを文化交流展示と呼んでいます。この展示の目的は『日本の文化の視点をアジア史的観点からとらえる』というものでした。太宰府は古来より中国・朝鮮半島との外交や、防衛の機能を担っていたため、博物館もそのような目的のもとで展示を行っています。日本の文化や歴史については、中学や高校の授業で習っていましたが、これらの展示を見て日本は様々な国との国交があったからこそ発展してきたのだ、ということがよくわかりました。当たり前のことではあるのですが、教科書でみるだけでなく、実際に展示を見て、「外交」という観点から歴史を学ぶよい機会になりました。

 博物館から出ると、雨はほとんどやんでいました。行きにはよく見ずに通り過ぎてしまった参道に名物の梅ヶ枝餅を売る店がたくさんあったので、買ってその場で食べました。焼き立てを初めて食べたのですが、あまりにおいしくて2つも食べてしまいました。

 夜は、もつ鍋と水炊きが食べられるお店に行きました。思いっきり食べて、お酒を飲んで、みんな笑っていました。宿に帰ってからも1つの部屋にみんなで集まり、夜を徹してのコンパは続きました。

 


 

 旅行前には旅行係で宿や夕飯のお店の予約、日程表の作成などを行っていました。旅行のしおりも作成し、自由散策がしやすくなるように地図をコピーしたり、有名なお店の情報を載せたりしました。作りながらここに行こう、これを食べたい!などと盛り上がって楽しかったです。しまいには、夜を楽しくするためにみんなでできるゲームを載せよう、ということになり、ただ載せるだけではつまらないと言ってそこだけ袋とじにしたりしました。旅行係の遊び心満載のしおりになりました。

 

 旅行の準備と、旅行中に私が思ったことはゼミ生みんなで考えたり、話したりする時間が「本当に楽しい」ということです。卒論の提出が終わり、口頭試問も終わるとゼミ生に会う時間が少なくなりました。旅行の話し合いなどで久しぶりにゼミ生に会うと、今後に向けて今何をやっているのかなどを互いに話し、自分も頑張ろう、と励みになりました。この旅行では、口頭試問ぶりにゼミ生が全員集合し、本当にうれしく思いました。

 しかし、この旅行が2012年度長谷川ゼミにおいて最後の大きなイベントなのだな、と考えてしまうととても悲しく、寂しい気持ちになるのも事実です。当たり前のように毎日集まり、真剣に話し合っていた日々が終わってしまうのかと思うと非常に寂しいです。

 

 私はゼミに入って、さまざまなことを学びました。ゼミでの活動を通して、自分の言葉で真剣に話すこと、そして人の話を真剣に聞くことの面白さに気付きました。一般論ではなく、自分の言葉で話すことの難しさも同時に学びました。3年の頃に受けた集中講義でも思ったことですが、ゼミに入って話し合うことの大切さをより強く実感しました。他人の意見を聞くことで、自分にはなかった考え方を知ることができます。私はこの1年で、何でもすぐに決めつけてしまう、自分の考え方の傾向を知ることができました。それを治すことができたのかはわかりません。しかし、そのような自分を客観的に見ることが、少しではありますができるようになったと思います。

 そして、この1年を振り返ってみて、初めてゼミで行うすべての活動は卒論執筆につながっていたのだと気付きました。最初はHP作りやフィールドワークなどは卒論に直接関係ないと思っていました。しかし、それらの活動の中で、卒論執筆に必要な考え方や、方法を学んでいたのだと思います。

 

 今回で私が担当するブログも最後です。私は卒業後、もっと広い社会に出ていきます。夏ゼミの活動の一環で、長谷川ゼミの先輩である<しおりん>さんにインタビューをしたとき、仕事を始めると忙しさのあまりなかなか自分自身のこと、そして自分が考えたいことを考えることができなくなると聞きました。私も働き始めは社会の中に呑み込まれ、指示されたことをこなすことでやっとだと思います。しかし、そんな中でも自分自身で考えることは続けていきたいです。何も考えずに、流れに身を任せて様々なことをやっていくことは楽なことです。しかし、そこで常に「私は本当にこれでいいのか?」ということを考え、行動を起こしていきたいと思います。ゼミでの授業や卒論は終わりました。これからも自分の考えのみに凝り固まって周りが見えなくならないようにしていきたいです。特に私はなんでも簡単にこれだ!と決めつけてしまう癖があるので、いつでも「そう言える根拠は何か?」という考えを忘れずに、広い視野をもって生きていきたいと思います。

このゼミで過ごしてきた密度の濃い1年間は私の中にしっかりと残っています。その地続きとして、私のこれからの生活があります。ゼミで自分がやってきたことや学んできたことに自信をもってこれからは進んでいきたいです。12年度ゼミ生のみんな、長谷川先生、そしてOBOGのみなさま、全員に感謝しています。 そしてこれまで1年間ブログを読んでくださったみなさま、ありがとうございました!

 

 次回のブログは323日(土)、担当は<さちこ>です。旅行2日目についてお送りします。お楽しみに!

