明治学院大学 文学部芸術学科 芸術メディア系列のゼミです。
週に3回のペースで活動内容などを報告していきます!
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「我が人生はこれから――スタートに立つことのできた1年間――」
 こんにちは!今回で2013年度ゼミ生最後のブログ更新となります。今回はわたくし<サラダ>がお送りいたします。
 1月下旬に口頭試問が終わってから、早いものでもう2か月以上が経ちました。この2か月間、2013年度長谷川ゼミでは、ホームページのコンテンツ作成や、東京ディズニーシーでのフィールドワーク、卒業旅行など様々な活動が目白押しでした。私はそれと並行して、卒業後の進路についても深く考える期間となりました。今回のブログでは、自分の今後について考えたことや、実際にこの2か月間で動いてきたことについて、この1年間のゼミでの経験と絡めながら書きたいと思います。
 
 口頭試問が終わった1月下旬、一人暮らしをしている私は骨休めのつもりで実家に帰省しました。しかし、卒論も書き終って一段落し実家に帰る際には、親に今後の進路について聞かれることが目に見えていました。私はゼミをやっていたこの1年間、両親とは離れて暮らしていたため、他のゼミ生がこれまでの活動中に悩んでいたような、ゼミの活動を就職活動よりも優先して行うことについて、親とぶつかる機会はあまりありませんでした。しかし、口頭試問が終わったこの時点になって、それまでのつけがまわってきたかのように両親と自分自身の進路のことに向き合わねばならない状況になったのです。
 1月下旬当時の私は、自分の提出した卒論の出来に満足できなかったことや、その他にも個人的な悩みが重なって、少し精神的に落ち込んでおり、安心できる親元に戻って生活したいと思う気持ちが半分、一方でまだ何となく東京を離れたくないという気持ちが半分といった状態でした。そのため、卒業後、実家に帰るか東京に残るか決めかねている状況でした。そして、そのように自分の気持ちの整理がつかない状態で実家に帰ると、やはり両親は私の生活の安定のためにも帰ってくることを勧めて来ました。その他にも、実家の家屋を継ぐことや墓守を継ぐといった問題など、細かな問題までもが頭をもたげてきて、今となっては必要以上に悩み過ぎていたかもしれないと思いますが、当時は自分のなかでそれらが混沌として整理がつかない状態でした。

 そのような中途半端な状態であったため、2月中、とりあえず私は親に勧められるように、地元の合同企業説明会に足を運んだり、地元企業の見学に行ったり、1社採用試験を受けてみたりしました。当時の自分のなかでは、親も地元に帰ることを強く後押ししているし、自分自身もその方向で動いている間に、東京にこだわる心境に変化が表れるかもしれないといった気持ちでいました。しかし、そのように動いているなかでも、まだ都内に残りたいと思う気持ちがどこかでずっとあり、もやもやとした気分でいました。
 そんななか受けたある地元企業が最終選考まで進み、私を含めて6人ほどのグループ面接がありました。最終面接とあって、そこにいた就活生全員が緊張した面持ちで話していたように思います。その企業は広告代理店で、私としては自分が4年間取り組んできたメディアに関する勉強を活かせるのではないかと思って応募したのですが、一方でここに決まったらもう地元に帰らなければならないのかといった複雑な気持ちもありました。そのため、自分でもこの面接に向き合う態度が、完全にやる気のあるものとは言えない中途半端な状態であることは自覚していました。そして面接では、その企業の社長からある一言を言われました。その言葉は「君たちは自己アピールが下手。もっと自分から、採用担当者に『自分を取らないなんてもったいない』と思わせるようなアピールをするべきだ」というものでした。私はその言葉に悔しいと思いつつも、同時に「何としてでもここに入りたい」というような積極的な気持ちで就活に臨んでいない自分の状況に気付きました。また、本当にこの企業に入りたいという気持ちで就活に臨まなければ、心の底から正直に自己アピールする気持ちにもなれないし、そのようなやり方でやっていても到底内定はもらえないだろうと思いました。
 そして、社長のその発言の後、周りの就活生たちがパラパラと手を挙げ始め、自己アピールを始めました。正直、社長に先の一言を言われたときにはちょっとムッとしましたし、それに続いて手を挙げることがかっこ悪いと思いつつも、このままでは悔しいという思いから、私も手を挙げて自己アピールをしました。そのときには、自分が坂本龍一を題材として卒論を執筆したことを話しました。そうして、悔しいからとりあえずやってみた自己アピールだったのですが、実際に話しているときには、懐かしい感覚を思い出していました。それは昨年4月に行われた第1回ゼミ内発表のときのようでした。第1回ゼミ内発表のとき、私は自分が好きなもの・興味があるものとして、坂本龍一やサブカル系女子について話したのですが、自分が普段考えているけれどあまり話さない本音のようなものを、人前で熱く語ってしまうという経験を初めてしました。そういったときには、言っているときに気持ちが高ぶって声が上ずり、話し終わった後に妙に気恥ずかしい気持ちになって、お腹が痛くなっていました。そして、この自己アピールのときも、まさにそのような感じだったのです。しかし、このようにして自分の感情が高ぶるくらいに話したことを、社長や役員の方々は、意外にも興味深そうに聴いてくださったことが印象的でした。私は勝手に、このように個人的に興味がある話をしたところで、聞いてもらえるだろうかという気持ちがありました。しかし、本音で話そうとしている空気感のようなものは伝わったためか、社長や役員の方々はそういった部分に興味を示して話を聞いてくださったのかもしれないと思います。そして、このように聞いてくださる社会人の方々を見て、これくらい本気で話してぶつかっていくことは、これから先社会に出ていくなかでもっと必要になってくることなのかもしれないと思いました。
 逆に言えば、それだけ外では、まだよそ行きな顔を作っているのかとも思います。このような点は、確かこの4年間の授業を通して、折に触れて長谷川先生にも言われてきたことだったと思います。大学4年でゼミ活動をするまで、私は学校の授業での発表がすごく苦手でした。休み時間や放課後、仲の良い友人と自分の好きな話題について話すときには、気分が高揚し、いきいきとしているのですが、その感じを大勢の前で出すということはあまりなかったし、無意識にそこは使い分けるということをしてきたのではないかと思います。しかし、そこで転機が訪れたのが4年次の長谷川ゼミでの活動でした。ゼミ開始当初こそ、まだ周りの様子をうかがって積極的には発言できない時期があったものの、日を重ねていくうちに少しずつ、日々の活動のなかで意見を出したり、今となっては、進んでいる話の流れに対して反対意見を出すことも、以前に比べてできるようになったと思います。
 しかし、その面接のときには、社長に言われて初めて自分の本音を話すことができた、という状態だったのです。つまり、気付かぬうちにまだ、無意識に外ではよそ行きになってしまう部分があるということだと思います。それでは、この1年間やってきたことが活かせず勿体ないし、意味がないです。結果的にこの企業の採用試験は不採用となったのですが、そのことに気付けたことは儲けものだったということで、今は受けてみて良かったと思っています。
 そうして、この時期地元で募集していた唯一の広告代理店に落ちてしまったことには、やはり少しへこんだのですが、反面、だったらもう職種の選択の幅が広い東京に来てしまおう、これで地元で働くことはなくなった、と少し嬉しかったことも事実でした。1か月という短い期間ではありましたが、実際に地元で就活をしてみて、良いか悪いかは別として、自分が就きたい職に強くこだわりを持っていることや、都内に残りたいという気持ちを強く持っていることが分かりました。こうして2月下旬になってようやく、都内に残る決心を固めました。
 
 しかし、大変だったのはこれ以降でした。3月に入り、ゼミのホームページの制作は山場を迎え、その作業で毎日学校に通っていた時期だったのですが、それと並行するかたちで、両親と電話で話し合いを重ねたり、春から住む物件を探したり、引っ越しの段取りを考えたりしていました。大学4年間住んでいた戸塚のアパートを出るのが3月23日までの予定になっていたため、それまでに住む場所の目処を立てなければならない状態でした。
 3月の2週目には、初めてひとりで不動産屋を何件もまわって、部屋の情報を集めたり、物件の内覧に行ったりしました。住む場所を契約する、という経験を自分ひとりの力でやってみたことがなかったため、変な契約をしてはならないと緊張しつつ、事前にインターネットで敷金・礼金や初期費用とはどのようなものなのかについて調べたり、家賃以外に生活をしていく上で支払うお金にどのようなものがあるかなどを事細かに調べたりしていきました。そうして、調べたことはノートにまとめて整理をし、物件を探していく上で外せない条件や聞いておくべきことなどを準備した上で、何度も不動産屋をまわって物件を探しました。また、実際に不動産屋で話を聞いていくなかで、疑問に思ったことや分からない用語などは、積極的に質問して聞くようにしました。もしかしたら、聞いたら恥ずかしいような基本的なことまで質問していたのかもしれませんが、そのときはとにかく恥をかいてでもなんでも不安な要素は残さないように、聞けることは聞いておこうといった気持ちでした。
 こうして当時はとにかく時間がないと思って必死にやっていた物件探しでしたが、今振り返ると、必要なことについて自分で考えて調べ、まとめて、時に質問するという行動は、この1年間のゼミ活動でやっていたからこそできたことなのではないかとも思っています。それは、夏季集中講義の準備や卒論執筆などの活動を通しても行ってきたことでした。1年前の私は、なんとなく東京に住みたいという気持ちは同じくありましたが、当時実際にここまでできたかと言えば分からないなと思います。そういった意味でも、この物件探しは、今までゼミでやってきたことを活かす良い経験になったし、大変だったけれどやりがいもあって、面白かったなと思います。
 
