明治学院大学 文学部芸術学科 芸術メディア系列のゼミです。
週に3回のペースで活動内容などを報告していきます!
先入観

 

 こんにちは、〈うさぎ〉です。わたしたち8期生は、先日明治学院大学を卒業しました。最近は桜の花もちらほらと目にしますが、なんだか今でも大学を卒業した実感が湧きません。

 

  そして、4月からは社会人としての生活が待っています。わたしは、週末限定の携帯電話販売のアルバイトを3年半続けてきましたが、それに携われるのも残り僅かとなりました。このアルバイトでは、特定の店舗に勤めることはなく、時に遠方での仕事を振られることもあります。そのため、さまざまな土地に住む人と接することができるのです。以前は、首都圏など近場で勤務することが多かったのですが、社会人になれば色々な人との出会いが待っているだろうと考え、遠方での仕事を中心に受けることにしました。

 

  2月末には大阪で勤務をしてきました。これまでも大阪での仕事を依頼されることはありましたが、それまでわたしは毎回断ってきました。なぜなら、大阪に住む人に対して先入観を抱いていたからです。たとえば、「大阪のおばちゃんといえばくるくるパーマ」だとか、「強引に値切ってきそう」だとか、「関西弁はキツイ感じがして接客しにくそう」など、わたしが持っていたイメージのことです。そしてわたしは、これらの先入観によって、東京と勝手が違う大阪での接客は非常に難しいものだろうという意識が生じたのです。

 

  しかしながら、実際に働いてみたところ、わたしが考えていたようなことはありませんでした。むしろ東京で働くときよりも心優しい人が多いと感じました。最初にそう感じたのは、勤務地の最寄り駅に降りたときです。スーツケースを片手に店舗までの道を探していると、半袖の服を着たくるくるパーマのおばちゃんが「どこ行きたいん。」と話しかけてくれ、道案内までしてくれました。他にも、宝塚ファンだというくるくるパーマのおばちゃんが初対面であるわたしの手を握って唐突に宝塚歌劇団の魅力を語ってきたという体験もありました。インパクトは強いと感じたものの、多くの人に共通して、普段は感じることの少ない人の温かさを感じました。

 

  これは、コミュニティの外部にいる人間の先入観から偏ったイメージが形作られるという点において、ヴィジュアル系をテーマに執筆した卒論で明らかにしたことと共通しているものがあると考えました。ヴィジュアル系のアーティストやファンのイメージが、それ以外の人から作られた「不良」というイメージであったように、大阪に住んでいないわたしから「大阪」のイメージが作られていたのです。

 

  「くるくるパーマのおばちゃん」という点に限ってはイメージ通りでしたが、関西弁がキツイと感じることもなく、むしろ方言の温かみを感じたのです。わたしは、世間や周囲の情報から抱いていた勝手なイメージで、自分から壁を作っていたのです。

 

  このように、無意識のうちに勝手な先入観が作られていると考えると、すごく怖いなと思いました。先入観は経験できる機会や本質に気付くチャンスを奪うからです。

 

これからはあまり先入観というものにとらわれないように、まずは目の前の人と自然に関わってみることを意識したいです。そして、社会人になることで増える、人との出会いのひとつひとつを大切にできればいいなあと思っています。

 

  この辺りでわたしのブログを締めくくります。8期生の更新は今回で最後となります。記事の作成を通じてたくさんの気づきと出会えた貴重な体験でした。わたしが最後に担当できたことを嬉しく思います。1年間ありがとうございました。

posted by 長谷川ゼミ | 16:02 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
「Coming soon…」
こんにちは。<人事部>です。
皆さん、お久しぶりです。
春休みはいかがお過ごしでしたか。最近、SNSを見ていると、旅行の写真や飲み会の写真などが沢山挙げられているのが見受けられます。ゼミ生や友人達も卒業旅行に出掛けたり、バイトや会社の研修に追われたりと、忙しくも充実した日々を送っているようです。私はどうだったかというと、この約一か月、引っ越し作業や入社準備、卒業旅行の資金調達と、怒涛のような日々を送っていました。ですが、忙しい時に限って、パソコンが壊れたり、インターネットが使えなくなったり、テレビの地上波が映らなくなったり(今もなぜか映らない)と、ハプニングも付きものです。そんなこともあり、バタバタしているうちにいつの間にか2月は終わりを迎え、3月も半ばを過ぎ、いよいよ春到来です。花粉症の症状が悪化してきたことからも、春の訪れをこの身にひしひしと感じています。そして、春が近づいているということは、「大学生」という肩書との別れも近づいているということを嫌でも考えさせられます。指折り数えてきた残りの大学生活も、残り僅かとなりました。
今回は、最後のブログらしく、私の近況や卒業に向けて考えていることを、徒然なるままに書き綴っていきたいと思います。

 前回もお話ししたように、私はこの春から仙台に引っ越し、そこで新社会人として新しいスタートを迎えます。東京で住んでいたマンションの契約上、周りの人よりも少し早い2月中に引っ越しをしなければならず、新居を決めてから短期間で引っ越しを行いました。ちょうどこのブログ原案を書いているいま、引っ越しを終えたところです。まだ荷解きの終わっていない段ボールが高々と積み上げられ、混沌とした部屋の床にひとり座って、このブログを書いています。愛知県から上京して来る時は、引っ越しがこんなにも大変だとは感じなかったのですが、梱包作業や掃除などの終わりの見えない作業に今回はつくづくうんざりさせられました。引っ越しを終えて一番強く感じたのは、「要らない物が多すぎること」でした。私の「ミーハー」な性格は身の回りの物にもよく表れていたようで、流行り物の多さには驚きました。荷物整理のために部屋中の物を引っ張り出して一つ一つ見ていくと、「いつ買った?」「なんのために?」「使ってないじゃん」と言いたくなるような物がどんどん出てきました。一時期話題になった「ミニマリスト」というライフスタイルがありましたが、私の部屋は“ミニ”とは程遠い非常に“マス”な状態であることを実感しました。この状態を引き起こしたのは、「物を買う」→「物が増えて管理できなくなる」→「(持っている物でも)また買う」という連鎖に陥っているからであり、それに加えて、「物を買う」ことで満足感を得るという消費構造の中に自分がどっぷり浸かっていることもよく分かりました。「物が増えて管理できないこと」は、非常に無駄が多いことなのです。
また、沢山の物に囲まれて生活している自分を見返して、こんな言葉を思い出しました。 「自分の価値は、身に纏う物など自分の外にある物で決まるわけではなく、自分自身の中身で決まる」という言葉です。これは長谷川先生と母親からの言葉でした。物に囲まれることで安心感や優越感を得ていた私は、自分の価値を表層的な部分で装うとしていたのかもしれません。引っ越しを機に整理もできましたし、これからは無駄な物を増やさない生活を目指し、物で飾るばかりではなく自分の中身を磨きたいと思います。