 

<ちえみん>

 

posted by 長谷川ゼミ | 06:43 | 長谷川ゼミ報告(2012) | - | - |
自分のテーマと向き合っていく
 

 こんにちは、今回のブログは〈セシル〉が担当します。このブログをもって私が担当するのは最後になります。卒論の取り組みで考えたこと、そしてこれからどのように自分のテーマと向き合うかについて書いていきたいと思います。

 

 私の卒論のタイトルは、「告白の誕生『りぼん』に見るロマンティック・ラブ・イデオロギーの再生産」です。少女漫画雑誌『りぼん』に描かれる「告白」のシークエンスと読者投稿欄を見ていくことで、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの変遷を明らかにしていきました。

 よろしければ、過去の私のブログから取り組みの過程の詳細をご覧下さい。

1010日更新「第4回発表〜1日目〜」

http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20121010

126日更新「第5回発表〜1日目・2日目〜」

http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20121206

 

 ゼミでの発表が11月に終わって以降、私は『りぼん』で見た告白のシークエンスを本文としてまとめる作業を行っていました。卒論を提出してから2ヶ月が経ちますが、思い返すとあの頃は寝ても覚めても卒論という毎日でした。結果として私は、1956年から1985年までの約30年分の『りぼん』を読んだことになります。読み始めたばかりの頃は、告白のシチュエーションや台詞、読者投稿欄でどのような投稿が掲載されているかなどのメモをとることで精一杯でした。多くの『りぼん』を読んだという達成感はありましたが、いざ本文として書き出した時に、それらのメモをまとめていくことは非常に困難でした。それは、読者投稿欄に掲載されている意見の傾向をつかむことや、どの意見を卒論に抜粋すればいいのかなどの選択が難しかったからです。どれだけ多くの量を読んだとしても、その全てを本文に反映することができたわけではありません。自分では『りぼん』を読んで分かったことはたくさんありましたが、それらを卒論の読者に伝わるように書くことはできませんでした。

 

 「恋愛」が読者の間でどのように語られ、変化していくのかということは、『りぼん』を読み進めていくうちに目の当たりにすることができます。しかし、文章化してそれらをまとめようとした時には、書ける部分と言葉にするのが難しく書けない部分があり、自分が分かったところと曖昧にしか理解できていないところがはっきりしました。それは、テーマを決めてから計画的に卒論を執筆し、考えていくことができなかったことや、まだ読者の視点で『りぼん』を読んでいたこと、考察するための理論的な研究や知識の勉強不足などが起因しています。

 

 口頭試問で私は、「『りぼん』がなぜ恋愛に特化したものへと変わっていくのか」という主査からの問いに答えることができませんでした。私は卒論の中で、「恋愛」がどのように日本に輸入され、浸透していったのか、また「恋愛」がどのように語られ変遷していったのかという歴史的な部分は明らかにしました。しかし、その変遷をどのように理解するのかという考え方をすることができていなかったのです。

 『りぼん』の中では、1960年頃から「恋愛」の要素が本誌に登場し始め、「ボーイフレンド」という言葉が頻繁に使われるなど、徐々に「恋愛」をテーマにした内容が中心になっていきます。そのように恋愛に特化していく原因は、ただ『りぼん』を読むだけでは明らかにすることはできません。それは、『りぼん』だけが恋愛に特化したものへと変わっていくのではなく、少女漫画全体にも言えることだからです。恋愛に特化していくのはなぜなのかという疑問は、執筆中に少し感じたことがありました。しかし、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの変遷をまとめていくことに精一杯で、その疑問を深く掘り下げることができませんでした。

 口頭試問の時に、「調べた事実を理解するためには理論的なフレームが必要」ということを、先生に教わりました。私は考察をする時に、特に理論的なことをあまり意識せず、『りぼん』を読んで分かった事実だけを書き進めていました。口頭試問を通して、勉強不足な点や、どのような視点からものを考えていくことが私に必要かを知ることができました。

 

 卒論での取り組みを振り返ってみると、反省すべき点はたくさんあります。「自分が卒論を書く」という自覚が足りず、書くことを後回しにしてしまったことや、1年間を通して読む本が少なかったこと、卒論を書くために何をするべきかについて自分の力で考えきれなかったことなど、執筆中にも後悔することがありました。自分の限界まで力を発揮できたかというと、そう言い切れる自信はありません。口頭試問で指摘されたように、まだまだ調べ足りないことや分かりたいことがあるということを感じます。そのような執筆中に感じた自分の反省点や、口頭試問の際に指摘してもらった点を、卒論を提出し終えたからといってそのままにしておくのは勿体ないと思いました。

 

 ゼミに入って私は、自分の分かりたかったテーマにアプローチすることができました。このテーマは、すぐに決まるようなものではありませんでした。自分の関心のあるものを挙げることから出発し、発表や話し合いを重ねて自分の疑問とは何か、何をどのように明らかにしたいのかということを深めていって、やっと決まったテーマでした。そのため、自分にとって非常に密接で切実なテーマです。そして、卒論を書き終えてみて、これからも自分が向き合っていくべきテーマであるということを感じました。

 卒論について振り返ると、つい足りなかった点ばかりが浮かんできてしまいます。しかし、卒論を書く前と書いた後では、やはり「恋愛」に対する考え方は大きく変わりました。自分の知らない新しいことを明らかにすることは、とても面白いことでした。自分の分かりたかったことや、またそれ以外のことも明らかになるものは多いです。そして、それとともに新たな疑問も出てきます。ゼミに入ったばかりの頃は、卒論を書くことが最終目標でしたが、いざ書き終わってみると完璧に終わってしまうわけではないという気持ちになります。今後、ゼミという場を離れてしまいますが、ゼミで学んだことをどのように活かしていけるかは自分次第です。私はこの1年間ゼミで学んだこと、考えたこと、卒論を書いて分かったことなどを土台として、これからも自分のテーマについて考え、学んでいきたいと思います。

 

 これで今回のブログは以上となります。読んでくださりありがとうございました。次回は〈コンカ〉が担当してくれます。お楽しみに!