 また、こうして住む物件を決めるのと並行して、引っ越しの準備も進めなくてはなりませんでした。引っ越し先の物件が決まるのがアパートを出る日の直前だったため、その時点で比較的値段が安めの引っ越し会社に問い合わせをしたところ、希望していた日程はもう予約がいっぱいとのことでした。しかし、4月以降、親からの金銭的な援助は受けないという約束をしていたため、なるべく私は引っ越しを安い費用で抑えたいと思っていました。そこで思いついたのが、業者を使わずに電車を使って自力で運ぶという方法でした。幸いなことに、サークルの先輩に運送会社でアルバイトをしている人がいたため、その方の協力を仰いで、電車を使い引っ越しを行うことにしました。
 そうして、その先輩とスケジュールを合わせ、引っ越し日の前日、ホームセンターに買い出しに行き、荷物を運ぶための台車やくくりつける紐、梱包材などを買いにいきました。そうして、大型の家電などは回収業者に連絡を取って引きとってもらい、なるべく不要なものは捨て、極力荷物を減らす努力をしつつ、荷造りをしていきました。思い返すと、この作業を行っていた2、3日は睡眠時間があまり取れなかったほど、作業に追われていたように思います。
 そうして、引っ越し日の前日にはゼミ生で自宅に集まって鍋をやり、それが終わってから、ゼミ生にも荷造りや片づけを手伝ってもらいました。とても感謝しています。そして、数時間睡眠を取り、朝の4時に起きて、そのまま泊っていった<シャンクス>と<もこ>と先輩と私でラジオ体操をして気合いを入れ、朝の4時半、とはいってもまだ夜が明けず薄暗い時間帯に、始発をねらって台車に乗せた荷物を運びました。始発の電車であれば、人も少なく比較的迷惑にならないだろうと考えたためです。普通に歩けば5分程で着く自宅から駅までの道のりを、予定では30分かけて行くつもりでいたのですが、実際には1時間近くかかっての到着となりました。それくらい、予想だにしていなかったことが多かったのです。台車のいちばん下に積んでいた段ボールが重さに耐えられず潰れてしまったり、駅のホームから車両に荷物を運び入れる際に、短いドアの開閉時間に間に合わず電車を数本見送ることになったりと、多くのハプニングがありました。暗闇の中で必死に荷物を運んでいる途中、「無謀だったか……」と後悔の念が頭をよぎりましたが、それでも、協力してくれたメンバーがなんとかしようと力を貸してくれたおかげで、どうにか目的地まで運ぶことができました。こうして現在、私の家財道具一式は、所属していたサークルの部室に置いてあります。



<↑部室にまとめている荷物>


<↑電車で運んでいる様子>

 こうして周りの協力に支えられて、どうにか遂行することができたことを本当に嬉しく思っています。今考えると、電車で荷物を運ぶことも、引っ越しの前日に鍋をやることも、それ自体破天荒な企画だったと思うのですが、そのおかげでゼミ生たちにも協力してもらう流れになり、とても良い思い出になったなと思います。
 そうして私は現在、入居先として決まったシェアハウスに入る予定日まで、友人の家に身を寄せています。人生初の居候生活です。家事を分担したり、いっしょにご飯を食べたりとなかなか楽しくやっています。まだ就職先は決まっておらず、就活続行中ではありますが、ここまで何とか辿りつけたことを自信にして、春から社会人として働き始めることができるよう引き続き頑張っていきたいと思います。
 
 以上、これを<サラダ>の最後のブログとさせていただきます。今後もこのように、この1年間のゼミ活動を通して培ってきた力を、自身の生活や行動に結びつけて、活かしたり考えたりしていきたいと思っています。ゼミは終わってしまうけれど、まだまだこれから私の人生は続きます。ゼミが終わって、いろんなものを手に入れた今、これをスタートだと思って、これからもチャレンジしていくことを忘れずにいきたいと思います!
 最後に、この1年間2013年度長谷川ゼミブログを読んで下さったみなさま、本当にありがとうございました!読んで下さる方々がいたからこそ、それを意識して書き続けることができました。
 次回からは第6期長谷川ゼミ生へとバトンが受け渡されます。今後も長谷川ゼミをどうぞよろしくお願いします!それでは!
 
<サラダ>

 















 
posted by 長谷川ゼミ | 14:26 | 長谷川ゼミ(2013) | - | - |
成長を感じ、更にそこから進んでいけるように

 あっという間に3月も後半になりましたね。とはいえまだ寒い日もあり、春らしさを常に感じられるわけではないのですが……。4月になる頃には春物を着て颯爽と出かけたいものです。さて、今回は<セニョール>が自分の卒業式をふまえつつ考えたことを書いていこうと思います。

 先日、3月17日(月)私たち長谷川ゼミの学部生10名は全員無事卒業を迎えることとなりました。私は卒業に必要な単位の計算を間違っていないか不安なところがあったのですが皆と一緒に卒業ができてひと安心といったところです。こうして迎えることのできた卒業式の当日、私は大学の4年間、特にこの1年のゼミのことを考えていました。
 高校生の時、私が大学に入ろうと思った理由は単純に「4年間将来について用意できる時間ができ、なおかつ就職に有利だろうから」ということからです。この4年を経て今ではそんなことは一概には言えないと思うのですが、当時は大学に行けるなら行っておこうぐらいの気持ちでした。高校の授業も半分は寝ているなど勉強に関してからっきし興味のなかった当時の私は、「文学なら飽きないだろう」「芸術やメディアということは面白そうだから」と自分の偏差値と合う大学の興味のある学科を殆ど吟味もせずに適当に受けていました。幸いにも明治学院大学に受け入れてもらえ、特にここで何をしていくか深く考えることもなく入学をしました。


 そのように何も考えずに物事と向き合う姿勢が変わってきたのがいつ頃なのかは定かではないのですが、この4年間を通して大きく変わったと思います。まだまだそのように次に何をしていくことで前進できるのかについて「考える」ということ自体に慣れていないからか、理論的に考えられなかったり焦ってしまったりと課題は沢山ありますが、何も考えていなかった入学時に比べたら成長したのではと卒業を迎えた時には感じました。自分は何がしたいのだろう、ここから何ができるだろうか、そういったことを少なくとも入学した4年前よりは考え始められるようにはなったのではと思っています。そして、そうなったのは物事に懸命に取り組んでいる人、適当ではなく常に前進するために考えて、行動に移している人を沢山身近で見ることができたからなのかもしれません。
 私の周囲、特にこのゼミの皆は適当に済ませる、ということが殆どなかったように感じます。勿論最初からそうだったわけではありません。例えば私たちはゼミが始動した昨年の4月から、SとNの各チームにわかれて、関心地図とそれに基づいたHPを作成していました。その際、私が所属していたSチームはウェブページの題材を期限の関係から妥協して「手」としたことがありました。正直そこに至った経緯も今では覚えていないほど突発的なものだったのですが、多くのメンバーはこれでいいかと納得し考えるのを終わらせてしまうところでした。同じSチームであった院生の<まゆゆ>が「時間がないからといって妥協するのは良くない」と言ってくれたため、皆で考えなおすこととなり危うくそのまま突き進まずに済みましたが、今思えば適当だったなと苦笑いしたくなります。


 それからゼミの活動を続け、卒業論文を提出した後におこなったウェブページの作成では、そのような姿勢は微塵も見られなかったと思います。どうしてこの形でウェブページを作るのか、何の意図があってこのページを作るのか、細かなところまで考えて悩んでいました。私と<薫>が担当したゼミ生がこの1年で活動した場所を地図にしてまとめたコンテンツページである「ゼミ生ゆかりの地」(
http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-egg/egg-works/egg-works-yukari/yukari.html)も何処を活動場所に含むか、どのような形式にするかなどゼミ生皆で話し合いました【註1】。時間はかかりますし、それ故時に私は、悪い癖で適当に済ませてしまいそうにもなりました。例えば、時間のかかる作業をした方がウェブページをもっと分かりやすく、使いやすい形にできるのに対し、時間がかかるから今のままでもいいのでは、と考えてしまうこともありました。しかし、ゼミ生の考える姿勢を受けて適当に済まさずに完成を迎えることができました。
 
 ゼミ生だけではありません。OB・OGの先輩方は、例えば卒論のゼミ内発表後におこなわれた飲み会の席などで私のぼんやりしたままの「卒論に対して考えていること」に対して細かいところまで質問を投げかけてくださったり、考えたことを丁寧に話してくださったりしました。また、長谷川先生はいつでも話を聞く姿勢でいてくださいました。私が卒業論文で何をしたら良いか分からなくなり、それを言い訳に作業をやめてしまい先生からの指示をただ待つような姿勢になってしまったときは、自分で考えるよう示唆をしてくださりました。もっと広がればこの4年間という間に出会った人たちの中には、「楽をせずに物事に向き合っている人」が沢山いたような気がします。そして、自分が卒論やゼミの作業が辛いと思った時、目に入ってくる皆の存在を見るたびに「今やることを投げ出したらきっと楽になるからそうしてしまおうか」と思っても踏みとどまり、じゃあここから自分はどうすればいいのか、と考えられてきた気がします。
 こうして卒業式を終え、思うことは「私は周囲の人に恵まれていたのだな」ということです。高校生の時の自分はきっと、大学卒業の現時点で将来の見通しも立たず、就職もまだ決まっていないのにこんなに幸せな気持ちで私が卒業しているなんて、考えられなかったことでしょう。入学時には将来をぼんやり想像してみるのもよいだろう、就職を楽にするため入ったほうが良いだろうとさして深く考えずに大学進学を決めた私でしたが、周囲の存在はかつての私のそういう考えを変えてしまう大きな存在でした。

 そして、この1年間のゼミ活動は、自分の嫌な部分を見たり、耳が痛くなるようなことを指摘されたりと、嫌だ、辛いと感じたことも多々ありました。でもそれは、自分が深く考えずに適当に物事をこなしてしまう姿勢を変えていくために必要なことだったのだろうな、と今更ながら思います。周囲が私を見放すことなく、ここまで支えてきてくれたからこそ、私は途中で逃げ出さずに、どうにか卒業論文を提出でき、こうして卒業を迎えられたのだと思いました。
 そうは言ったものの私にはまだまだ「楽な方へ」という考え方がどこか浸み込んでいる気もします。先ほど述べたゼミのウェブページ「ゆかりの地」作成のときもそうでしたが、考えることを止めてしまうのは相も変わらずな時もあります。けれど、そういった自分の悪い部分に気付いたのだから、そこから少しずつでもいいから変わっていこうと思います。ある時、何の努力もせずに劇的に変わるということは絶対にありません。それはこの1年卒論を書いていく中で、自分の当初想像していたほど進まない作業などを通して痛いほど感じました。今の自分をしっかり把握して、そこから一歩ずつ成長していけたらなと思いました。そしていつか、「大学卒業のあのときよりも自分は成長した」と胸を張りつつも「さて、ここからどう変わっていこう」と思えるようになります。

 さて、次は2013年度ゼミ生最後の担当ブログになります。そして、担当するのはゼミ長として1年間私たちを支えてくれた<サラダ>です!乞うご期待ください!

【註1】ウェブページ「ゆかりの地」では始めに活動場所が配置されている地図を載せ、その地図上の番号をクリックすることで各場所の説明に飛ぶことができるようになっています、

<セニョール>

posted by 長谷川ゼミ | 23:54 | 長谷川ゼミ(2013) | - | - |
最後の仕事・有り難う長谷川ゼミ
 みなさん、こんにちは。今回のブログは私<シャンクス>が担当します。2013年度長谷川ゼミ生がブログを更新するのも、今回を含めて残すところあと3回となりました。そして私がブログを担当するのはこれが最後です。1年間取り組んできたゼミがいよいよ終わってしまうのだと考えたらなんとも寂しい気持ちになりますが、今回もみなさんに少しでも長谷川ゼミや私のことを知っていただけるよう、精一杯書かせて頂きます!
 