 仙台に拠点を移して少し日が経ち、やっといつもの生活を取り戻しつつあります。このブログが投稿される頃には、新しい土地での生活も落ち着いていることでしょう。ただ、今までの生活と大きく違うのは、「誰も知り合いがいない土地に来た」という事です。本当に誰一人、友達も親類もいません。唯一名前を知っているのは、ウチに来てくれるクロネコヤマト宅急便の優しいおじさんと、春から働く職場の上司のおじさん達数人だけです。東京に出てきた時も孤独感はありましたが、それでも、その時は同じように上京してきた中・高の友人達がいました。仙台で暮らし始めてから会話をしたのは、先ほど紹介したおじさん達に加え、店員さんやナンパのお兄さんくらいです。後は毎日、愛猫のソーニャに話しかけてばかりいます。職場の上司のはからいで「3月いっぱいまでは好きなことをしておいで」と言っていただけたので、友達ともっと時間を共有したり、もっと飲みにも行きたいです。でも、仙台ではまだそういう付き合いのできる友人がいないので、それだけはやはり寂しいです。
でもある意味、一人の時間を思う存分有効活用できるのも今しかないな、と思うようになりました。母は私によく「孤独を恐れるな」と言います。母から言われた中で忘れられない言葉があり、皆さんにも一度考えてみてほしいと思ったので、その言葉をここに載せようと思います。

「孤独を楽しみなさい。孤独は悪くない。結局最後は『自分一人』、人間て。 そこが基本で、その上に『人生はチームプレイ』があるわけ。孤独な時間こそ、人間を育てると思うよ。ぼーっとしている時間こそがあなたを育てる。
あなたを妊娠した直後に読んだ本が『子どもが一人でいる時間』だった。子どもが一人でぼんやりしている時間を奪ってはいけない、とあった。『夢中になる』とは、究極の孤独を楽しんでいるってこと。夢中になれ、孤独を楽しめ、その上で『仲間と楽しめ』。」

新しい生活を始めた時、何か新しいことを始めた時、誰しも最初は孤独だと思います。でも私は孤独を恐れて、常に誰かと一緒にいることを求めてしまいます。母に先ほどの言葉を言われた時、本当の意味で孤独を恐れずに夢中になれるような人になりたいと強く思いました。新しい土地に来て孤独だからこそ、多くの発見や驚きも沢山あるはずです。孤独だから何かを求めるのではなく、孤独だからこそできることもあるのです。せっかく東北に来たので、行動的になって、卒論のフィールドワークでは回り切れなかったお化け屋敷にも行ってみようと思います。4月からは忙しい毎日になると思うので、大学生としての残りの一日一日を大切にして、今やりたい事、やるべき事、今しかできない事の見通しを立てて生活していきたいです。

私が生まれて22年と数カ月。そのうち、小中高大と16年間は「学生」として生きてきました。考えてみれば、今までの人生の半分以上は「学生」です。人生を歩んでいく中で必要な事から、何の役に立つのかわからない事まで、様々な事を学び、練習し、実践してきました。「学生」という社会的立場の中に置かれていることは、特に意識せずとも当たり前のものに感じられ、どこか安心感のあるものだったようにも思います。「学生」でいる間はやるべき事も提示され、そのやり方や間違いや正解も誰かが教えてくれる事が多くありました。しかし、これからの人生は今までとは全く違うものだと思います。これからは、今まで自分が体験したことのない領域に進んでいくのです。不安も日に日に増していくかもしれませんが、それと比例して期待感も高まってきました。新しい環境でのスタートは寂しさも大きいですが、これからの出会いや経験を楽しみに毎日少しずつ成長していけたらいいな、とそんな事を仙台の寒空の下で考えていました。

 さて、これで〈人事部〉最後のブログを終わりたいと思います。
ブログだからこそ書けること、知れることが沢山ありました。〈人事部〉のブログを読んで頂いた皆さん、いつも修正をしてくれたゼミ生、ご指導して頂いた長谷川先生、今までありがとうございました。

第8期最後のブログ担当は、〈うさぎ〉さんです。お楽しみに!
posted by 長谷川ゼミ | 00:39 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
自分の力

  

  みなさん、こんにちは。いちご大福です。

私はこの春休みに、卒業旅行としてイタリアとクロアチアに行ってきました。自然や建物がうつくしく、バスの窓から外をぼーっと眺めているだけで、しあわせな気分になる場所でした。


  今回の旅行では、テロなどによるヨーロッパの情勢が心配だったこともあり、添乗員付きのツアーを選択しました。参加者は20名ほどで、そのほとんどが私たちと同じような大学4年生でしたが、大学院に通う50代の女性が1名と、旅行関係の仕事をする40代の男性1名も参加していました。


 ツアー中は、長い間行動を共にすることもあり、ほかの参加者の方たちと仲良くなりました。そのなかでも、40代の男性や添乗員の女性とは特に親しくなりました。


 40代の男性は、普段は熊本県で観光バスの運転手をしているそうで、旅行会社の福利厚生を使って、年に5〜6回海外へ行くと言っていました。20代のころはバックパッカーをしており、バイクで日本を一周した経験があるそうです。海外にはいつも1人で出向き、WiFiなどもほとんど使用せず、身ひとつで旅をするといいます。

添乗員さんは、おそらく40代前半くらいの女性ですが、年に5〜60回ほど仕事で海外に行くために、日本にはほとんどいないとおっしゃっていました。海外で日本人を案内することを生業としているので、なんでもこなせるのは当たり前かもしれませんが、参加者の忘れ物や運転手の大幅な遅刻、大雪での行程変更、部屋の窓枠の破損(壊したのは私です)など、どんなトラブルが発生してもドンと構え、焦らず動じず、さまざな言語を用いて対応している姿をみて、とてもたくましいと感じました。


 そんな男性や添乗員さんの話を聞くうち、私も「こんな風に自分でなんでもできるようになりたい」と思うようになりました。と同時に、やりたいことは「やるぞ」と決心して本気で取り組めば、なんでもできるのだろうなと思いました。

 男性も添乗員さんも、どこの場所へ行っても、自分の身は自分で守る力を身につけています。語学力もきっとあるのでしょうが、それ以上に、何か困ったことがあった時に、自分で切り抜ける力を持っていると感じました。旅行中、もし私がこの土地に1人放り出されたら、1人では何もできないのだろうなと何度も思い、人(添乗員さん)にやってもらうことの危うさを感じました。すべてを人に任せてしまうというのは、確かに楽かもしれませんが、人に全面的に依存します。それは自分の力で自分を守るという選択肢を完全に切り捨てた、非常に危険でもったいない選択です。今回の旅行を通して、自分の身は自分で守る、その力を身につけなければならないと強く思いました。そして、男性や添乗員さんが、「やりたい」と思ったことを、自分で勉強して経験して、そのリスクも含めて体得している姿をみて、本気で取り組めばきっと何事もできるようになるのだろうし、やりたいことがあるならばやってみればいいのだろうと思うようになりました。