 

〈セシル〉

 

posted by 長谷川ゼミ | 23:23 | 長谷川ゼミ報告(2012) | - | - |
ゼミで学んだことをつなげていく

こんにちは、<ミシェル>です。

卒論を提出してから2ヶ月が経とうとしています。今回のブログでは、自分の卒論やゼミでの取り組みを振り返って考えたことを話したいと思います。

 


私は、『「子どもらしさ」はいかに作られるか―アンパンマンこどもミュージアムから探る』というテーマで卒論を書きました。これは、私が今までかわいいと感じていた「子ども」のイメージがどのように作られ、いかに人々の中に「子どもらしさ」が定着してきたのかを捉え直すものです。その問いにアプローチするために、私は自分のアルバイト先でもあるアンパンマンこどもミュージアムでフィールドワークを行いました。

(詳しくは、過去の私のブログをご覧下さい。

1220日更新「ゼミ内提出まであと4日!」http://hajime-semi.jugem.jp/?eid=272

 


卒論提出以降、私の中に、卒論に対して執筆中とはまた異なる感情が芽生えました。12月から1月にかけて、私は最後のスパートをかけて卒論の考察部分を執筆し、見直しを行っていました。もう論文を書くことはないかもしれないので、今まで自分がやってきたことを無駄にはしないようにしようと思っていました。

しかし、実際に最後まで書き終えてみると、自分が考えてきたことや調べてきたことに対して多くの不足点が浮き出てきました。例えば、自分が読んできた本や、蓄えてきた知識の少なさです。「子ども」についての歴史を調べるにしても、歴史のほんの一部分しかまとめることができず、対象を多角的に見ることができませんでした。

また、フィールドワークで記録をした子どもや大人の反応などをまとめても、そこから自分が何に気がついたのか、または何がわからないのかということが曖昧でした。調査するだけでは足りない、考察するために必要な理論的研究に対して勉強不足な部分があったのだと痛感しました。


 

私は今まで、卒論というものは、自分の持っている力が現れる「集大成」なのだと思ってきました。そして、いざ書き終えてみると、今の自分の力がどれほどのものなのか痛いほど見えてきました。執筆中や卒論を書き終えた後は、そのことで落ち込むこともありましたが、今振り返ってみると、ここで自分の足りない部分を把握することができたということが重要なのだと思えるようになりました。それを補うために、自分が何を勉強するべきなのか、どう考えるべきなのかという次の行動へとつながるからです。


 

また、1月に行われた口頭試問では、先生から卒論の講評をいただき、さらに自分の卒論に対する不足点に気がつくことができました。私は、アンパンマンこどもミュージアムにおける子どもと親の振る舞いや期待を捉えられてはいるものの、その重要性に気がつけていないという指摘をもらいました。「子どもらしさ」というものは、この施設だけが一方的に作るものでも、その場にいる人々だけが作るものでもありません。施設と人々の相互行為によって構築されていくものです。それにも関わらず、私は既に「子どもらしさ」というイメージが出来上がっているものとして施設や人々を見ていたのです。この点を押さえられていなかったため、考察も弱いものとなってしまいました。他にも、フィールドワークという方法のもつ利点や危険性を整理し確認することができていないということを指摘されました。

 


ゼミに入った当初は、最終目標が「卒論を書く」ということであり、提出後は、これでゼミも終わりなのだと思っていました。しかし、口頭試問を終えた後、私は提出できたからと言ってここで終わってしまうのはもったいないと感じるようになりました。自分がたどり着いた問い立てに対して、考えきれなかった点や、書ききれなかったことは、まだまだ残っています。この1年間でやってきたことは、卒業論文という形で一旦まとまりましたが、これからはまた別の形で自分の問い立てについて考え続けて行きたいと思いました。

 


このように思った時に、「長谷川ゼミ」という環境がなんてありがたいものだったのだろうと感じました。卒論を書くことができたのは、決して自分ひとりの力ではありません。ゼミ生や先生がいたからこそ、卒論のテーマにたどり着くことができました。

ゼミでは卒論執筆以外にも多くの活動があり、私は最初、それらがどう自分の卒論につながっていくのだろうと思っていました。しかし、こうしてブログを書くことや夏ゼミでの活動というのは、ちゃんと今の自分につながっていたのだと卒論を執筆してみて初めて実感することができました。直接テーマに関わらないことでも、卒論に対する姿勢や考え方という点では関係しているのです。

 