 さて、このブログの下書きを執筆している前日、3月17日は、明治学院大学文学部の卒業式でした。我々2013年度長谷川ゼミ生も、晴れて無事全員卒業をすることとなりました。これ以降はゼミ生で集まる予定はないのですが、ほぼ毎日当たり前のように集まって様々な課題に取り組んできたからなのか、華やかな門出から一夜明けてブログの下書きを執筆している3月19日現在でも、これから学校へ行ってゼミ生たちと話し合いをするような気がしてなりません。実は卒業式の2日前もゼミの卒業旅行で香川県に行き、長谷川ゼミで数日を共に過ごしていました。そのこともあってまだゼミ活動が終わることが信じられないのかもしれません。そこで今回のブログはゼミ卒業旅行の計画から当日までとそれを通して考えたことを述べたいと思います。
 
 2013年度長谷川ゼミは何か課題や企画に取り組む際に意見をとりまとめたりする係や責任者を立ててきました。その方が、話し合いがスムーズに進んだり、別の係同士で連携をとることができるのです。そのため今回のゼミ卒業旅行でも旅行係をつくり、<なっつ>、<あっこ>そして私が立候補し担当しました。私はすでに2013年度長谷川ゼミで会計係を請け負っており、費用がかかる旅行では会計をする場面も多くなると考えたために立候補しました。旅行の日程は3月13日から3月16日を予定し、2月上旬頃には旅行の計画が始動しました。しかしスケジュールが確定するまでの取り組みは、あまり良かったと言えるものではありませんでした。
 旅行先は、どのゼミ生も普段旅行でもなかなか行くことがない場所に行きたいという意見から四国に行くことになりました。そこでより具体的な計画を練るために、まずは四国の中でも行きたいところを挙げていこうとそれぞれがインターネットや旅行雑誌等で観光スポットを調べ、共有しました。しかし最初は、より多くの希望に応えようとして、移動に時間がかかり観光スポットに滞在する時間が短いなど、かなり無理のあるスケジュールになってしまいました。また、旅行先を四国に決めて間もないころ、東京から香川県の高松まで行くことができる寝台列車があることがわかり、これまた経験したことのないゼミ生は満場一致で寝台列車に乗ることを決め、購入が可能となる乗車1ヵ月前の2月13日にすでに乗車券を購入していました。しかし寝台列車の乗車券は一人当たり片道で2万円近くかかるため、更に県を跨いで何度も移動するとなると交通費だけでかなりのお金がかかってしまいます。そこで、費用もよく考えた上で再度練り直しをすることとなりました。
 次に、移動が少なくなるように、訪れる県を寝台列車の到着地点である香川県と行きたい観光スポットの多い愛媛県に絞り、さらに行きたい場所の候補を絞るなどして計画を立て直しました。しかしいくつか候補を諦めたことによって空いた時間で訪れる場所が決まらなかったり、ただ漠然と何かものづくり体験がしたいなどの要望があったりしたため、旅行の1ヶ月前になっても具体的なスケジュールがほとんど決まっていませんでした。総勢12人という団体で行動するからには宿はもちろん、要所要所で予約が必要になってくることがあります。しかし予約が埋まってしまっては元も子もないため、私たちはスケジュールを決めてもろもろの予約を1日でも早くする必要がありました。そんな焦りの中、今度は瀬戸内海の島に行きたいという要望も出てきました。瀬戸内海には多くの島があり、観光地として親しまれています。船に乗って島まで行くという、またしてもなかなかできない体験に私もかなりの魅力を感じました。しかし同時に、すぐにスケジュールを決めなくてはならないのに、新しい希望を持ちだされたため正直困ってもいました。また、このとき立てていた計画では2泊3日の予定でしたが、交通費がネックになり全体で5万円近くかかってしまいそうだとわかりました。そのため金銭的に2泊でも厳しいのに、島へ行くとなると更に苦しくなるという人が何人かでてきました。打開策として話し合いの結果、基本的には1泊2日で、希望者だけで2泊し3日目に島へ行くという案が出ました。
 ここまで計画を立て、希望をとったところ、旅行係である<なっつ>、<あっこ>、私は1泊だけして帰路につくという選択をしました。つまり3日目の島に行くメンバーの中に旅行係が一人もいない状態です。この時点で、3日目のスケジュールについては3日目の参加者に計画を立ててもらうのが、彼女たちの希望が通って良いだろうと、旅行係での話し合いの結果決まりました。しかしこの計画を立てた2月中旬は、2月13日に行われた東京ディズニーシーでのフィールドワークの調査結果をまとめるホームページ制作を同時に行っていたため、彼女たちも島への旅行計画をほとんど立てられない状況にありました。更に旅行係の間でもそのことにはノータッチで、とにかく全員で行動する1日目、2日目の計画を詰めなければと必死になっていました。
 その後2月24日に再び旅行の計画を詰めていたとき、ふと2泊3日で東京へ戻る場合の飛行機の時間と料金を調べた結果、どちらの面から見てもかなり無理があるということがわかりました。時間の面では、特に、帰ってくる次の日には卒業式を控えていたため、帰りがあまりに遅くなることはなるべく避けたい事態でした。料金についても残りの座席数が少ないためにかなり高くなっていました。また1日目2日目で行きたい観光地ごとに別れて自由行動をするという案もありましたが、せっかくの卒業旅行なのだから全員で行動したいとの意見にまとまりました。そのため最終的に、全員1泊2日(車内泊を除く)で移動を少なくするために寝台列車の到着地点である香川県だけに絞って旅行をし、2日目に島へ行って帰るということになりました。ただし、その後も島で泊まる予定が希望通りの宿泊先が見つからなかったために、香川で宿泊することになり、結局スケジュールが完全に決まるまでに5回くらいも大きな変更を行ったように思います。
 このようにスケジュールを立てることがスムーズに行えなかったのは、なるべく全員の希望を叶えようとしすぎたことと、重要なポイントを押さえてから細かい部分を詰めていくなど計画的にスケジュールを立てる意識が薄かったことがあると思います。確かに最後の旅行であるため、なるべく全員が思い切り楽しんでもらえるようひとつひとつの希望を叶えたかったことも事実です。しかし、これは卒論執筆でも感じたことですが、ときには何かを諦めなければならないこともあります。私は卒論を執筆している途中で何度も「もっとこれをやりたい」「これが足りない」と思うことがありましたが、執筆し始めたときもその後の進め方も遅かったために、一通り完成した状態で提出をするためにはそれらを諦めなければなりませんでした。一見すると卒論と旅行とでは異なるものかもしれませんが、現実的な計画を立て実行するためにはときには一番必要なものを見極めた上で折り合いをつけることが肝心なのです。
 また2つ目の反省点、計画的にスケジュールを立てていくことですが、これは例えば絶対に行きたい場所はどこなのか、宿泊先はどこなのか、行きと帰りの出発時刻はどうなのかなど、重要なポイントを押さえた上でその他の細かい部分を詰めていくということです。そのためには、2泊3日だった場合の3日目スケジュールを3日目の参加者に丸投げするのではなく、帰りの時刻だけでも先に調べておくべきでした。結局2月27日には細かいスケジュールと旅費がほぼ確定し、予約も随時行うことができましたが、私にとってこの一連の取り組みは反省すべきものとなりました。
 
 とはいえ、旅行当日は大いに楽しむことができました。実は3月13日の夜、寝台列車に乗った後、愛媛で震度5強を観測する地震があり、朝5時半頃に高松駅への到着が予定より1時間も遅れるというアナウンスがありました。そのため、スケジュールを変更して旅行をスムーズに進行させる必要が出てきました。アナウンスを聞いたときは焦りましたが、寝台列車に揺られながらすぐに旅行係で集まってどうするのが一番良いのか話し合い、観光スポットをひとつ諦めることでスケジュールを立て直すことにしました。このように短時間でその決断ができたことは旅行係の中で成長した証拠のような気がしました。
私は旅行係に就いたときから、この旅行がゼミでの最後の大きな仕事だと考えていました。そのため旅行中も全員が安全に旅行を楽しんでもらえるよう、常に神経を尖らせていました。すると、約半年前に取り組んだ夏季集中講義のスタッフをやったときのことを思い出している自分がいることに気がつきました。夏季集中講義は長谷川先生が主に取り仕切っている芸術学科メディア系列の必修特別授業で、基本的には3年次に受講することになっています。そして4年生であり長谷川先生のゼミに所属している私たちは、スタッフとして運営を任されていました。夏季集中講義について、詳しくは私が2013年8月20日に更新したブログ「感謝感謝の夏季集中講義」をご覧ください( http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20130820 )。夏季集中講義では講義がスムーズに進行できるよう、常に1つ2つ先のことを考えて行動する必要がありました。そして今回の旅行でも、次は何をしなければならないのか、どんなことが必要なのかを常に自然と考えていたのです。夏季集中講義のときは自分が何か失敗をしてしまわないかという心配がどうしてもつきまとっていましたが、今回の旅行ではそんな心配もほとんどなく、自分でもどこかどっしり構えられていたような気がします。私は長谷川先生やゼミ生に、もっと自信をもつようにいつも言われてきましたが、思い返すとゼミ卒業旅行では自信をもって旅行係としての行動ができていたように思います。この変化の理由は、はっきりとはわかりませんが、卒論やフィールドワークなどいくつかの大きな経験を経たからこそ身についていった気がします。
 もちろん、反省点もあります。それは会計係としての反省点で、会計をするごとにその詳細をメモしていなかったことです。旅行ではすぐに次の行動が求められるため、それを後回しにしてしまいました。会計の詳細はレシートがあるから大丈夫だ、そう思って旅行から帰ってから会計報告をまとめようと思っていたのです。しかしそのつけが回り、帰宅してから会計簿を作成しようとした結果、手元にある残金と計算上の残金が噛み合わない状況に陥りました。結局レシートの残っていない会計についてスマートフォンにもメモをすることを忘れたために、その会計自体もすっかり忘れてしまっていたのでした。なんとか思い出すことが出来て無事計算も合いましたが、卒業式当日の朝まで会計簿と格闘していました。こうして大学を卒業する間際まで自分を省みることがあるのは、ゼミに所属したからこそだと感じました。私は長谷川ゼミに所属するまで、何か反省をしたとしてもその場限りで、ときには「まぁいいや」と反省をろくにせずまた同じ失敗を繰り返すことばかりしてきました。しかし長谷川ゼミで活動をするようになってからは、振り返りレポートを執筆したり、ブログを書いたりすることで反省をしっかりして次に活かそうとする姿勢が徐々に身についていきました。恐らくこれから社会に出て、反省することはますます多くなることと思いますが、自分の悪いところを冷静に受け止めて改善策を考え、実行に移すという姿勢は忘れずにいたいと思います。
 