 私はいままで、同じようなスーツを着て、同じような髪型をして、ヨーイドンで新卒一括採用のスタートを切って就職先を見つけることや、正社員として働き始めてそのうち結婚する、というような生活が当たり前なのだろうと思っていました。そして、ある種の決められた道、大学生の大多数が歩くであろう道から逸れてしまったら、それはきっとなにかを「踏み外してしまう」ことなのだろうと思っていました。


 しかし、それは違いました。どんなことでも、自分が本当にやりたかったら、やってみればいいのだと思います。たとえやりたいことをやってみたことでそれまでの生活が一変したとしても、自分の力で勉強して、経験して、たくましく生きていけばいいのです。むしろ、ほかの人と同じように与えられた道にいるだけでは、自分で何かを選択することをしなければ、ほとんど何も学べないのではないかと思いました。


 ヨーロッパ旅行は、とても楽しかったです。ツアーでたくさんの人と出会って、その人たちの生き方を知って、自分が「あたりまえ」の枠にとらわれていたことに、ふと気付かされました。


 社会人として働きだすまであとすこしです。ずっと学生でいたいという気持ちもありますが、新しく働き始める環境にワクワクする気持ちもあります。働き始めれば、きっと辛い思いをすることも多いのでしょうし、自分がやりたいことなんて考えている暇もないくらい、忙しくなるのかもしれません。ツアーで出会った男性は、「会社のために働くことや、出世をすることも、たしかに生き甲斐かもしれないけど、それより何よりも自由な時間が大切」とおっしゃっていました。私は、何を生き甲斐とするかは十人十色だなと思いながらも、「会社のために働くことや出世をすること」に没頭しているあいだに、気付かないうちにそれが「生き甲斐」となってしまう場合もあるかもしれないと思いました。何か大きな組織の中にいる時は、その時の状態を客観的に把握することはなかなかできません。仕事に追われる忙しい日々の中で、ついつい頑張りすぎて気づかぬ間に苦しくなることもあるだろうと思いますが、すこし立ち止まって、自分を客観視することや自分の気持ちを聞くことを忘れずにいたいと思います。そして、もしやりたいと思うことがでてきた時は、腹をくくって取り組んでやろうと思っています。自分の力でたくましく生きていこうと思います。


 <いちご大福>がブログを書くのも、この記事で最後となりました。

いままでのブログは、とにかく頭が凝り固まっていてかたい文章ばかりだったように思いますが、今回のブログで、はじめてすこし柔らかい頭で書けたなと思っています。

次回の担当は<人事部>さんです。


1年間ありがとうございました。

posted by 長谷川ゼミ | 15:30 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
いままでとこれから

 

 こんにちは。<スウィート・チリ>さんの都合により、今回は<チャーリー>が担当します。

3月も中盤に入り、いつのまにか暖かくなってきましたね。今着ている上着が必要なくなった頃には、きっと多くの人は社会人として新生活を送っているのでしょう。最後の学生期間である今がもうしばらく続いてほしい気持ちがある一方で、どこかこれからが楽しみな気持ちもあります。新生活は、きっと期待するほどには上手くいかず、まあまあ大変な日々を送りつつも、そこそこに幸せな日々なのではないかと、なんとなく思っています。

 

 

 私が4月からの生活に対して楽観的でいるのは、「就職をしない」という選択をしたためかもしれません。その代わりに、私はこの春からの1年間、「リゾバ」をすることに決めました。リゾバとは「リゾートバイト」の略で、ホテルや旅館、スキー場などといったリゾート地で住み込みのアルバイトをするというものです。私は1施設当たり23か月を目安に、全国の複数の施設で、仲居などとして接客業務をしようと考えており、最近は仕事先となる宿を探しているところです。

 求人の関係で、実際に宿探しを本格的におこなっているのは最近ですが、昨年8月の夏合宿の後に、新卒就職の辞退を決めました。それまでの約半年間は、私も多くの大学生と同様に新卒一括採用での就職活動を行っていました。ちょうど1年前、就職活動が始まったばかりの頃は、「もし就活先が決まらなかったら」という不安と「私にだって就職できないはずがない」という過信との間で、必死になって都内を走り回っていたことが思い返されます。当時の私にとって「内定」とはまるで「普通の人」であるという証のように感じられ、その証欲しさにムキになっていたのだと、今になって思います。

 

 就職活動開始時は、自分が「成長」できそうで、楽しそうで、格好いい、という浅はかな理由で、広告業界や不動産業界の営業職を志望していましたが、なかなかうまくいきませんでした。その最中の6月頃、ゼミで私が母親と依存状態にあることを指摘されたことをきっかけに、親と物理的な距離を取るために、一人暮らしができる企業を希望するようになりました。しかし、社会人1年目と一人暮らし1年目を同時にスタートさせることはあまり現実的では無かったようで、面接官の方にも「自立したいのは立派だけど、焦らず最初は実家から通ったほうがいい」と止められることがほとんどでした。またこの頃は私がチーフを務めていたプロジェクトAが企画立案と企画倒れを繰り返していた時期でもありました。人の話をそのままの形で理解することや、見通しを立てながら物事を考えることなどといった思考に関する当たり前の習慣が無いことや、いくら気合があってもそれだけではどうにもならないことなどを知りました。他にも様々な面において今の自分の力量というものがみえてきて、現状の自分は社会人として果たすべき責任を全うできる段階には到達できていないのではないか、と思うようになりました。それでも新卒一括採用での就職にこだわっていたので、飲食店でのアルバイト経験をもとに、そのまま飲食サービス関係の企業へと方向転換をしました。「飲食業はブラック」という言葉をよく耳にしていたので、楽しそうでおしゃれな「世界観」や「雰囲気」をつくりあげる空間デザイン業もおこなう「夢のある」企業に飛びつき、なんとか内々定をいただきました。しかしゼミでの勉強をしているなかで、「雰囲気」や「世界観」などといったイメージをつくりあげることに対しての興味関心も薄れ、最終的に手元に残ったのは、「私の将来、本当にこれでいいのかな」という疑問でした。

 

 ゼミ合宿や集中講義が終わってひと段落ついたとき、今までとこれからのことについて考える機会がありました。そしてその時、卒業後に自分がいちばんするべきだと判断したことは、とにかく「親元を離れて、自分の力で生きてみること」でした。そしてそれが実現できそうだと思って選んだのが、先出の「リゾバ」でした。リゾバであれば、働いている以上は住むところがあり、食事が支給されることも多く、生活に困らずに親元を離れて暮らすにはとても条件が良いと考えました。またアルバイトの経験をもとに、サービス業はある程度自分に向いている業種ではないかと考えました。これらのことから、1年間リゾバをするという選択は、自分にとっていちばんよい選択ではないかと思いました。