この恵まれた環境から卒業するのは寂しく、不安に感じる時もあります。

しかし、ゼミでの1年間で私は、どう考えて行動に移していくのかという具体的なことを学ぶことができました。今まで自分が日常において当たり前だと感じていたものに対し、疑問を持って自分からアプローチしていく力をつけることができたはずです。もちろん、自分の中だけで考えるのではありません。たくさん本を読み、興味のあること、気になることについて人と話すことで、もっと多角的に対象を捉え直していきたいです。

 


卒業後、ゼミ生それぞれが向かうべきものや、やるべきことは異なります。しかし、その根本にあるものの見方や考え方はつながっていると思います。ゼミでの様々な経験が自分の卒論の執筆にもちゃんとつながっていたように、この1年間で経験したことは、これから先の自分にも必ずつながっていくのではないでしょうか。そのために、私はこれからも考えること、書くこと、人と話すことを継続して行きたいです。

 


今回のブログは以上です。

次回の更新は311日、<セシル>が担当してくれます。お楽しみに!


 

<ミシェル>

posted by 長谷川ゼミ | 20:31 | 長谷川ゼミ報告(2012) | - | - |
できないことをできるようにする
 こんにちは。今回のブログは、<ラッパー>がお送りいたします。
私にとって、このブログが最後の更新になります。卒論のことや、卒論の執筆を終えて私が思っていることについてお伝えしようと思います。

 私は、「B系ファッションと不良文化―日本におけるヒップホップ受容の一考察―」というタイトルで卒論を書きました。B系ファッションが不良文化と結びついていることを、雑誌『チャンプロード』で見ていき、日本においてヒップホップがどのように受容されているのか、考察していきました。詳しい取り組みの過程は、以前の私のブログを参照してください。
12月1日「『チャンプロード』を読んでわかったこと」http://hajime-semi.jugem.jp/?
day=20121201
12月21日「ゼミ内提出まであと3日です」
http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20121221

  私は、ゼミに入る前から「卒論のテーマはヒップホップで書きたい」と決めており、第一回発表から合宿発表までの間、ヒップホップの話だけをしてきました。とにかく自分にとって切実なテーマであるのだから、いい加減なものは書きたくないし、自分の納得するものが書きたいと思っていました。第一回、第二回中間発表では、ヒップホップに対して自分がもっているイメージをそのまま発表しました。対象に近い位置からの話であったため、それ以上考えを深めることができませんでした。そこで、卒論で自分の好きなことについて書くには、対象と距離を取らなければならないということを学びました。夏合宿までに「ヒップホップが好きな自分」とは距離をとり、色々な話をしようとこころがけ、合宿発表でテーマが無事に決まりました。B系ファッションを通して、日本のヒップホップの受容について考えることにし、B系ファッションの記事が掲載されているヤンキー向けの雑誌『チャンプロード』を題材として扱うことに決めました。

  夏以降は、国立国会図書館に足を運び、『チャンプロード』を創刊号から2012年12月号まで読みました。発表では先生とゼミ生から意見やアドバイスをもらえますが、実際に資料にあたって卒論の構成や方向性を考えて執筆していくのは、自分自身です。メモを取るポイントや注意すべきポイントは、自分で考えて探さなければならないため、常に不安がありました。私は、「B系ファッション」、「ヒップホップ」、「ヤンキーのファッション」をキーワードとして、読者交歓欄やファッションに関する記事のメモをとりました。読み進めていくと、『チャンプロード』におけるB系ファッションの記事は、通販広告が主であり、特集記事やコーナーが組まれることが少ないということがわかりました。そこで、『チャンプロード』のB系ファッションの記事だけでは、情報が少なく、それだけで論じていくのは難しいと考えました。11月以降は、B系ファッションを扱う他の雑誌も読んでいくことに決めました。他の雑誌でB系ファッションがどのように語られているのか見ていくことで、『チャンプロード』がB系ファッションをどのように紹介しているのかを考察するための、手がかりにしようと思ったのです。調べてみると、芸能雑誌、ストリートファッション誌、ローライダー雑誌などでB系ファッションが扱われているということがわかりました。全部に目を通すことは困難だったので、なかでもB系ファッションを積極的に扱う雑誌を10誌挙げて、調べることにしました。

  このように他の雑誌に手を広げた結果、B系ファッションはさまざまな分野で紹介されているということがわかりました。『チャンプロード』では、ヤンキーのファッションとして。ストリートファッション誌では、スケートボーダーやスノーボーダーのファッションとして。ローライダー雑誌ではローライダーのファッションとして。とくにB系ファッションは、ストリートファッション誌で扱われることが多かったので、ストリートファッションに関する本を数冊読みました。その紹介のされ方や、日本に定着していく過程を知識として得ることができました。しかし、それを不良文化として結びつけることはできず、不良がB系ファッションを着ることに関する考察を深めることができませんでした。それは、最後の最後まで手を広げた結果であり、『チャンプロード』の記事から、日本のヒップホップ受容と関連づけてよく考えようとしなかった私の力不足でもあります。