 最後に、私が旅行中にゼミ生について感じたことを記したいと思います。実はゼミ卒業旅行で泊まった宿で、ゼミ生たちがゼミ長である<サラダ>と副ゼミ長である私にサプライズプレゼントをくれました。それは全身にゼミ生と長谷川先生からのメッセージが書き込まれたテディベアでした(写真)。
ゼミ生たちにもらったテディベア。左が私に贈られたもの、右がゼミ長に贈られたもの。
 
 私はサプライズでこれを渡されたとき、驚きと嬉しさのあまり全く気のきいたコメントができませんでしたが、同時にこうして特別扱いされるようなことは何もしていないと思いました。確かに私は副ゼミ長という役職を請け負っていましたが、この1年間で頑張ってきたことは他のゼミ生となんら変わりありません。むしろときには他のゼミ生のほうが一生懸命になって行動していたことさえあります。そのため、これをもらったときに、他のゼミ生ひとりひとりにも同じものをあげたいと思わず考えていました。しかし、どのような流れでこのプレゼントを企画してくれたのかはわかりませんが、プレゼントをしようと考えてくれるほどの何かを、自分が知らず知らずのうちにゼミ生たちにできていたのならとても嬉しいです。そしてこんなに人のことを思ってくれる仲間たちと1年間を過ごすことができて、自分は本当に幸せだったとつくづく感じています。先に述べたように、反省をしそれを活かすことをはじめ、多くのことを学ばせてくれた長谷川ゼミ自体にも、共に頑張ってきたゼミ生たちにも、そして叱咤激励を続けてくれた長谷川先生にも感謝し尽くせません。卒業式を終えた今、ゼミ生や先生と会うことも少なくなると思うととても寂しいですが、特にゼミ生とはこれからも時間を見つけて会って、馬鹿騒ぎをしたり、相談し合ったり、叱り合ったりしたいと思っています。
 
 今回のブログは以上です。今回もお読みいただき有り難うございます。また、私<シャンクス>のブログをこれまで読んで下さったみなさん、有り難うございました!次回は<セニョール>の更新です。お楽しみに!!
 
<シャンクス>
posted by 長谷川ゼミ | 00:00 | 長谷川ゼミ(2013) | - | - |
ありがとうゼミブログ!
 みなさんいかがお過ごしでしょうか。最近花粉症に完全にやられてしまっている<じーや>です。今回が<じーや>が担当する最後のブログになります。
 
 今回でブログを書くのが最後だと思うととても寂しいのですが、それだけブログの存在が自分にとって大きかったのだと最近改めて実感しています。長谷川ゼミのブログはゼミ生にMicrosoft Wordの校閲機能を利用して添削してもらうという過程を経て執筆を行っていますが、私はこのブログを書くことも添削してもらうことも好きでした。考えていることを文面に起こすことは、頭の中が整理できていなければ出来ません。つまり頭の中が整理出来ていなければ、それは文面にも反映されることになります。ブログの文面は自分の頭の中の状態がそのまま表れるようで怖くもありましたが、私にとってブログは自分の頭の中を整理する過程の役割を果たしており、そのことがブログへの楽しさを見出していたのだと思います。また、自分の頭が整理しきれていないがゆえに上手く書けなかった部分があったときに、このように書いたらどうだろうかとか、この部分の説明が抜けている等と指摘をもらって直すと、添削される前よりも文面とともに自分の頭の中も整理されたように感じました。その為、ブログを書いた後は頭がすっきりする感覚があったのです。このように、人の手を借りながら頭の中を整理していくことが長谷川ゼミのブログの醍醐味であったのだと、今振り返ってみて思います。
 また、他のゼミ生が書いたブログを読むことも私にとって楽しみの1つでした。何故ならば、ブログはゼミ生一人ひとりの考えていることを知る場であったのと共に、それぞれの考えや気持ちの変化を感じる場にもなっていたからです。自分も含めて文章がだんだん書けるようになっていったという技術的な変化ももちろんありますが、何よりゼミ生それぞれにおいて活動の中で成長があったり自分を見つめるようになったりなど、文面の中身においてそうしたゼミ生の変化はたびたび表れているのを読みながら実感していました。日々のせわしない活動の中でそれを改めて感じることの出来た場所がブログであり、ゼミ生の考えを知ったり変化を感じたりすることは私にとって楽しいことだったのです。また、他のゼミ生のブログを添削するときは、同時に自分自身も学ぶことがたくさんありました。他人に指摘をすることで、自分がブログを書くときに気を付けるべきポイントを少しずつ掴んでいたのだと思います。4月からは2013年度の長谷川ゼミ生のブログが更新されることはもうありませんが、4月からブログを更新していくことになる2014年度の長谷川ゼミ生ブログを、私も楽しみながら読みたいと思っています。
 
さて、話は変わりますが、最近のゼミ活動では主にこの1年間を振り返り、形にする作業を行ってきました。前々回の<もこ>のブログ( http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20140311 )でもここ最近の活動の報告がされていたかと思いますが、私たちは2013年度長谷川ゼミホームページの新たなコンテンツとして「1年間振り返りレポート」「2013年度長谷川ゼミ年表」「2013年度長谷川ゼミ生ゆかりの地」「2013年度長谷川ゼミ生紹介」「長谷川先生紹介」「CM制作」のページを制作しました。この1年の活動を年表やゆかりの場所と共に振り返ったり、先生やゼミ生のことを長谷川ゼミとして1年間活動してきた今だからこそのエピソードと共に振り返ったりして、それを2013年度長谷川ゼミホームページのコンテンツという形にしてきたのです。完成した各ページは2013年度長谷川ゼミホームページのworksよりご覧ください。( http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/
コンテンツごとに2〜3人の担当者を決めることになり、私は「2013年度長谷川ゼミ生紹介」( http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-egg/egg-works/egg-works-semisei/semisei.html )を提案し、担当しました。何故このコンテンツを作りたいと考えたかというと、私自身1年間活動していく中でゼミ生ひとりひとりの印象に変化を感じていたからです。私達ゼミ生は先日、「1年間振り返りレポート」( http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-egg/egg-works/egg-works-1yearfurikaeri/egg-1yearfurikaeri.html )をそれぞれ執筆しましたが、私は1年間を振り返ってレポートを書くにあたり、執筆材料としてこれまでの2013年度長谷川ゼミの活動をホームページを通して見返そうと考えました。そうして昨年の5月に作成した<Sチーム><Nチーム>のホームページ(Sチームホームページhttp://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-s-n/index-s/index-s.html )(Nチームホームページhttp://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-s-n/index-n/index-n.html)を見返してみた時、ゼミ生のキャッチコピーや印象などが書かれているページに目がとまり、それを懐かしく見返すと共に少し違和感を覚えている自分に気づきました。そこに書かれているゼミ生の印象やキャッチコピーは、例えば「優しい」「明るい」「面白い」などの表面的な言葉が並んでおり、1年間活動を共にした今抱いているゼミ生それぞれの印象とは違う……というよりかは、情報が不足しているように感じたからです。そして今ならもっと一人ひとりをいろんなエピソードと共に紹介でき、1年間共に活動してきたからこそのゼミ生紹介を作ることが出来ると思いました。ゼミ生それぞれが1年を通して変化していった部分と、またゼミ開始時では知らなかったゼミ生の一面を知った今だからこそ、それぞれをより深く紹介出来るように感じたのです。また、ただこのように感じた変化や一面をそのまま心の中に留めておくのはもったいないように感じました。もしそれをコンテンツとして形に残せば、同時に私達の1年間の変化や活動の中で垣間見た一面を目に見える状態で記録することになります。それならば、1年間の活動を振り返るこの時期に作るコンテンツとしてこの「2013年度長谷川ゼミ生紹介」は相応しいのではないかと思ったのです。
 こうして「2013年度長谷川ゼミ生紹介」を<シャンクス>と共に担当することになりホームページを作成していったのですが、結局制作を途中から他の係の人に委ねる形になってしまいました。何故そうなってしまったかというと、この期に及んで計画的なスケジュールを立てることが出来ていなかった為です。私も<シャンクス>も春休みということで家族旅行などを控えており、コンテンツ完成日と設定していた3月6日までに共に作業を出来る日は実質3日程度しかありませんでした。それがわかっていた時点で他のゼミ生に相談するなど現実的な手を打つ必要があったと思います。しかし「3日でなんとかしよう」「気合いでなんとかなる」という方向に安易に考えを進めてしまい、現実的な対策を取ることをしませんでした。結局3日間で駆け込みで考えたページのレイアウトはコンテンツとして見やすくわかりやすいものではなかった為、全体の進行をまとめる為にコンテンツの担当には属していなかったゼミ長の<サラダ>と共に新たなレイアウトを考え、その新しく考えた部分の作業は他のチームの人に委ねることとなってしまったのです。
 私はこのように現実的に考えて計画を立てることがどうも苦手であることに、ゼミの活動を通して何度も気づかされました。心の中で「このスケジュールは現実的ではない」と薄々感じていても、それからは目を背け、「なんとかしたい」「なんとかしなければ」と考えてしまいます。自分の技量の限界を受け入れることよりも、やりたいと思ったことは全部やりたいという気持ちが勝ってしまうのだと思います。しかし結局はなんともならず、あとあと他人に迷惑をかけるなどして後悔するのです。おそらく私は、このままではダメかもしれないという状況や自分の限界をリアルに受け止めることが出来ないのだと思います。「1年間振り返りレポート」にも書いた通り、ゼミが始まった当初も決して現実的ではなかった部活動とゼミの両立を「なんとかなる」と思いながらやっていました。このままの状況ではダメだ、無理があると薄々感じつつも、やりたいと思った部活動やゼミを全部やりたい気持ちが勝ってしまうがゆえ、限界から目を背けてきたのです。そして結局はなんともならず、自分の活動に関わる周囲の人たちに迷惑をかけると共に6月頃になると自分自身もいっぱいいっぱいになり、食欲不振や睡眠不足、嘔吐などと体調を崩していました。今回もまた、限界を受け止めずに気合いで乗り切ろうとする癖で他のゼミ生を巻き込んでしまい、1年経ってもこの悪い癖は直らなかったなと改めて考えています。どうしたらこの癖が直るのかは正直まだよくわかっていません。わからないからこそ、ここまで直すことが出来なかったのだと思います。しかし、「なんとかなる」「気合いでなんとかしよう」という考えが浮かんだときにまず少し落ち着いて、今まで「なんとかなる」と思ってなんともならずに失敗してきたことを思い返してみることがその第一歩だと思っています。そういった意味では、ゼミで失敗を経験してきたことも自分次第で糧にすることが出来ると思います。ガントチャート[i]を使って細かい計画を立てることや先の見通しを立てて考えることなど、ゼミの中で学んだこともたくさんあります。この癖を直していくためにも、これまでのゼミでの経験を活かし、膨大なやるべきことに対して自分にはなんとかできるほどの技量はないのだと受け止めることがこれからの自分には必要なのです。
 