 とはいえ、「就職しない」という選択が、自分にとって本当に良い選択だといえるかどうかはまだまだ分かりません。それに、自分が自覚的ではなかっただけで、社会人になるのが怖くなって逃げだしたという側面もきっとあるのだと思います。それでも、自分自身で選択したことなので、その選択の妥当性はどうであれ、決めた以上はしっかりやっていこうと思います。

 

 周囲の人に「新卒就職を止めた」と報告すると、笑われたり不思議がられたりと、理解できないというような反応をされることがよくありました。その反応を見て、「就職をしない」という選択は、一般的にみると「普通ではない」のだということを肌で感じます。それこそ1年前の私は、自分が「普通」でないと評価されることに怯えながら、周囲の人と自分を比べて、不安や劣等感のなかに埋もれていました。今までずっとこだわってきたはずの「普通かどうか」という主観的な基準について、その存在を忘れてしまうほどに手放せたことは、ゼミ活動を通して変わったことのひとつです。

 周囲に私の進路を不思議がる人がいる一方で、私の話に耳を傾けてくれて、背中を押してくれる人たちもいました。 たとえば母親は、就職辞退を考えるに至った経緯を説明したところ、特別反対することもなく、意外にも「それがいいんじゃない?」とあっさり承諾してくれました。父親は最初こそ顔をしかめたものの、「でも<チャーリー>が決めたなら、別に反対はしないよ」と言ってくれました。また親しい友人たちのなかには、「きっといい経験になるね」「がんばって」と優しい言葉を掛けてくれる人がいました。

 

 ところが最近になって、母親は「頑張っても出来ないことってあるのよ」「そんなんでこの先ひとりでやっていけるとおもってるなんて、甘いんじゃない?」などの言葉をひんぱんに掛けるようになりました。失敗を前提にされていることに対して腹が立ち、感情的に言い返したくもなりましたが、せっかくの機会だと思い、粘り強く話し合おうと努めてみました。その結果、母親はただ単に「本当につらくなった時には、潰れる前に助けを呼んでほしい」と思っていただけであるということがわかりました。そういう大事なことをそのまま言葉にして伝えてくれさえすれば、誤解が生まれることも口論になることもないのに、とも思いましたが、私が自覚していたよりもずっと母親に愛されていたことに気づけた出来事でした。また、いつもふざけあう仲だった高校時代の友人たちと再会した日の別れ際に、「実は結構<チャーリー>のこと心配してるんだよ」と言われました。

 

 母親や友人たちに心配されていることを知ってから、当の本人が感じているよりも、私の姿は危なっかしく見えているようだとわかりました。このことを通して、どんな選択肢を選ぶかということももちろん重要ですが、それ以上に、選んだ選択肢を進むその人がどのようであるかということがとても重要なのではないかとおもいました。この点からみると、少なくとも今迄の私は、夢見がちで気分屋で、根性論をもとに無茶をしがちだったので、危なっかしく映っているのは当然だと思いました。

 

 

 新しいことを始めたときは、やることなすこと上手に出来ないのは自然なことです。しかし、その「出来ないこと」を「出来ること」へと変えるためには、じっさいに身体が覚えるまで繰り返し練習していくほかありません。そのときには、派手な理想を掲げることも、上手くいかない現状を嘆くことも、気合を入れようとすることも、自分の「がんばり」を周囲の人に認めてもらおうとすることも、きっと必要ありません。これからは、言い訳をしないで、持っている頭と身体を使って、目の前にあることをひとつずつこなしていきたいです。

 

 

今回の記事はここまでとします。ありがとうございました。

 

posted by 長谷川ゼミ | 14:18 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
変わっていく

 

こんにちは。〈ミルクティー〉です。

2月に入り、テストやレポート期間も終了し、最後の春休みへと入りました。つまり学生生活の残された時間もわずかということです。私はというと、卒論執筆に打ち込んで働けなかった分を取り戻すかのように、連日アルバイトをしています。

 

自分の大学生活を振り返ると、4年生の1年間は、大学生活の中で1番濃い時間だったような気がします。就職活動が解禁された3月頃には、毎日のようにエントリーシートに追われながら、面接対策や、SPIの勉強をしていました。

それと同時に、ゼミも始まったので、就職活動とゼミ活動の両立をしていました。夏休みに行った夏のサブプロジェクトのラジオ企画でも、ゼミと就職活動について話していたことを思い出します。就職活動がひとまず落ち着いたと思えば、息をつく暇もなく卒論やゼミのことで手一杯になったような気がします。

 

卒論を書いている時は、本当に嫌になることが多かったことを覚えています。卒論を書いている時の息抜きは、何かを食べること以外にはありませんでした。手がパソコンから離れると、驚くほど無意識にお菓子に手が伸びてひたすら食べてしまいます。そのおかげで、体重が増えてしまいました。3月までに増えた体重をどれだけ戻せるかが今の私の最大の課題です。

 

逆を言えば、「3月までに体重を戻す」という課題を自分に課せることができるくらいに、今時間が有り余っているということが実感できます。この1年を振り返ると、常に時間と緊張感に追われているような切羽つまった感じがしていました。現在はそれから解放され、まだ4月の心配をするのも早いこの23月は、時間がないようで、思った以上に時間があります。今までの私なら、この時間でひたすら家にいることを選んだと思います。しかし、今はそれが少しだけ怖く感じます。なぜなら、糸が切れたように「何もしない」状況にすぐに順応してしまいそうだからです。

 

ゼミ活動を通して、自分のなかで「少しだけ強くなった」と思うことがありました。月1回の発表やゼミ生との話し合い、卒論のための調べもの、雑誌の言説の収集などを行い、卒論提出の日まで、逃げずにひたすら執筆し続けてきました。そのなかで、具体的にと言われるとうまく言葉にできませんが、自分が感じる範囲で今までとは違う自分に出会えた気がしました。しかしいまは、そうやって出会えた新しい自分がこのまま歳を重ねていくにつれて、消えてしまいそうな恐怖があります。

 

11日、自分の気持ちも考え方、体調は変わっていきます。それは、必ずしもいい方向とは限りません。悪い方に変わっていくのは、良い方に変わるよりも簡単で、本人が気づかないような速さで悪い方へ落ちていくような気がします。それに気づけるのも本人しかいません。なぜならば、周囲は悪い方向へ落ちていることに気づいても注意はしてくれないからです。むしろ「落ちるところまで落ちればいいのに」と思っているかもしれません。そう思うと、ゼミ生といろいろな話し合いをしたり、相談や助言をし合えたこの1年は貴重な1年間でした。

 

そうやって、1年間自分の中で積み重ねたものが消えるのは積み重ねる時間よりももっとずっと早いのだと思います。そう思うと、アルバイトや遊びの間の時間をうまく使って、今の自分よりもさらに成長できるようなことに時間を使う努力をする必要があると思いました。ブログを書いている時点は、何を具体的にとまで考えついていませんが、今まで知れなかったことを知ることができるようなことをしたいです。