  私は12月下旬のゼミ内提出までに、終章である考察を書ききることができませんでした。しかも、その段階で、考察をどのように書いていいのかわからないという状態でした。考察以外の章を書いているときは、「全部書いたときには考察だってできるだろう」という気持ちがどこかにあり、なんとかなると思っていました。しかし、書いたところで容易にひらめくことはなく、焦るばかりでした。年明けからはとにかく、今まで調べてきたことと本で読んで学んだことを信じて、考察を書きました。その結果、卒論を通して自分がわかりたいことから離れてしまったように思います。「チャンプロード以外の雑誌では、B系ファッションはこういうふうに紹介されているから、『チャンプロード』におけるB系ファッションはこうだ」という考察で終わってしまい、「日本においてヒップホップはどのように受容されているのか」というテーマから離れたものになってしまいました。

  私は提出のギリギリまで確認を行いました。本来なら午前9時にゼミ生全員で学校に集まって教務課に提出する予定でしたが、私が誤字脱字や文献リストの最終確認をして印刷が終わったのは、午後3時でした。学校への提出期限内ではありましたが、他のゼミ生より大幅に遅れての提出となりました。以前から私は遅刻常習犯で、ブログの添削提出や経過報告の提出などを守れずにいました。最後の最後まで期限を守れなかった自分に恥ずかしさを感じました。私は「もっと時間があったら…」なんてことをいつも考えてしまいます。限りのある時間の中で精一杯の自分の力を発揮することと、自分のやるべきことに対してしっかり計画を立てて、それをしっかり遂行することの重要性を、この一年間で学べた気がします。

  なんとか1月8日の提出予定日に提出することができ、ホッと息をつきましたが、25日には口頭試問が控えていました。自分の卒論を繰り返し読み、最後にこの論文で伝えたいことを言葉にして原稿を準備しました。講評では先生から、「できないことをできるように努力することが大切」と言われました。論文の内容はまだまだ未熟なものでしたが、それでも一年前の自分では書けなかったものになったと思います。思えば、一年前の自分は、人前で話すということも思うようにできませんでした。それが今ではやっと、緊張もすることなく人前で意見ができるようになりました。発表に備えて作った原稿やレジュメ、長時間にわたる発表、フィールドワーク、集中講義、合宿を経なければ、今の自分はないと断言できますし、それらの経験が自信につながっています。気になったら何かと調べたくなる知的好奇心も増えました。今後大学を離れても、このゼミでの活動を土台にして、できないことをできるようにしたいと思います。このような経験を何度も積み重ねて成長していきたいと思います。いつまでもその意志を忘れないようにしていきたいです。

今回のブログは以上です。
次回は<ミシェル>が担当してくれます。お楽しみに。

<ラッパー>
posted by 長谷川ゼミ | 23:58 | 長谷川ゼミ報告(2012) | - | - |
自由に考えることの難しさ
こんにちは、<まいまい>です。今回は、ゼミ活動と卒論がおわって、私が今思っていることについてお話ししようと思います。

私の卒論のテーマは「好感度の政治学―ファッション誌『steady.』に見る言説分析―」というものです。宝島社から発行されている『steady.』というOL向けの女性ファッション誌を題材に、そこでどのような言説が語られているのかを調査しました。
テーマ決定までの道のりや私が勉強した「政治学」の説明はこちらの記事をご覧ください。
http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20121123(11月23日のブログ)

私が卒論で行ったのは、『steady.』2006年の創刊号から2012年までの73冊を雑誌の変遷をたどりながらに調査することと、1冊の『steady.』の構成がどのように成り立っているのを調査すること、そして調べたことに対して考察をするということです。「好感度」というキーワードのもと、『steady.』にはどのような言説が見られるのかという事を明らかにしようとしました。

上記URLのブログ記事でお伝えしたように、調査をするうちにいくつかのことに気付きました。例えば顔と名前、職業を公表した「読者代表」の意見があらゆるところに登場してくること。また、1年目社員や入社を控える学生と言った「新人」向けの企画に好感度を語る言説が多く見られることも分かりました。そして『steady.』で語られている言説のなかでは、「好感を得られるイメージ」は、好感を得たい相手や接するシチュエーションによって変化し、それを適切に追うことが求められているという事が分かりました。このことから私は、『steady.』には特定の「理想像」を志向する3つの言説空間の重なりが見られるのではないかと考えました。
私の考える言説空間の重なりとは、「企業人」、「男性から見た女性」、「おしゃれな人」の理想像を志向する言説空間からなります。卒論の考察の章では、『steady.』で語られるファッションの志向している言説空間のモデル図を3つの円の重なりで表現しました。
またそのモデル図に、好感を得られると語られているイメージが、それぞれ3つの言説空間からどのような影響を受けて作られているのかという配置もしました。