 冒頭にも述べたように、私はこのブログを「自分の頭の中を整理する過程」として捉えていましたが、今回のブログでも自分の癖のことなどを書きながらここ最近でぼんやりと考えてきたことが少し整理されたように感じました。このブログに対するゼミ生からの添削でも、例えば「自分の良くない癖に対して今後どうするべきだと思うか」という探りを入れてもらったり、「<じーや>は自分の限界を把握することよりもやりたいことを全てやりたいと思う気持ちが勝るのではないか」という指摘をもらったりしたことで、改めて具体的に自分を見つめ直すことにもなりました。これからは添削してくれる人はいませんが、頭の中が混とんとしてしまったときはブログという形でなくとも文章におこして整理することを続けたいと思っています。これまでブログという場所を与えてくださった先生や、添削してくれたゼミ生、そしてブログを読んでくださった皆様に感謝します。ありがとうございました。
 
 次のブログは<シャンクス>が担当します。お楽しみに!
 
                                         <じーや>
 
 
 
 
 
[i] やるべきこととそれを終わらせる日を表にして書きこむスケジューリング方法。
posted by 長谷川ゼミ | 23:59 | 長谷川ゼミ(2013) | - | - |
おたく像を整理する

 みなさんこんにちは、<まゆゆ>です。私が2013年度長谷川ゼミにおいてブログを執筆する機会も、これが最後となりました。しかし、私は現在大学院1年生であるため、2年生になる来年度も長谷川ゼミの一員としてブログを執筆していくことになります。引き続き、長谷川ゼミブログをよろしくお願いします。

 

 さて、今回のブログでは、私の修士論文執筆へ向けた取り組みについてお伝えしようと思います。昨年12月までは『ハマータウンの野郎ども(筑摩書房. 1996.)』の精読など、大学院の授業での取り組みが中心でした。ですが、1月に入ってから、私はいよいよ修士論文執筆へ向けて具体的に動き始めなければならなくなりました。修士論文の提出は20151月に提出となるので、だいたい1年をかけて書くことを考えると、今年3月の春休み終了までにテーマを決定することが望ましいスケジュールとなるためです。そのため1月下旬から、修士論文執筆において自分が何をしたいのか見定めようとしました。

 しかし、何をしたいか考え始めると、よくわからなくなってしまいました。私は卒業論文を『アイドル声優の成立』というタイトルで執筆し、アニメに声を当てる声優がアイドルとして成立していく過程を整理しました。その際、アイドル声優が成立する基盤としておたくの変遷も追う必要があったため、おたくに関する資料にもいくつかあたりました。しかし、それらの資料は筆者もおたくであり、おたくを特別視するものばかりでした。その経験を通して、なぜおたくは特別視されるのか疑問に思っていました。

そこで、「おたくがおたくを特別視する欲望を解体する 」ことができないかと考えていました。ですが、これは考えたつもりになっているだけだったのです。私は1月の時点で、特別視されている「おたく」がどのような像をもって語られているか知りもしなければ、「欲望」も「欲望を解体する」ことも何なのかよくわからず、それを分かるための勉強もしていなかったのです。結局、そのような自分で使えもしない言葉を引っ張り出して、テーマらしいことを言ったつもりになっていただけだったのです。

 

 私はそこから、おたくがどのように語られているのか整理するため、卒業論文で用いたものを含め、おたくに関する代表的な文献を読み始めました。 その文献の中でおたくがどのようなものとして扱われ、おたく以外の一般人とはどのように区別されているのか整理していきました。そうして文献において語られているおたく像を整理していくと、おたくを特別に扱うために二つの話が引き出されていることが分かりました。一つはアニメを中心とした表象、二つ目は自給自足の経済システムです。

 おたく像において、アニメは日本独自の表現を獲得したものとして捉えられています。アニメの手法はアメリカで確立され、日本はそれを輸入する形でアニメを制作し始めました。しかし、アメリカではフルアニメーション で作られていたのに対し、日本では予算の都合上、セル画を減らして制作するリミテッドアニメーション が採用されていきました。(*1)この上で、おたく像においては、日本アニメは海外のアニメとは違う、独自のアニメ表現が発達していったことが強調されているのです。

 二つ目に、おたくの経済システムも特別なものと捉えられています。それを象徴するものとして見出されているのが、コミックマーケットと子供向けの商品です。おたくの経済システムにおいてなぜこの二つが挙げられているかというと、両者は資本主義の外部におかれていると考えられているからです。コミックマーケットは売り手と買い手の距離が近いことや、「本当に欲しいもの」をやり取りすることが取り上げられています。つまり、企業がマーケティングによって商品を買い手に提供するのとは違って、おたく同士で商品を作り出し、それを消費していく自給自足が成り立っているとイメージされているのです。また、おたくは子供向けの商品を消費するものとされ、これに対置する形で大人向けのものを消費する大人が挙げられています。ここにおいて、大人はマーケティングによって仕掛けられたものを受動的に消費する人々として捉えられています。それに対して、子供向けの商品はマーケティングにとらわれないものであり、それらを選択していくおたくは能動的に消費する人々として捉えられているのです。つまりおたく像は、コミックマーケットのような自給自足のシステムやマーケティングにとらわれない子供向けの商品を持ち出すことで、おたくを資本主義の外部に位置する「自由」な存在としているのです。

 

 以上のように、表象と経済システムをもって、おたく像は語られています。つまり、おたくはマーケティングに騙されずに「本当に欲しいもの」を消費し、日本独自の表象を好む、世界にも類を見ない存在だということになっているのです。しかし、ここには決定的な脆弱さがあります。表象と経済システム、そしておたくがどのように関係しているか全く語られていないのです。そのため、表象が特別であるからそれを受容するおたくも特別、経済システムが特別だからおたくも特別、というような短絡した話になってしまっているのです。

 また、ここで語られているおたく像はアニメが前提となっているため、鉄道おたくのように「○○おたく」として使われるおたくは、アニメおたく以外全く無視されています。例えば、私は自分のことをアイドルおたくだと思ってきたのですが、文献において語られるおたく像においては自分のような存在は全く扱われていなかったのです。

 このようにおたく像に対する疑問を考えていったとき、アニメを前提とするおたく像は偏っていると思いながらも、私も同じように考えていたことを思い出しました。私が自分をおたくだと思い始めたのはアニメを見はじめたときでした。また、おたくではないかもしれないと思ったのは、アイドルばかりを追いかけていて、アニメを見るのをおろそかにしていた時でした。そのようにして、アニメを中心とした漫画、ゲームなどを一連のおたくジャンルとして見出し、○○おたくのようにして呼ばれるおたくと区別しようとしていたのです。思い返してみると、おたくについての文献を読む前の1月までの私は、おたくはアニメが前提のもの、という思い込みが強くあり、その考えから出ることができずにいたのです。

 現状はここまで考えたところで、修士論文で何に取り組みたいかよくわからなくなっています。それは、ここまでの取り組みで自分の具体的な話が全く出てこなくなってしまったことが理由に挙げられます。私は文献を整理していくうちに、その中でテーマを探していかなければならないような錯覚に陥ってしまいました。そのため、自分がどうしておたくについて取り組むのか、よくわからなくなってしまっている状態です。テーマを決定するリミットは3月中だと思っていますが、3月ももう半分が過ぎようとしています。焦っても仕方ありませんが、自分が取り組むことに意味があるテーマを決定していくためにも、きちんと自分の具体的な経験を振り返って、冷静に考えていきたいと思います。

 

 

 次回の更新は<じーや>が担当します。お楽しみに。

 

 

<まゆゆ>

 

(*1)おたく像においては、セル画を多くして写実的な表現を用いるのがフルアニメーション、セル画を減らして抽象化した表現を用いるのがリミテッドアニメーションとされている。セル画とは、セルアニメを制作する際に用いられる絵のこと。

posted by 長谷川ゼミ | 16:25 | 長谷川ゼミ(2013) | - | - |
心地いい場所/これから卒論テーマとどう向き合うか
 こんにちは!今回のブログでついに10回目の登場になります、<もこ>です!
記念すべき<もこ>の10回目の更新ですが、今回で私がこのブログを担当するのは最後になります。
 3月も半ばに入り、3月13日からはゼミの卒業旅行も控えているため、もうすぐで本当に卒業なんだなあ、と卒業への実感がだんだん湧いてきています。長谷川ゼミで過ごしたこの1年間は、大学4年間、否、いままで過ごしてきた22年の中で一番濃い一年でした。長いようであっという間の一年でもありました。前回私が書いたブログ(http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20140117)では、主に卒論にスポットライトをあて、1年間を振り返りました。今回のブログでは、最近まで長谷川ゼミで取り組んでいたプロジェクトと、それから長谷川ゼミでの1年間を振り返って考えてみたことについて書きます。また最後に、これからどのように自分の卒論のテーマと向き合い、アプローチをしていくかも書きたいと思います。
 