 

余談ですが、夜型体質を変えることも今後の自分のためにやりたかったことの1つのことです。社会に出る4月までにきっちり訓練したいと思います。

 

以上、〈ミルクティー〉でした。

次回の担当は、〈さとうきび〉さんです!!

posted by 長谷川ゼミ | 03:14 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
段取りを立てる大切さ
みなさんこんにちは。〈うさぎ〉です。先月の1月27日(金)には、卒論の口頭試問がおこなわれました。ゼミ活動における最後の関門を全員が無事突破することができ、ほっと一安心です。しかし、このことは同時に公式なゼミでの集まりが最後であることをも意味します。それに対してわたしは、まだあまり実感が湧かないのですが、なんだか寂しい気持ちでいます。

さて、今回のブログでは、この口頭試問についてお話したいと思います。わたしたち長谷川ゼミでは、毎年公開形式での審査としてこの口頭試問がおこなわれています。この審査は、まずゼミ生が自ら執筆した卒論についての発表をします。長谷川先生から質問をいただいた場合はそれに回答し、最後に長谷川先生から講評していただく、というものです。この審査が公開形式であるために、主査の長谷川先生はもちろんのこと、まわりのゼミ生や、観に来てくださった先輩方からの視線を受けることになります。今まで自分の決めた卒論に関するテーマや進捗に関する発表は毎月のように経験してきましたが、口頭試問はそれらのどの場面よりも緊張するものでした。自分の執筆した卒論を可もなく不可もなく振り返ることは、「自分で」書いたものだからこそ難しくもありました。

わたしは、「雑誌『FOOL’S MATE』における「ヴィジュアル系」イメージの成立と変遷??Xから名古屋系、ゴールデンボンバーまで」という題をつけ、「ヴィジュアル系」を題材とした卒論を執筆しました。口頭試問の準備にあたり、提出した自分の卒論を読み返すと、卒論に対する不足点が見えたとともに成長できた点も発見することが出来ました。

さきほど述べた毎月の発表では、自分たちの卒論のテーマに関する先行研究で明らかになっていることを調べ、それをもとに自分自身で「問い」に繋がる疑問点を洗い出す、という作業をおこなっていました。わたしは過去の自分の発表を振り返ると、この作業を適切におこなうことが出来ていたとは言えません。卒論の題材として扱う以上、これまでのような「ファン」という立場から抜け出して、「ヴィジュアル系」を客観的に見つめ直す必要がありました。しかし、わたしはさまざまなアーティストのプロモーションビデオを見て主観的な類型をしたり、まったく関係のないことと関連づけて共通点を挙げてみたりと、的はずれなことを続けて時間を浪費していました。

そのことを長谷川先生から指摘され、先行研究への取り組み方を自身の議論に結びつくようなものに改めました。基本となる知識をひとつひとつ身につけたおかげで、「的はずれ」な知識が活きる場面もありました。たとえば、1990年代当時は暴走族をはじめとして「不良」という存在が外見だけで判断されるという風潮がありました。当時の「ヴィジュアル系」のアーティストは、髪を逆立て色鮮やかな衣装を身にまとい、「鬼メイク」と呼ばれる派手な化粧をほどこしていました。そのため、暴走族などと同様のものと見なされ、「不良」というイメージが持たれていたようでした。これは1990年代の社会的な風潮と結びついているため、「ヴィジュアル系」全体に共通するものとは言えません。発表のなかでは、現在活動するアーティストを含めた全てに言えることだと主観的に述べていた点で安易でした。しかし、このような「ファン」としての感覚をもとに探り進めていったことは、先に述べた当時の風潮を知る手がかりのひとつになったので、無駄ではなかったと思います。

ただ、アーティストに比重を置いて勉強を進めてしまったことで、自分の卒論において重要な観点であるジェンダー論についての勉強やファンとはどういうものかということへの理解が不十分になってしまいました。ゼミでの1年間で、もっと時間の使い方を考えて過ごすべきだったと思います。このように思うのは、ゼミ生全員でおこなったプロジェクト活動の経験があるからです。そこでは、全体のスケジュールを考えてから実行までの段取りを立てるという手順がありました。この取り組み方を身につけたからこそ、ゼミ生としての1年間の段取りを自分自身で立てるということが必要だったのだとわかりました。

今後もなにかに取り組むときは、ゼミで学んだ、「全体を見通すことの大切さ」と卒論での反省点を活かしていけると考えています。そして、残りの大学生活を有意義に過ごしたいと思います。このブログひとつとってみても、日々気づくことがたくさんあります。ちなみに社会に出るまでの残された2ヶ月間は、「思う存分ヴィジュアル系のライブに参加する」ことと、いままで日本から出たことがないので「海外に行って知らないものに触れる」ことをしよう!と決めています。

次回の担当は、〈ミルクティー〉さんです、お楽しみに!!
posted by 長谷川ゼミ | 14:38 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
春風に乗って


こんにちは。<人事部>です。

寒さも落ち着き、小春日和のような日も続いていますね。花粉と共に春の訪れを感じています。(私は酷い花粉症です。)そして、卒論提出から少し時間が経ち、心にも体にも少し余裕ができたので、これまでのことやこれからのことにあれこれと思いを巡らす毎日を送っています。12月中は、卒論執筆に全ての時間・体力・精神力を注ぎ、色んなことを我慢していました。なので、その反動で今、食欲と購買欲が暴れまわっています。春は何かとお金がかかるので、もっと冷静にならないといけません。でも最後の大学生活、やりたいことや欲しい物は尽きません。
そして、春の訪れが待ち遠しくもありますが、全く不安がないという訳でもありません。やっと卒論という大きな課題を乗りえた今、新しい一歩への不安や期待などいろいろな気持ちが入り混じっています。

実は私は、春からこの東京の地を離れ、仙台で社会人として新しいスタートを切ります。地元愛知を離れ東京の大学に進学し、この春からは、更に新しい土地へと進出することになります。卒論執筆やゼミ活動に追われながら就職活動を何とか終え、反省すべき点や心残りは数えきれないくらいありますが、なんとか新しい進路を見出すことが出来ました。仙台は私にとって未踏の地です。仙台と言えば、牛タンと一ノ蔵(日本酒の銘柄)くらいしか知りません。つい先日までは、仙台が山形県なのか宮城県なのかの認識も危ういほどでした。これからどんな生活や経験が待っているのか、まさに不安と期待で一杯です。卒論執筆の時も感じていましたが、社会へ新しい一歩を踏み出すというのも、自分の世界を広げていく活動の1つだと思います。新しい世界を知って、知識や経験を増やしていけるというのは、幸せなことです。
東京に進学してきたときも、両親や地元の友達と離れることを覚悟して上京してきましたが、それでも最初はどうしようもない孤独感に襲われることがありました。新しい生活に不安はつきものです。しかし気が付けば、東京にたくさん友達もでき、忘れられない思い出も、大好きな場所もたくさんできました。愛知の田舎育ちの私にとって、憧れの地だった東京は、今や第二の故郷のようだとも感じています。愛知、東京、その次の第3ステージは仙台(宮城)です。少しずつ活動拠点を広げていくことで、「もっといろんなこと・ものを知れる!」と今は自分を鼓舞しています。でもやっぱり、寂しい気持ちは大きいです。