このことに気付いた時は、自分の知りたかった「好感度」の中身を知ることが出来たと思い、勢いに乗って本文を書き進めていきました。

こうして年末年始は時間に追われつつ調査と考察の執筆をし、何とか期限内に卒論を書き上げ、1月8日に提出をしました。今までのブログの記事で何度かお伝えしているように卒論を提出したら終わりというわけではなく、口頭試問があります。口頭試問に向けてプレゼンの準備をし、25日に卒論の評価を受けることになりました。
口頭試問の順番が最初だった私は、とても緊張していましたが、早く評価を聞きたい気持ちも聞きたくない気持ちもあり、複雑な心境でした。口頭試問では、提出した卒論に対する評価が伝えられるほか、必要に応じて主査である先生から卒論についての質問を受けます。自分が書いた卒論についての質問なので、当然しっかり答えられなければなりません。しかし私は、先生からの「3つの言説空間について、共通する視点はなにか」という質問に満足に答えることが出来ませんでした。自分が考察したはずの言説空間のそれぞれの違いは分かっているつもりでも、それらがそもそもどのように成り立っているものなのかという事が良くわかっていなかったため、見当はずれなことしか答えることが出来ませんでした。そんな私の様子と卒論の考察に対して、先生からは「まだ読者の視点から抜け出せていなかった」ことを指摘していただきました。
口頭試問を終えてしばらくは、読者の目線だったという事がどういう事かよくわかっていませんでしたが、考え直しているうちにだんだんと自分の卒論の足りない部分が分かってきました。私は『steady.』において好感度を得られると語られている言説を分析し、どのような時にどのような格好をすることが求められているのかを分析しただけで満足してしまっていたのです。つまり雑誌で語られている「好感を得られるイメージ」について詳しく語っているだけで、そこにどのような政治的権力がかかっているのか、好感度言説が語られるということはどういうことなのか、という事を考察出来ていなかったのです。
雑誌を詳細に分析し、どのようなイメージが好感を得られるのかという事は、政治的観点で見なくても分かる事です。ミシェル・フーコーの著書などから学んだつもりでいましたが、「政治学」という題名が付く卒論を書き終えて初めて、政治学について理解しきれていなかったことを思い知りました。
卒論を書いているあいだ、私は「『steady.』を通してファッション言説に権力がかかっている様子を見つけてやる」という気持ちで書き、客観的に考えようとしていました。しかし先生がおっしゃるように読者の視点から抜け出せていなかったことを自分でも理解し、とても落ち込みました。政治学について良くわかっていなかったことや、メディア論的な目線がかけていたことが原因だと思いました。ゼミで一番養おうとしてきたはずの目線が足りない卒論を書いてしまったことに、情けなさを感じました。自分の卒論は何か意味のあるものになったのか、それを通して自分は何か出来るようになったのか、自信がなくなっていきました。

しかし、1年間のゼミ活動について振り返っていく中で、卒論に対する心境にも少し変化がありました。口頭試問を終えて、現在ゼミでは1年間の振り返り文を少しずつ執筆しています。12年度ゼミが始動し始めた時から書き始めて、今は夏休みまでの振り返りを書き終えたところです。
ゼミが始まったころからのからの自分の行動を振り返っていると、足りなかった、出来ていなかったと感じることがとても多いです。他の人の発表のディスカッションで発言ができない、発表前には自分のテーマについて他の人に話をしようとしない、自分の書いた文に添削を受けるのが嫌いなど、多すぎてびっくりするくらいです。(詳しくは各ゼミ生の振り返り文を年度内にホームページにアップする予定です)
反省して自分のふがいなさに落ち込む一方で、今振り返ってみると、その時自覚しきれていなかった自分の足りなかった部分に、どんどん気付けるようになったという事を知りました。また、これらのことを少しずつ出来るようになった自分にも気付けたのです。ディスカッションをすること、自分の話をすること、添削を受けて素直に聞き入れることなど、十分とは言えないかもしれませんが少しずつ出来るようになり、その重要性も、卒論テーマについての発表、フィールドワークや集中講義、ブログやホームページでの振り返りといった、いくつかあった通過点の中で確認していったように思います。

この振り返り文の執筆を通して、卒論提出とその評価を受けることも、ゼミの終着点だったわけではなく、大きな通過点の一つと理解するようになりました。
口頭試問では評価の他に、先生から今後についてのコメントをいただいています。卒論は終わったけれど、これからも勉強を続けていくと良い、そうするともっと自由に物事を考えられるようになれる、というものです。この言葉は、今の実力を受け止めて、これからに向けて考えをつなげていくための支えになっています。
今回私が書いた卒論は決して上出来と言えるものではありませんでした。しかし卒論提出や口頭試問を通して、意識していても雑誌の読者という目線で雑誌を読んでしまう自分や、そのような目線から抜け出すことの難しさに気づくことが出来ました。勉強・努力不足を感じる結果となってしまいましたが、ここで終わりではないと考えて今後もメディア論、政治学、社会学などについての勉強を続けていこうと思います。今回私は、「好感度」を意識してしまう自分をとらえ直そうとしていましたが、まだまだメディアに提供されているものの見かたから抜け出せない自分に気づきました。今後は自由に思考できるようになれるようになりたいと思ったので、そのために頑張ります。

これで私がブログを書く機会は最後になります。最初は何を書いていいかわからなくて添削も怖かったブログですが、添削を受けることでより良い文章が書けるようになることや、自分の考えたこと・思ったことを発信し残しておけることが楽しいと思えるようになりました。これも一つの成長だと思います!
次回のブログは<ラッパー>が担当してくれます。お楽しみに!