 私は、<なっつ>とともに「2013年度長谷川ゼミ年表」を制作していました。これは先日、2013年度長谷川ゼミホームページに新たなコンテンツとしてアップされたものです(http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-egg/egg-works/egg-works-nenpyou/nenpyou.html)他のゼミ生たちもそれぞれ2〜3人で1組となり、2013年度長谷川ゼミホームページに載せるコンテンツを制作しています(詳しくは、前回の<なっつ>のブログ:http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20140309 、前々回の<あっこ>のブログ:http://hajime-semi.jugem.jp/?day=20140305 をご覧ください)。ゼミ生みんなで長谷川ゼミでの一年間を振り返り、それを私と<なっつ>で年表を用いてまとめました。他のコンテンツには「2013年度長谷川ゼミ生紹介」、「長谷川先生紹介」、「2013年度長谷川ゼミ生ゆかりの地」、「CM制作」があります。その中で特に興味深く、面白かったのは「ゼミ生紹介」です。
 「2013年度長谷川ゼミ生紹介」は、2013年度長谷川ゼミに所属する私たちゼミ生10名を、私たち自身で紹介するコンテンツです。このコンテンツの準備では、今年度の長谷川ゼミが始動した4月のゼミ生の印象を挙げてから、1年のゼミ活動を経た今の印象を座談会形式で話しました。その際、4月に作った関心地図を見返しながら、座談会を進めていきました。その後、その様子を記録し、ホームページとしてまとめています。
 私はこの「ゼミ生紹介」をやって心底よかったなあ、と思っています。その起因は4月の頃に作った関心地図<*1>にあります。4月に作った関心地図には各ゼミ生の関心の他、当時のゼミ生の印象や雰囲気も反映されています。当時の私の印象は、「関心商店街」というゼミ生をお店に見立てたSチームでは、『雪だるまポエマー』となっています。この意味は、雪だるまのように好きなことで埋もれており、詩人(ポエマー)のように言葉にメッセージ性を持たせようとするメルヘンチックな人物というものです。一方、「N家のアルバム」というゼミ生を一つの家族に見立てたNチームでは、『ペットのハムスター』となっています。その所以は、関心地図の中身が妄想を働かせており、非現実的で小動物っぽい、というものでした。しかし、Nチームの印象について、当時の私は全く納得がいっていませんでした。実際、同じSチームであった<シャンクス>に「なんで私だけ動物なのかな……。なんか嫌だな……」と不満をこぼしていたのを覚えています。(このS・Nチームの関心地図については、各ホームページをご覧ください。Sチーム:http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-s-n/index-s/index-s.html 、 Nチーム:http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-s-n/index-n/index-n.html 、)。
 私は今までの人生の中で、なぜか人以外のもの、特にキャラクターだったり、宇宙人と例えられたりすることが多く、私はそれを言われる度に「ああ、またか……」ともやもやしていました。そのようにマスコットとして扱われるのは、外見などイメージによるものがであり、中身をちゃんと見てもらえていないようで嫌だったのです。それについて座談会で話すと、「<もこ>はキャラクター性とか強い個性があった」、「ゼミに入る前、授業とかで見かけて、あの子すごい目立つなあ」と思われていたということが分かりました。全く自分ではそのような風に思われているとは思っていなかったので驚きましたが、おそらくそういうことから、キャラクターに見立てられたのだと思います。
 このように長谷川ゼミが始動してばかりの時の私の印象は、どこか世間的な、そして外見的な特徴をその人の印象として捉えられていました。また私自身も、ゼミが始動したばかりの頃は、ゼミに所属する前から仲の良かった<きぬ>や<薫>とばかり話しており、ゼミ生一人ひとりと深く向き合おうとはしていませんでした。おそらく、<きぬ>と<薫>とは今まで仲良くしてきたので、ぬるま湯のように居心地が良かったのだと思います。この<きぬ>と<薫>との間のぬるま湯のような状況は、お互い喧嘩をすることもなく、ただ一緒にいて仲良くしている状況のことを指します。
 その後ゼミ活動において、S・Nチームに分かれ、私は<シャンクス><セニョール><薫><あっこ><まゆゆ>と共にSチームとして活動するようになります。このSチームの活動で私は、初めはお互い様子を見ながら恐る恐る取り組んでいたのですが、だんだん意見を重ねていく毎にお互いのことが見えてきたつもりになっており、話をするのが楽しかったです。しかしこの頃は話し合いの場において当たり障りのない薄っぺらい話が多く、完全にぬるま湯に浸かっていた状態だったと思います。それは話し合いの中で、あまり対立することがなかったことからも言えます。そのため5月辺りから、長谷川先生に「君たちはぶつからないとだめだ」とよく言われていました。その後、6月の発表後にS・Nチームを解散し、「ゼミに積極的に参加している・いない」でA・Bチームに分かれました。分かれた当初のAチームは、私、<サラダ><シャンクス>の3人で、遅くまで学校に残り、今後ゼミをどのようにしていくか必死に考え、意見をぶつけていました。この時、毎日忙しかったけれど、意見をぶつけ合える関係の心地よさを知り、充実した気持ちでいっぱいでした。その後、ゼミ全体で、今後ゼミをどうしていくのか、卒業論文はどうするのか、話していくうちにゼミ生同士で叱り合ったり、衝突したりすることも増えていきました。そうすることを重ねていくうちに、今まで知らなかったゼミ生の良いところや悪いところがたくさん見えてきて、知ることができました。そうして長谷川ゼミは私にとって、何でも言い合える気心の知れた、心地のいい場所になっていきました。おそらく、これらはただぬるま湯に浸かって楽しくやっているだけでは知ることができなかったでしょう。
 このように私はこの1年間で、ゼミ生の良いところも悪いところも知ることができました。それは他のゼミ生も同じで、座談会が進んでいくうちに、ゼミ生たちから1年間のゼミ活動を通しての私の印象がどんどんでてきました。例えば「我が強い」「集中力がすごいけど、周りの言葉が聞こえなくなる」「波に乗るとすごいエネルギーを発する」「表だって引っ張ってくれた」「メーリスの誤字がすごい。もっと落ち着け」などが挙がりました。気心の知れている人たちから、このように言われるのは非常に嬉しくもあり、自分の身体や頭の中身を見られているみたいで、照れ臭かったです。中でも最も嬉しかった言葉は<サラダ>から「最初はキャラクターとかマスコットみたいに扱われてたけど、今はそういう感じじゃないね」と言われたことでした。この1年を通して、ゼミ生みんながきちんと内面を見て、悪いところもいいところも言い合える関係になり、非常に恵まれている環境だな、と思いました。
 恵まれているという点は、卒論執筆においてもそうでした。私は机に向かって紙とペンを手にして考えるより、人と話しながら考えるタイプの人間なので、いつでも話を聞いてくれ、それに対し意見を言ってくれるゼミ生の存在はとても貴重でした。
 
 ここからは私が口頭試問を受けて、卒業後どのように卒論のテーマである『18禁乙女ゲームにみる女性の性的欲望』と向き合い、アプローチをしていくのかを書いていきます。
 1月の口頭試問で、長谷川先生から初めに言われた評価は、主題はまずまずつかめており、18禁乙女ゲームの歴史や18禁乙女ゲームがどのようなものかはきちんとまとまっているという評価をいただきました。不足点として、18禁乙女ゲームの表象と性的欲望は繋がらないということを指摘されました。性的欲望は社会的なもので、個人的に語れるものではなく、欲望が類型化されているという状態を良く考えるべきだとの言葉を頂きました。私は卒論で18禁乙女ゲームには「凌辱」、「複数プレイ」、「幼なじみ」といったある種の類型が存在するということを挙げましたが、なぜ類型化されているのか、などそれ以上のことは考えませんでした。その上、18禁乙女ゲームのセックスの類型と、男性向けポルノグラフィに描かれているセックスの類型が同型で、それゆえ女性向けポルノグラフィと男性向けポルノグラフィは同型であり、よって男女の性的欲望をほぼ同型である、と独りよがりな結論を出してしまいました。卒論の執筆期限が迫っていたため、結論を出すのに焦り過ぎてしまったのです。そう考えると、12月後半に結論を焦って出してしまったのが非常に悔やまれます。以上のような不足点があり、それを先生から指摘され、気付くことができました。
 私はゼミに入った当初は、卒論を書き終えることが一番の目的であり、卒論を提出したら、全て終わりなのだと思っていました。しかし、卒論を書き進めていくうちに、どんどん不足点が見つかり、考えるべきことがたくさん出てきて、これは提出後も自分が納得できるまで、自分のテーマと向き合い、考えていきたいなあ、と思うようになっていました。また、このように何か一つのことについて考えることは苦しかったですが、とても充実した時間でもありました。卒論に関するゼミ活動は終わってしまいましたが、自分が納得できるまで、結論を焦らず、じっくり卒論と向き合っていきたいと思います。
 私は現在、自分の卒論テーマに対するアプローチとして男性向けのアダルトゲーム(通称エロゲー)をプレイしています。私の卒論のテーマが決まった当初は、18禁乙女ゲームにみる女性の性的欲望がどのようなものか暴くために、男性向けのアダルトゲームのシナリオと比較しようとしていました。しかし、その時点での私は、卒論で何を暴きたいのか明確ではなく、比較しても意味が分からないまま終わってしまうだろうということで、アダルトゲームの男女比較はしませんでした。しかし卒論を書き終え、18禁乙女ゲームについて徹底的に暴いた現在の私が男性向けのアダルトゲームをプレイすることで、また新しいものが見えてくるかもしれません。まだ冒頭なのですが、一通りプレイし終えたら、ゼミ生や長谷川先生にお話ししてみるつもりです。
 卒業後は、ゼミ生それぞれが社会に出て、やることも住むところも今以上にばらばらになります。1年間一緒に卒論について考えてきたゼミ生や長谷川先生とは、頻繁には会えなくなります。また社会に出て仕事に忙殺される内に、卒論に対しての疑問や考えが薄れていってしまいそうでこわいです。しかしそうはいってもいられません。1年間のゼミ活動や卒論執筆で得た問い立てを忘れないように、たくさん本をよみ、人と話し、やりたいことはしっかりとことんやり、きちんと考えることも忘れずにしていきたいです。
 
今回のブログは以上になります!
今まで読んでくださりありがとうございました。
次回は<まゆゆ>が担当します。乞うご期待!
 