卒論執筆を続ける中で、時折、卒論を出した後のことを考えることがありました。「自分がどんな大人になりたいのか」、「どんな人生をおくりたいのか」、と。卒論執筆中は、自分の「問い」という課題に取り組むのはもちろん、それ以上に、自分自身と向き合ういい機会でもありました。都合がよくて怠け者なところも大いにありますが、将来は出来るだけ働き続けて、自分の世界や活動範囲を広げたい、と漠然と考えていました。その気持ちは、フィールドワークを選んだことにも関係があるのかもしれません。卒論執筆はそれだけで十分苦しくもありましたが、課題に取り組んでいる時だからこそ考えられることもありました。そして、今まではただ「考える」ばかりでしたが、春からはいよいよそれを実行に移さなければいけません。

この1年で経験したこと、考えたこともこれからの人生に関わらないわけがありません。今までは、周りの力も借りて、課題をみんなで乗り越えられてきましたが、まずは自分の中でしっかり考えて、1人でも乗り越えられるようにならなければいけません。この1年、卒論執筆やゼミ活動で「考え方」、「物事の進め方」を学んで実践してきました。今まで身に付けた力をどう発揮できるかは自分次第です。卒論やゼミ活動の振り返りをするとともに、なぜ自分が卒論やゼミを選んだのか、どうなりたかったのか、これからどうなりたいのか、をもう一度よく考えています。春までにやることはまだまだたくさんありそうです。

さて、今回はここまでとします。担当は<人事部>でした。
次の担当は<うにょらへ>さんです!
お楽しみに!
posted by 長谷川ゼミ | 18:20 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
中身


こんにちは、<チャーリー>です。私達長谷川ゼミ8期生は、今月の1月11日に無事卒論を提出し、卒論の執筆活動は終了しました。卒論執筆が本格化した昨年の秋から提出までの数カ月間をふりかえると、駆け抜けるような速さで過ぎていったように感じます。卒論提出日を遥か先に感じていた当時を思い出すと、どうにかこうにか卒論を提出できたことにたいして感慨深い気持ちになります。しかし今の私には、それ以上に自分の卒論の内容や取り組み方への後悔や反省のほうが圧倒的に大きく感じています。
今回のブログでは、その後悔と反省から見えた自分の物事への取り組み方に関してのお話をします。

 私の卒論は、「『学校剣道』において『成長』は、どのようなものであると語られているか」ということを、雑誌『月刊剣道日本』を調査資料にして探ろうとするものでした。私は、ゼミ内の卒論提出日であったクリスマスの3日前に、なんとかすべての雑誌に目をとおすことができました。しかし、その次の段階である言説を論文に組み込むという最も肝心な部分で、私は大きくつまずいてしまいました。
“『月刊剣道日本』から「成長」をみる”という抽象的な方向性は定まっていたものの、具体的になにをどうすればそれが可能になるのか、ということが全くみえていませんでした。なぜなら、「剣道」から「成長」を見よう、という私の「切り口」があっても、雑誌に書かれていることはあくまで「剣道」のことでしかなかったからです。そのために、そもそも「成長に関する言説」というものがどれなのかということを選別することもできず、資料の前に立ち尽くすことになりました。
このような状態であるにもかかわらず、「『剣道』を『剣道』として捉えるのでは、ただのオタクと変わらないのではないか」という決めつけがあったので、私は雑誌『月刊剣道日本』の内容からいきなり「成長」をみようとすることをやめませんでした。見えない「成長」を捕まえようとしては、これでもできないあれでもできないと試行錯誤しました。視点や方法を変えながら、手元にある資料を何度も読み直しました。そして、「これなら『成長』が見えるかもしれない」と思えた方法をみつけては、その方法で整理したり書き進めたりしてみました。しかししばらくすると、自分が何をしているのかわからなくなって、きっとこの方法ではうまくいかないのだろうと手を離し、再度資料を読み直しました。そうこうしているうちにも時間は刻一刻と過ぎていき、その焦りからいろいろな方向から記事を見ては書き進めましたが、着眼点や論点が、時代や記事ごとにバラバラになってしまいました。それではいけない、と無理矢理ひとつの方法論を捏ね上げて、それに従って強引に書き進めることもしましたが、やはり途中で行き詰まり、最後までやり通すことができませんでした。
本論への取り組み方を二転三転し、迷っていたこの時点では、雑誌『月刊剣道日本』から「成長」に関する言説を読み解き分析することは、私には不可能でした。それなのに、「できない」という現状を認めず「もっとも良い本論への取り組み方」を探すことに腐心し、「絶対にあきらめない」と必死になりました。それは、「適切な方法」にさえ自分が辿り着ければ、あとは道が開けるのではないか、という甘い考えによるものでした。その結果、いつまでも卒論を書き進めることはできませんでした。このままではどうやっても終わらない、ということに気づいて苦しくなったころ、ゼミ内の最終提出日を迎え、とうとう脱稿できないままの提出となってしまいました。多くのゼミ生が卒論を完成させているなか、私は完成の目処すら全く立っていない状態でした。