<まいまい>
posted by 長谷川ゼミ | 23:18 | 長谷川ゼミ報告(2012) | - | - |
以前の自分と今の自分
 こんにちは。今回のブログは<黒帝>がお送りいたします。
 私にとっては、これが最後のブログ更新となります。そこで、この記事では私の卒業論文についてと1年間のゼミ活動を通して感じたことについて書こうと思います。

 私の卒業論文は「ボーカロイド10年史 2003-2012」というタイトルです。これは、ヤマハ株式会社から歌声合成技術VOCALOIDが発表された2003年から2012年までの10年間について、ボーカロイドに関するあらゆる事象を調べてまとめるという取り組みです。
 私の卒論の方向性が「ボーカロイドの歴史の編纂」に決まったのは11月の初めでした。本来であれば、8月の頭に行われた夏合宿にてテーマか題材のどちらかを決定しなければなりませんでしたが、私は発表までに考えを十分に進められておらず、どちらも決めることが出来ませんでした。そのため、夏合宿後もテーマについて考えることとなりました。
 ゼミ生の多くは、予定通り夏合宿時にテーマか題材が決定し、その後の取り組みについても大まかに決まっていきました。そのような状況の中、私は一人取り残されているような感覚に襲われました。他のゼミ生に早く追いつかなければと思い、一日中ノートに向かって考え続けました。しかしそれでも考えを深めていくことの出来ない日々が続き、時間だけがどんどん過ぎていくことに大きな焦りを感じていました。この時の私はとにかく早くテーマを決めなければと思う気持ちばかりが先行して、とても視野が狭くなっていました。こういった状態が夏合宿後に一週間ほど続きました。
 ゼミ生に話を聞いてもらい、ただボーカロイドについてばかりを考えるのでなく、自分自身がこれまでどのようなことに興味を持ってきたか、何故ボーカロイドが好きになったのか、という方向からも考えていきましたが、それでも状況は変わりませんでした。そして最終的に、夏期休暇中にいちど先生に話を聞いていただくこととなりました。そこで先生から、私は深く考えていこうとすると思考のループに陥ってしまいがちなので、一度考えることから離れる必要があるということ、またボーカロイドについて論じるのであればボーカロイドの歴史について調べることは必要不可欠であるというアドバイスを頂きました。これらの理由から、私はひとまず考えることをやめ、個人課題を設けました。それは、ボーカロイドに関する様々な事柄について調べ、それらを一つ一つレポートにまとめてゼミ生に提出するという取り組みです。
 これを11月の第一週目まで続け、改めて卒論のテーマを考えることになった時、私はボーカロイドの歴史を調べてまとめることに決めました。ボーカロイドの歴史をまとめたアカデミックな文献や資料がこれまでにないということが、この論文に取り組む大きな意義です。またこれはそれまでやってきた、調べてまとめることの延長です。深く考えると思考のループに陥ってしまう私には適した方向性でした。

 私の論文のテーマはこうして決定しました。しかし私はやるべきことが決まったことを素直に喜ぶことが出来ませんでした。長谷川先生の授業では4年間を通して、ものの考え方を養ってきました。4年間の集大成となる卒業論文では、これまで培ってきた力を総動員して「考える」ことが重要であると、私は考えていたのです。しかし私の卒論のテーマは「考える」ことで決定したのではありませんでした。この事実がずっと頭のどこかに引っかかったまま、私はボーカロイドの歴史の編纂に取り組み始めました。

 11月の終わりに第5回発表がありました。これは2012年度長谷川ゼミにおける最後の発表であり、卒論の進捗状況を詳しく確認する為のものでした。しかし私は卒論のテーマが決まってから発表までの一ヶ月間、予定通り執筆を進めることが出来ていませんでした。「考える」ことで決定したわけではない自分のテーマをしっかりと受け入れられず、作業に身が入らないまま続けてしまっていたからです。それは発表で浮き彫りになり、私は自分の一ヶ月間の卒論に対する姿勢を深く恥じました。この時点で私がやるべきことは、自分で決めた方向性についていつまでも悩んでいることでは決してなく、より多くの事を調べてまとめていくこと、少しでも多く卒論を書きすすめていくことでした。この第5回発表を境に私は気を引き締め直し、何よりもまず目の前のやるべきことをしっかりとやるということを確認しなおしました。

 そこからの時間の経過は、それまで以上に速く感じられました。提出までの期間、必死に論文を書き続け、気が付けば提出まであとわずかというところまで迫っていました。
 改めて自分のこれまでの取り組みを振り返ると、私はどこかで自分に甘かったと思う部分が多々あります。例えばそれは、朝起きるのが予定よりも遅くなってしまったり、作業の合間の休憩が長くなってしまったりというところに表れていました。また、卒論の内容についても、いくつもの穴があることが明白でした。卒論ではボーカロイドに関する騒動や、インターネット上でどのように取り上げられていたかということなど、ボーカロイドに関するあらゆる事柄についてインターネットを通して調べ、それらを年ごとにまとめていきました。しかし調べが行きとどいていないところが多くあり、個々の事象の関連性についてもしっかりと考えられていませんでした。特に2009年以降はボーカロイドを題材にしたゲームや書籍が増えたほか、ライブイベントを行ったり企業のプロモーションに使われたりと、ボーカロイドに関する事柄は激増しました。そのため、卒論ではこれらをまとめることに精一杯になってしまい、個々の事象を羅列しただけになってしまったところもあります。また、ヤマハがVOCALOIDを発表する以前の音声合成の歴史については全く触れることが出来ていません。このように多くの反省点があることは明白でした。
 何度も見直しをして、その都度書き直したり、加筆したりということを繰り返してよりよい論文に出来るように努めてきましたが、提出してしまったらもう書き直すことは出来ません。卒論を提出するということは、自分から見ても反省点・課題点が多くあることが痛いほどわかるこの論文を、完成品として先生に見ていただくということなのです。これが、卒論が自分の手を離れていくということなのだと感じました。