<もこ>

 
<*1>関心地図
春休みの課題として個人で作成してきた関心地図をもとに、チームごとにゼミ全体の関心地図を作成した。ゼミ生全員の関心を地図として配置することで、ゼミ生たちの関心同士がどのような関係にあるのかを可視化した。
 
posted by 長谷川ゼミ | 23:50 | 長谷川ゼミ(2013) | - | - |
学び、気づき、行動する。
 こんにちは。<なっつ>です。3月に突入し、とうとう卒業まであと1ヶ月をきりました。私は軽音楽サークルに入っているのですが、卒業ライブを間近に控えており、ついに学生生活最後のライブの日がやってくると思うとなんだかしみじみした気持ちになってしまいます。
 しかしゼミの活動においては、しみじみとしている場合ではないというのが現状です。最近のブログでお伝えしているように、私たちはいま、ホームページのコンテンツ作成に奔走しています。詳しくは、3月4日に更新された<あっこ>のブログ、「卵を割る」をご覧ください。今回のブログでは、コンテンツ作成、なかでも個人で執筆した「1年間振り返りレポート」と、私と<もこ>が担当となっている「2013年度長谷川ゼミ年表」を作成して感じたことについてお話しします。
 
 1月15日(水)に正式なゼミ活動を、1月24日(金)に卒業論文の口頭試問を終えた私たちがまずとりかかったのは、ホームページに掲載するコンテンツとして、「口頭試問振り返りレポート」と「1年間振り返りレポート」を執筆するということでした。「口頭試問振り返りレポート」は、10月に行われた第4回ゼミ内発表を終えてから口頭試問を終えるまでの取り組みなどについて各々が振り返りました。「1年間振り返りレポート」は、この長谷川ゼミでの1年間の活動をゼミ生が思い思いに振り返るというものです。最初私たちは卒論執筆を振り返ってレポートを書くつもりでいましたが、その旨を長谷川先生に伝えたところ、卒論執筆以外の活動も含めたゼミ全体の活動を振り返るのか良いのではないかとアドバイスをいただき、このゼミでの1年間を振り返ることになりました。長谷川ゼミでの1年間を振り返るレポートは昨年度の長谷川ゼミの先輩方も執筆しており、これに倣っていくつかの章にわけて執筆するということと、あまりに膨大になりすぎても読みづらいということで文字数の制限だけを決め、後は自由に各自が思い思いにこの1年を振り返るということになっていました。私たちはこの1年で本当に様々な経験をしたため、おそらく最初の下書きを書き上げるには時間がかかるだろうと感じていました。そのため、このレポートを書くことを決めたのは1月の終りのことでしたが、下書きを提出するのは2月中旬ということになっていました。執筆の仕方はブログやこれまでの振り返りレポートと同様、まず下書きを提出したのちそれをゼミ生に添削してもらい、その後最終稿を提出し、それをまた添削してもらったうえで完成版をホームページに掲載するということになっていました。
 私は、提出日の直前が他の軽音楽サークルの人も交えた合同ライブへの出演と重なっていたため、早めにレポート執筆に取り掛からないと自分の首をしめることになることはわかっていました。しかし、なかなか取り掛かることができませんでした。なぜなら、この1年を振り返ろうとすれば、良かった点だけでなく、どうしても自分の至らなかった部分や情けなかった部分を認め、冷静に受け止めなくてはならないからです。しかも、それをレポートとして書き、ホームページに掲載するということはそのように情けない自分をさらけ出さなくてはいけないということです。これまでのゼミ内発表振り返りレポートや、講読振り返りレポートでも同じような経験はしてきましたが、1年間を振り振り返るというこのゼミの活動においての集大成のようなレポートにおいても、これまでのように情けない部分ばかりが露呈してしまうのでは、もはや救いようもないのではないかと感じていました。また、口頭試問で次年度の長谷川ゼミ生や長谷川ゼミのOBの先輩方と会った際、ブログやホームページを読んでいると言われたことが、その思いをより強くしていました。これまでも、誰かゼミ生以外の人が見るということを意識してブログやレポートを執筆してきましたが、実際に面と向かってブログやホームページを見ていると言われたことによって、今更ながら、これまで自分の情けない姿を先輩方や後輩たちに晒していたと実感し、そのことがひどく恥ずかしいと思ったのです。そのため、執筆に対して億劫になっていました。
 結局、1年間振り返りレポートの執筆を始めたのは提出の直前になってしまい、提出期限に間に合わせることができませんでした。自分でどうにかしなければならないのに、ぎりぎりまで逃げようとしていたのかもしれません。しかし、実際に執筆をはじめてからは、この1年間、情けない部分が多かったと感じているならば、どうだめだったのか、なにがいけなかったのか、逆に頑張れたことはあったのか、など、きちんと向き合って冷静にきちんと振り返ることを心がけようと思いました。なぜならば、この1年間を無駄なものにはしたくないと感じていたからです。それは口頭試問のときに感じたことでした。私のゼミ活動は、卒論と正面から向き合うことができなかったことに対し、大きな悔いが残りました。(詳しくは口頭試問振り返りレポートをご覧ください。)卒論に関して言えば、この1年で経験したり、それによって気づいたりしたことが無駄になってしまったのかもしれません。でも、だからと言ってこれからの私の人生に、この1年間の経験を活かせず、無駄にしてしまうのは、それこそ本当にもったいないことだと思ったのです。口頭試問の場で、同じこの1年間を過ごしたなかで確実に成長したゼミ生の姿を見て、そう感じたのです。そのことを思い出し、このレポートで冷静に振り返り、気づいたことを、これからに活かしていきたいという思いで、当時の手帳やノートを見返しながらレポートを執筆しました。書き上げたレポートは、ただだらだらと長くなってしまったようにも思えたのですが、添削のために読んでくれたゼミ生から、「<なっつ>はこの1年間振り返りレポートできちんと振り返ることができていたと思う」と言ってもらえて、取り組み始めるのが遅かったことに反省は残りますが、つらくても取り組んでよかったと思いました。
 1年間を振り返って認めざるを得ない自分自身の姿というのは、やっているポーズをとることでやった気になっている姿であり、そのためにたくさんの経験と成長の機会を無駄にしたという事実でした。また、そうしたこれまではそうした自分の至らない点には目を向けず、うまくいかないことは環境のせいにしてきたのです。だからこそ、ゼミに入ったきっかけも、「ゼミに入って変わりたい」という思いだったのだと思います。でも、しごく当たり前のことですがゼミに入ったから変われるわけではありませんでした。大切なのは環境ではなく自分自身が行動することだと、このゼミでの失敗を振り返って身を以て知ったのです。そしてこれまでは、こうして気づいたこと自体に満足して行動せずに終わっていましたが、それではまた成長の機会を逃しているだけだということも痛感しています。だからこそ、学び、気づき、そしてそれを行動にうつすということを、少しずつでも心掛けていかなければと思っています。そうすることでやっと、このゼミでの1年間を、活かしていくことができるのだと思います。
 
 そして、この「1年間振り返りレポート」と合わせて見ていただきたいのが、「2013年度長谷川ゼミ年表」です。このコンテンツは、今年度の長谷川ゼミの1年間を振り返り、年表としてまとめたものです。今年度の長谷川ゼミはチーム編成が変化したり、そのチームごとによって活動内容が異なったりしていたので、それを私たち自身が整理し、そしてわかりやすく伝えるために年表という形をとりました。この年表を作成するために改めて1年間を振り返ってみると、本当にあっという間にすぎていったことが実感できました。加えて、当時の自分がいかに時間の早さというものに鈍感だったのかを痛感しました。たとえば、1番最初に作成した2013年度長谷川ゼミ(旧)ホームページは開設予定日を1週間も変更していたり、S・Nチームの関心地図【註1】も掲載を遅らせていたことを思い出しました。また、当時のノートや手帳から浮かび上がってくるのは自分の他人任せな姿勢と、そんな姿勢であるにも関わらずやっているというポーズを見せることでやった気になっている自分でした。たとえば、ノートを見返していると、2013年度長谷川ゼミ(旧)ホームページを製作していた際に分業の体制をとっていたことを思い出しました。12人のゼミ生が、タグを組むタグ係、デザインのモチーフなどを作成する素材係、そしてaboutというコンテンツに載せる文章などを考える文章係の3つにわかれていました。私は素材係でしたが、この時、自分の係以外の係が何をしているのかはあまりよくわかっていないという状態でした。また、タグについて知識のある人が少なく、タグ係に非常に負担がかかっている状況でした。しかし私はパソコンが苦手だからと、タグについては他人任せで、素材係の仕事をすることで満足していました。ノートからは、少し後になって長谷川先生から分業の体制は他人任せにする姿勢だと指摘されるまで、この体制に疑問も持たずに当たり前のように作業をしていた様子が伺えました。また、ゼミ生との集まりや就職活動の一環としての企業説明会、そしてアルバイトの予定でうめつくされ真っ黒になった手帳をながめて、どこか自己満足していたのかもしれません。どれも中途半端にこなしているだけだったという現実には気づいていなかったようです。4月から始動したゼミでしたが、前期のゼミ生たちの取り組みに対する姿勢というのは、停滞していました。
 ゼミ年表を制作している際、<もこ>と話していて、こうした姿勢が変わっていったのではないかと感じたのは、7月に入った頃でした。S・Nチームが解散し、新たなチームとして活動を始めたあたりから、私を含めたゼミ生たちの意識が変わっていき、他人任せで受け身な姿勢から、能動的な姿勢へと変わっていきました。これは、これまで時間や、取り組み方に対して鈍感だった私たちが、もう後がないという焦りを感じたからだと思います。
 しかし、夏休みを終えると、ゼミ生のなかには、卒論やゼミに対する取り組みが停滞してしまう者もでてきます。私もそのうちの一人でした。年表を作成しながら<もこ>と、夏以降また停滞してしまっていたよね、と話しながらも、実際頑張っていたゼミ生もいると思うと、改めて申し訳ないような、情けないような思いを感じました。頑張れなかった、ということはこうして後ろめたさや劣等感を覚えることにつながっていくのだなと思いました。
 こうして後期は個人の卒論執筆活動に入っていった後、卒論を提出して口頭試問を終えた後は、これまでの、特に停滞してしまった夏休み以降の反省を活かし3月上旬にはホームページのコンテンツを完成させることを目標としてゼミ生が一丸となっている空気があります。こうした、ゼミの状況の変化を、年表では「○○期」と区切り、ゼミがどんな変遷をたどっていったのかを一目でわかりやすく表現しました。【図1】時代をその特色で区分するのは日本史や世界史の年表ではよく見るものですが、ゼミ年表にこれを活かそうというアイディアは、<もこ>と話しているときに出たものです。
 
 【図1】
 
 こうして<もこ>と話し合いながら年表をつくっていくことで、話し合いのなかから、アイディアが生まれることの楽しさを私は改めて感じました。思えば、長谷川ゼミに入るまではグループの中で自分の意見を言うことが苦手で、いつも聞き役に徹していました。3年生までの長谷川先生の授業ではグループになって課題にとりくむこともしばしばありましたが、その際にもあまり積極的にはなれませんでした。授業以外の場面でも、特に多くの人数の前で自分の意見を言うことが苦手でした。しかし、このゼミに入ってから、関心地図やホームページ作成、2013年度夏季集中講義の運営準備(リンク)や夏合宿の準備、1〜3年授業振り返り(リンク)やフィールドワーク(リンク)などについて、何度も話し合いをしてきました。ときには話がそれて雑談のようになってしまったり、真剣味が足りないという反省もありました。それでも、これまで聞き役に徹していた私が、自分の意見を言い、その意見に対して新たな意見をもらったり、他の人の意見を聞いて別の考えが生まれたりしながら、何かひとつのものをつくっていくということの楽しさを感じたのは長谷川ゼミでの活動がはじめてでした。この楽しさは、大学3年生の夏に2012年度夏季集中講義を受講した際に感じた、大変だけど楽しいという感覚にも似ています。
 今、私は就職活動をしていますが、聞き役に徹するだけではなく、よりよい案を考えて頻繁に、そして本音で意見を交わすことができる社会人になりたいと考えています。ゼミで学んだことを、無駄にしないで活かしていきたいと思っているのです。
 