 今迄の一連の態度が間違っていたと気づいたのは、最終提出で送付されたゼミ生の卒論のなかの「反省」を読んだときでした。そこには、「もっとこうすればよかった」「これが足りなかった」というような「あと一歩」及ばなかった点を挙げるようなものだけでなく、問いや調査資料、あるいはアプローチの仕方といった、卒論の中心的な「幹」の部分にたいしての反省もあったのです。これを見て、ハッとしました。私が想像していた「反省」とは前者だけで、後者のような「幹」に対する問題を「反省点」というふうには認識していませんでした。つまり、これが大きな間違いだったのです。たとえ卒論の「幹」にかんする問題に気付いたとしても、卒論本提出まで2週間を切っている時期は、今更その問題を修正するような段階ではありませんでした。残された時間を考慮して、そのなかで自分に出来ることをして、なんとしてでも卒論を書き上げるべきでした。私はただ、「できない」という現状をどうにかひっくり返そうと躍起になっているだけで、現状でも出来ることをしようとしておらず、そのために卒論がいつまでも書けなかったのだとわかりました。
卒論の現状を考えたら、「今の自分に、『成長』をみることはできないな」と思いました。そして、「『剣道』の指導のブームなどを見たところで、一体何の意味があるのだろう」と心のどこかで思いながらも、指導者が直接語っていることや、記事が間接的に重要なものとして語っていることをそのまま「剣道」として捉え、時期ごとに整理することにしました。すると、たとえば「練習」や「強くなること」に比重が置かれ、練習の方法や内容を盛んに語る時期もあれば、部員たちの態度やふるまいなどをどう教育するかといったことを多く語る時期もある、といった明らかな違いがありました。そしてその時期ごとに登場するキーワードや指導の方法は違いがあるものの、その先にある「部員に身につけさせようとすること」にはあまり変化がないことなどがわかってきました。今迄どうやっても見えなかったいろいろな特徴や変化が、はっきり見えてきた瞬間でした。これらの発見からは「成長」への道が開けたようにも感じましたが、それは提出の前日のことで、実際には何ひとつ間に合わせることができませんでした。
結局、言説分析は「あの記事のあの言葉が例としてわかりやすい」といくら思っても、今から分析して書き起こす時間もなく、今迄気まぐれに書き起こした言説をかき集めて、ほんの少しの解説を加えただけでした。考察もほとんどできず、その本体以前の章には私の主観を書き並べたような部分がいくつもありましたが、諦めるほかありませんでした。大慌てで印刷して「提出」を完了させたあとに、多くの誤植や抜けなどを見つけました。形式的な「卒論提出」を達成したにすぎませんでした。

 必死に試行錯誤することをあきらめなければ、なにかに辿り着けるような気になっていました。「ちゃんとした卒論を書くんだ」という意志を持ち続けていれば、最終的にはある程度「ちゃんとした卒論」を仕上げることができると思っていましたが、それは大きく間違っていました。「気合充分」で事に当たれば「いい結果」につながる、という考えと根本は同じようなもので、非常に自己満足的で自分勝手な考え方でした。

 必死に目標にしがみつくような私の態度は、到達までのプロセスの一切が抜け落ちていて、肝心な「中身」が空っぽでした。「中身」とは、当たり前のひとつひとつのことを積み上げていくような、着実で誰にでもできる作業です。それをどこまでも軽視して怠っておきながら、目標に到達できるはずもありませんでした。そんな「中身」のない私の取り組みは、そのまま「空っぽな卒論」という目にみえる形になって表れました。そしてこのことは、決して「あと一歩が足りなかった」というような惜しい失敗ではありませんでした。「結果が悪い」ということは、その過程が不充分あるいは不適切であったことを示していると思いました。そして「中身」というのは、決して「頑張った」「必死になった」といった感覚的で自分基準のものではなく、これまでの自分の選択や行動といった具体的なものによって形成されるのだと思いました。

 夢見がちで足元が疎かな私の態度や行動は、今回の卒論に限らず、きっと他の多くのことにも言えるのだろうと思いました。私は「自分がなにをして、なにをしなくて、その結果なにができて、何ができなかった」という冷静な振り返りをすることが苦手で、「必死になった」「よく考えた」「何回かやり直した」などという感覚的で抽象的な回答をしがちです。さらに言うと、結果にかかわらずたいていのことは、「自分なりには頑張った」とまずまずの好評価をつけていました。
私はよく「<チャーリー>が頑張っているのは、よくわかるよ」と、周囲の人から言われてきました。この言葉は、私の熱心そうな姿勢を評価している場合もあれば、失敗や空回りをしているとき、どうしようもない慰めの言葉として「頑張り方」の不適切さを間接的に指摘していることもありました。しかし私は、「頑張っている」ことを盲目的に「良いもの」だと信じていたので、自分の取り組み姿勢自体を「頑張っている」と表現されたことにたいしてうれしく思っていました。そして自分の取り組み方が「正しい」のであれば、「悪い結果」を「良い結果」へと変えるまでにはきっと「あと一歩の差」しかないのだろう、とどこか惜しい気持ちでいました。前者はともかくとして、少なくとも後者にかんしては、「頑張り」が「結果」となんら結びついていない状態に対して向けられたものであることから、その「頑張り」を評価しているはずがありませんでした。そんなことにも気づかず、私は自分の姿勢だけでなくおこないまでも無条件に良いものだとみなし、「いつかきっとうまくいく」と能天気に夢見ていました。自分が「結果を出すにふさわしい中身を実際に行っていなかった」ということは想像もしませんでした。

 今になってわかることは、「空回りばかりする」というのは、不器用だとかそういう問題なのではなくて、肝心な「中身」がないからだということです。今迄の私がしてきた失敗や空回りの大半は、目の前にあるものや自分がすべきことにたいして、等身大で着実な作業をしなかったことに起因するのだと思いました。そしてその努力をしない代わりに私がしていたことは、その積み重ねのはるか上空にしかない「結果」や「成果」を得ようと手を伸ばしてバタバタと足掻くことでした。
と、いくら頭で思ったところで、行動として手を動かさないことには今迄と何も変わらないので、物事の大小や自分の興味関心の強弱にかかわらず「手を動かして進める」ことに尽きると思いました。


最後までお読みいただきありがとうございました。次の担当は<パラサウロロフス>さんです。お楽しみに。
 

posted by 長谷川ゼミ | 23:59 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
人生のびしろだらけ
 こんにちは。<スウィート・チリ>です。
 1月11日、ついにゼミ生全員が卒業論文を提出しました。このブログはその翌日に書いています。これまでの睡眠不足を取り返すかのように存分に眠りましたが、それでも体中からだるさが抜けずにいます。まだあまり実感がわかず、何もしていないという状況がふしぎに感じられて母の真似をして今までやったことがなかった編み物に手を出しているような状況です。また、「卒論が終わったら絶対に買い物をする!」とずっと決めていましたが、いざ街に出てみると何を見ても自分が何を欲しいのかまったくわからず、結局何も買わずに帰ってしまいました。「購買欲、作られていた…!」と実感したできごとでした。

 さて、話は変わりますが、わたしは卒論を提出してから、普段はあまり使わないSNSに「卒論をやり遂げた」ということを投稿しにいきました。SNSには「こういう遊びをした」だとか「こういう努力をした」といったような「アピール」はしすぎることはよくないと思っていますが、提出直前の約2か月間は、遊びやコンサートなどの誘いを断ったり、バイトの繁忙期にもまったく働かなかったりと「卒論」を理由に多くのひとと会わずにいたため、報告もかねて、という気持ちで少しためらいながらも投稿しました。その投稿をみたひとたちは、みんなわたしに「お疲れさま」だとか、なかには「おかえり」などとまで声をかけてくれるひともいました。
 しかしそういう声がかかるほど、だんだんと「やっぱり投稿しなければよかったかもしれない」と恥ずかしくなっていきました。その羞恥心の原因を考えたときに、SNSでわたしが今回「がんばった」ことだとして発信した気持ちは、本当は「今までほとんどがんばったことがないから、少しがんばっただけでも『がんばった』気になっている」だけに過ぎないのかもしれないということに気がつきました。