 1月上旬の卒論提出日、私は予定通り卒論を提出することが出来ました。提出してから口頭試問までの日々は、自分の卒論に納得できず、これで本当に合格できるのだろうか、と常に心配していました。卒論を提出した後になっても、やはりもっと頑張れたのではないかと考えてしまっていたのです。しかし、常に全力で取り組むことができなかったということも含めて、それが今の自分の実力だったということなのです。そう自分に言い聞かせ、悔しさを感じながらもそれ以上深くは考えないようにしました。それよりも、この時点での私のやるべきことは口頭試問の準備をしっかりとすることでした。私は何度も原稿を書きなおし、何度も声に出して練習しました。口頭試問当日、ゼミ生はそれぞれ自分の卒論について発表し、先生から講評をいただきました。先述したように私は自分の卒論の評価が心配でしたが、良い評価をいただくことが出来ました。この時、私は自分がこれまでやってきたことが実ったのだという気持ちの良い達成感を味わいました。何度も悩んだり、失敗したりを繰り返してきましたが、最後までやり抜いて本当に良かったと心から思いました。
 口頭試問の翌日の朝、もう卒論の執筆も発表の準備もしなくていいのだと考えた時に初めて、2012年度長谷川ゼミの活動が終わったのだということが実感としてわいてきました。1年前、先輩の口頭試問の日に受けたゼミのガイダンスで、ゼミの最終目的は卒論を完成させることだと教わりました。ガイダンスで教えられた最終目的は、口頭試問の日に完全に達成されたのです。


 1年間を通してのゼミでの活動は、全てこの卒論執筆という目的に向けてのものでした。しかし、ガイダンスでゼミの目的を聞いたにもかかわらず、ゼミに入った当初は私にはそのような意識はあまりありませんでした。私がゼミに入ったのは、「卒論を書いて卒業したいと思ったから」という単純な理由からです。そのためか、私は「自分自身の卒論を書く」のだという意識が低かったように思います。卒論とは、他でもない自分自身のテーマについて、自分自身の力で書くものです。しかし私は、その意識を長い間持つことが出来ていませんでした。思い返してみると、ゼミに入ったばかりの頃の私は進んで何かをするということは少なく、与えられた課題をただこなしているだけでした。このような姿勢に、卒論に対する意識の甘さが現れていました。夏合宿でテーマが決まらなかったことや、その後も考えを深めていけなかったのは、卒論執筆というものをどこか自分自身の問題として捉えられていなかったからという理由もあると思います。
 このような意識が変わり始めたのは、やはり夏合宿後からです。それまでは、どこかでなんとかなると思っていました。しかし、合宿でテーマが決まらず、合宿後も引き続き自分が何をテーマにしたいのかを考えることになった時に、これまで通りのやり方ではいけない、もっと気合を入れてやらなければどうにもならない、ということを実感したのです。自分の意志で本気で取り組んだのはこの時が初めてだったように思います。卒論に対する意識を新たにしたことで、今までの自分は意識が低かったのだということもおのずとわかりました。合宿後の時点では考えを深めていくことが出来ませんでしたが、「ボーカロイド10年史 2003-2012」という卒論を書きあげた今、多少なりとも考えを先に進めることが出来たのではないかと思います。この10年間でボーカロイドの扱われ方は、ファンによる非営利目的での創作活動から、企業による商業的な活動へと変化してきました。これはボーカロイドの歴史の一つの側面に過ぎませんが、しっかりと自分の卒論に取り組んだからこそ、このように流れを捉えることが出来たのだと思います。
 また卒論だけでなく、ゼミ自体に対する姿勢も変わりました。今までは自分から積極的に仕事を引き受けることは少なかったのですが、自分から進んで行動するように心がけるようになりました。特に夏ゼミ班での活動を通してそれが実践できたと感じています。夏ゼミ班の活動では、私は自分にできることをどんどん見つけて、他の班員ともコミュニケーションを取りながら効率よく作業を進めることが出来ました。私も含め、夏ゼミ班の班員全員が自主的に動いていたからこそ、作業をスムーズに進めることが出来たのだと思います。

 この1年間で私は大きく成長することが出来たと、自分では感じています。このゼミに入って1年間頑張ってきて、本当に良かったと思います。ゼミ活動を通しての自分を振り返ってみると、以前までの自分がいかに自分に甘く、何も考えていなかったかということが分かると同時に、そんな自分でも1年間でここまで考え方が変わるのだということも実感できます。しかしここで満足してしまうならば、意識の低かった以前までの自分と何ら変わりありません。今の自分に満足せず、この1年間自分が取り組んできたこと、考えたことを活かして、これからも自分を高めていきたいと思います。
 
 今回のブログは以上です。
 次回の更新は2月18日、担当者は<まいまい>です!お楽しみに!


<黒帝>

posted by 長谷川ゼミ | 22:48 | 長谷川ゼミ報告(2012) | - | - |
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