 わたしがいままでどれほど「がんばって」こなかったのかということを、年末に母がわたしの努力を父に伝えようとしたときに言っていた表現で実感しました。母は、「<スウィート・チリ>、がんばってる!だって部屋をのぞいても寝てないもん!」と、言っていました。そうなのです。わたしの「がんばり」は、「やるべきことから逃げて、日中や夕方から眠っていない」だけで、認められるほど低いところにありました。これまでは、やるべきことがあっても部屋に籠って「勉強しているポーズ」をとりながら眠ってしまい、母親から怒られるようなレベルでしかがんばれていませんでした。大学受験、就職活動、もっといえば定期試験のひとつひとつは、周りからみても、自分にとっても「がんばった」とはとても言いきれるようなものではありませんでした。それでも今回の卒論に関しては、気が抜けてしまったことは何度もありましたが、ただ「起きている」ということだけではなく、これほど長い間集中したことは初めてでした。些細な変化でしたが、これはわたしの中ではとても大きな変化に思えました。
 この些細な進歩を感じたときに、「わたしの努力のレベルは最低限のもので、いつもがんばっているひとからすれば、このくらいの努力は普通のことだ」ということに気が付きました。さらに言えば、きっとこれしきのことで喜んだり、ましてやアピールしたりすることはないだろうと思いました。そう考えると、わたしがとった行動はとても恥ずかしいことでした。普段がんばっていない分、「のびしろ」が多い分、少し進むとそれがとても目立って見えてしまったのです。ですが、そうして少しの変化を「努力した」と手放しで認めてしまうと、「のびしろ」はいつまでも伸びることはなく「しろ」のままでしかないのだとも感じました。

 このことを考えて、先生が以前わたしたちに「みんなできるだけの力は持っている。けれど、その力を持っていることとそれを活かせることはちがう」というようなことを言ってくれていたのを思い出しました。
 わたしは、卒論執筆で自分のもっている力を活かすことができたのでしょうか。上の文章で「これほど長い間集中したことは初めて」だったと記述しましたが、実際には気が抜けてしまったときがたくさんありました。自分の卒論に対する熱量を維持しつづけることができなかったのです。そして最大の失敗は、自分の力がどれほどのものなのかも把握しきれなかったことでした。実際に卒論に関しては、第1稿の提出である12月25日は脱稿が目標で、この日以降は提出や体裁にかかわる細かい事務的な作業が数日単位で設定されていました。それにも関わらず、わたしはその12月25日以降も、文章を完成させなければならなかった12月31日にも、本文を書き続け、それどころか最終稿を提出するはずであった1月8日になっても、本文を書き終えることができていませんでした。これは、それまでにきちんと計画しながら作業を進め、切り捨てるところは切り捨てる決意をして、決められたスケジュール通りに進めることを優先すれば、絶対に防げたことでした。
 他のゼミ生たちと同じように、わたしも20万字ほど書き溜めた卒論の「材料」がありましたが、そのすべてを自分のなかで処理しきれていませんでした。それにも関わらず、わからないことが生まれると、参考文献や題材に手を伸ばして新しい情報を増やして考えようとし続けていました。それは12月25日を過ぎてからも変わらず、最後まで「まだ手にない何か」に執着していました。ですがこうして前の段階に執着し続けることはつまり、次の「整理」して「まとめる」という段階がどんどんおろそかになるということでした。
 わたしがするべきであったことは、手元にある情報や残された時間を考えて、それらを最大限に生かすような方法を探し、その方法にのっとって作業を進めることでした。わたしは自分の力を活かすどころか、自分の力すら把握できてないまま最後を迎えてしまったのでした。「今の自分の力量で完成させることのできる限度はここまでだった」と割り切ることも、期限までに卒論を作り上げることには必要なことでした。

 今までがんばってきたことが少ないわたしは、まだまだ「しろ」のままの「のびしろ」がたくさん残っています。これは卒論で終わったことではなく、いままでずっと努力の余地を残したままにしてきたように、これからも伸ばす必要は続いていくものだと感じました。人生は「のびしろ」だらけです。この「のびしろ」たちを、人生のうちで精いっぱい伸ばすことができるようにがんばりつづけなければならないんだ、と強く思った機会になりました。
 からだが覚えているうちに、いまは編み物に向けているこの「がんばれる力」をなにかもっと役に立ちそうなことに注ぎたいと思います。

 つぎの投稿は<チャーリー>さんです!
posted by 長谷川ゼミ | 09:28 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
タイミングと行動

 

こんにちは。〈ミルクティー〉です。

2017年が始まり、またひとつ年齢もあがるのかと年越しとともに思いました。

さて、今回は「タイミングの大切さ」についてお話しします。

 

先日、親から電話がかかってきました。その内容は「祖母が緊急手術をした」というものでした。後悔したくないから帰ってこいと言われ、私は日帰りで実家に帰ることにしました。今では祖母は退院をして、元気にもなりましたが、電話が来た時にはいろいろな思い出がフラッシュバックしました。

 

このブログで以前「祖母のおでんが食べたいから帰る」というお話をしたことがあります。その言葉通り、私はおでんを食べに帰りました。その日は、久しぶりに家族全員で同じ食卓を囲み、祖母のおでんを食べることができました。帰り道に親と「もうこんなこと二度とないかもね」と話したほどです。あのとき、私が「おでんを食べたい」と言って帰っていなければ、そんな思い出もないままに祖母が手術していたかもしれない。病院に行くまでの道のりではそんなことを考えていました。

 

このことは、偶然のように見えて、その偶然は偶然ではないような気がします。あのとき、こうすればよかったと後悔したり、選択した道ではなくもう一方を選んでいればよかったと、思うことは生きているなかで多々あります。きっと行動を起こすタイミングは何度かあったはずです。そのときの行動が自分の未来を左右することに気づいていても、結局、自分自身で違う道を選ぶのです。あとになって選んだ道が間違いだと気づくこともあるし、もうひとつの道を選ばなくてよかったとわかることもあります。それでも、そうした経験を得られたことも全部自分が決めたことなんですね。

 

そう考えると、私はあまり自分でものを決めたくないタイプです。特に、大事な選択をせまられたときに自分自身で決断するのは苦手で、どうにかのらりくらりと過ぎていくのを待つ人間でした。自分で決めないということを自分で決めているのです。それでも、一般的には大人だと言われる年齢です。これから社会人になると、人生において大事な選択をしなくてはならないときがさらに増えると思います。今のままでは、良くないと思ってはいるので、それにどう立ち向かうべきかを少しでもこの4年間で学べることができていたら助かります。

 

そのためにも、あと数日逃げることなく、目の前の卒論を書きあげることに全力を尽くしたいと思います。

 

次の担当は〈さとうきび〉さんです。おたのしみに!

posted by 長谷川ゼミ | 00:06 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
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