 私のブログ更新は今回で最後になります。今まで読んでいただき、ありがとうございました。次回の更新は<もこ>です。
 
<なっつ>
 
【註1】関心地図:ゼミ生の関心を地図として配置し、関心同士がどのような関係にあるのかを可視化したもの。
 
posted by 長谷川ゼミ | 16:34 | 長谷川ゼミ(2013) | - | - |
卵を割る
 みなさんお元気でしょうか、<あっこ>です。3月になり夜風が温かい日も増え、だいぶ春めいてきました。けれどもまだまだ寒い日は続いていますね……。
 1年前のこの時期を思い出すと、4月から始まるゼミ活動に先駆けて、メーリスにて提出する課題に取り組んでいる真っ最中でした。その課題は昨年6月上旬に完成したホームページに掲載してあるのですが、その課題を見返すと、パソコンに向かって課題に取り組んでいる自分を思い出し、とても懐かしいです。
 今回のブログでは、現在私たちが卒業までの残り少ない時間に追い込まれながら取り組んでいる「2013年度長谷川ゼミホームページ」のコンテンツ&WEBページ制作について、私<あっこ>の視点を交えてお伝えします。
 
 活動の詳細をお伝えする前に、そもそもなぜ私たちが今WEBページ制作に奔走しているのか、その理由をお話ししたいと思います。
 そして話の大前提としてお伝えしなければいけないことは、現在私たちが活動報告の基幹として運営している「2013年度長谷川ゼミホームページ」は、3つ目のホームページであるということです。ゼミ活動が始動し、1番最初に制作し、運営してきたものではありません。私たちはこれまで、3つのホームページを、2回に渡って制作してきました。1回目に制作した2つのホームページは、昨年6月上旬に完成したSチームとNチームによる各チームのホームページで、3つ目となる現在のホームページは、SチームとNチームから新たにチームを編成し直した後に制作したものです。
 そして私たちが現在奔走している理由は、その現在のホームページを制作していた当初にたてた目標を達成するためであり、その目標をたてた背景には、2回目となるホームページ制作に至った過程が深く関連しています。私たちが2回目の制作に至った原因は、当時の私たちのゼミ活動に対する消極的な姿勢にありました。
 本格的なゼミ活動が始動した4月から、私たちはSチームとNチームの2つのチームに分かれて活動を行っていました。6月上旬に各チームのホームページが完成し、これが1回目のホームページ制作となります。しかし当時私たちは、状況は1人1人違いましたが、ゼミ活動に対して受け身の姿勢を構えていました。そして自分たちの受け身の姿勢に気づけずにいた私たちは、新たにチームを編成しAチームとBチームに分かれ、活動を始めました。同時に新たに運営するホームページを制作することとなり、完成したホームページが現在のホームページです。こうして私たちは、ホームページを合計3つ、2回に渡って制作してきました。
 新たなホームページを作る際、私たちはホームページのコンセプトを「卵」のデザインに込めました。「卵」のデザインには、当時の自分たちの活動に対する「消極的な姿勢」を「卵の殻の中に閉じこもっている状態」に例え、「自分たちの殻を破って生まれ変わりたい」という思いが込められています。このような思いを込めた背景には、先述した2回目のホームページ制作に至るまでの過程がありました。そのため、トップページに掲げた卵パックの画像では全ての卵が割れておらず、殻を破る前の消極的な姿勢を表しています。2013年度長谷川ゼミ生は院生と学部生合わせて12名であるため、パックの中にはゼミ生の人数を意図した12個の卵が入っています。
 そしてホームページのコンテンツを掲載する「Works」のページでは、トップページと同じく卵パックの画像を掲げており、新たなコンテンツのWEBページが出来上がると、パック内の卵にヒビが入り、割れた卵をクリックすると新たなコンテンツのWEBページへとリンクするようになっています。こうして、私たちは自分たちのコンセプトに対する思いを、徐々に割れていくパックに入った卵の変化に重ねました。それは同時に、「たとえホームページの卵を割ることができたとしても、積極的な姿勢を得たことにはならない」という長谷川先生の忠告を肝に銘じることでもありました。
 こうして、私たちは新たなコンテンツのWEBページを制作することを、「卵を割る」と呼んでいます。

  
2013年度長谷川ゼミホームページのトップページ(左)と「Works」ページ(右)の卵パック画像。
(2013年度長谷川ゼミホームページ <http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/> )。


 そして現在私たちが達成しようとしている目標とは、「Works」のページに掲げた「パックの中の卵を卒業するまでに全て割ること」でした。しかし、私たちは卒論を提出した1月上旬の時点で、まだ手を付けていない卵が7個残っていました。すでに割れた卵が2個、つまりまだ割っていない卵が10個の状態ですが、割っていない卵のうち、リンクをつなげていないコンテンツが3つ――「2013長谷川ゼミ1-3年授業振り返りホームページ」、「東京貼り紙マップ—舞浜駅編—ホームページ」、「2013年度夏季集中講義ホームページ」があったため、全く手を付けていないコンテンツは残り7つ、ということになります。そして卒論を提出し終えた後に行った、最後のゼミの授業だった1月15日のゼミにて、ゼミ生から残り7個の卵を割りたいという旨を長谷川先生に伝えたところ、先生からも「小さいコンテンツでもいいから全ての卵を割ること」と背中を押されました。それから私たちは1月24日に行った口頭試問の後、全ての卵を割ることに向けて、コンテンツを考え、制作スケジュールを立てていきました。
 7個の卵のうち、1つは前回の<薫>のブログ(「
フィールドワーク/自分を見つめて)でお伝えした「東京ディズニーシーカップルの振る舞い調査ホームページ」、そしてもう1つは「1年間振り返りレポート」です。「東京ディズニーシーカップルの振る舞い調査ホームページ」では、先月2月13日に実施した、千葉県浦安市にある東京ディズニーシーにおけるカップルの振る舞い調査をまとめています。カップルの振る舞いの記録をまとめ、調査の考察を掲載しました。そして「1年間振り返りレポート」では、1年間のゼミ活動全体を改めて各自が振り返り、レポートとしてまとめました。「東京ディズニーシーカップルの振る舞い調査ホームページ」は先月に完成し、振り返りレポートも文章を各自メーリス上で提出、添削を行い、先月の28日に完成形を書き上げました。そして、残る卵は5個となりました。
 その5つのコンテンツの内容は「2013年度長谷川ゼミ年表」、「2013年度長谷川ゼミ生紹介」、「長谷川先生紹介」、「CM制作」、「2013年度長谷川ゼミゆかりの地」と決めました。これら5つのコンテンツについて、先月の27日まで、各構成と内容をゼミ生全体で話し合って制作をしてきました。同月28日からは3月6日までに制作関連の全作業を終わらせることを目途に、ゼミ生全体が5つのコンテンツを割り振った4チームに分かれ、チームごとに制作スケジュールを組み、WEBページ制作を行っています。各チームの担当コンテンツとメンバーは以下の通りで、そしてどのチームにも属さないゼミ長<サラダ>は、バラバラに活動する4つのチームの活動状況の把握、同時に各チームへの助っ人として奮闘しています。4チームの担当は以下のようになります。
 
●「2013年度長谷川ゼミ年表」:<なっつ>、<もこ>
●「2013年度長谷川ゼミ生紹介」:<じーや>、<シャンクス>
●「長谷川先生紹介」「CM制作」:<あっこ>、<くぼっち>、<きぬ>
●「2013年度長谷川ゼミゆかりの地」:<薫>、<セニョール>
 
 「2013年度長谷川ゼミ年表」は、昨年2013年の1月下旬から始動したメーリス上での活動を皮切りに、現在までのゼミ活動を年表として振り返ったものです。私たちのWEBページ制作に対する呼称の由来において触れましたが、2013年度長谷川ゼミの特徴として、チーム編成が変化したことが挙げられます。そのチーム編成の変化と活動内容を年表上で照らし合わせることで、私たち2013年度長谷川ゼミ生がどのような1年間を過ごしてきたのか、ホームページを見てくれる人にわかりやすく伝えたいという思いから、このコンテンツが生まれました。また、「1年間振り返りレポート」と合わせて見てもらうことで、各ゼミ生のレポート内容をよりわかりやすく伝えることができるのではないかとも考えています。
 「2013年度長谷川ゼミ生紹介」は、その名の通りですが、2013年度長谷川ゼミに所属する学部生10名を紹介するコンテンツです。このコンテンツでは、活動を経ながら互いの受け身の姿勢を知っていった今だからこそできる、ゼミ生紹介を行うことを目的としています。ゼミ活動が始動した頃の印象、そして1年間のゼミ活動を経た今の印象などを、各ゼミ生について座談会形式で話し合いました。その座談会の模様をコンテンツとしてまとめ、ゼミ生を紹介します。
 「長谷川先生紹介」は、こちらもその名の通り、長谷川ゼミの担当教授である長谷川一先生を紹介するコンテンツです。これまでの活動を振り返りながら、私たち2013年度長谷川ゼミ生の視点から長谷川先生の紹介を試みます。
 「CM制作」は、2013年度長谷川ゼミ生が制作した2つの映像作品を公開するコンテンツです。その1つは昨年7月5日に明治学院東村山高等学校で長谷川先生が行った「CM制作」の模擬授業の際に、高校生の方たちが作る映像作品の作品例として制作し、模擬授業内で公開したものです。そしてもう1つは、映像を見る人に内容が伝わらないものとなってしまった作品例の映像の出来に納得ができず、そのリベンジとして先月ゼミ生が制作した映像作品です。模擬授業内で公開したものは私たちが所属する「明治学院大学文学部芸術学科」の紹介をテーマに、そして先月制作したものは「2013年度長谷川ゼミ」の紹介をテーマに制作しました。
 「2013年度長谷川ゼミゆかりの地」では、2013年度長谷川ゼミと関連がある場所を「ゆかりの地」と称し、私たちがこれまでの活動中どのような場所に訪れたのかを紹介するコンテンツです。ゼミ生が撮影した写真を載せたり、ゆかりの地を集めたマップを制作したりし、1年間の活動を活動場所から振り返ります。
 
 先月27日まで、以上5つのコンテンツの構成、内容についてゼミ生全体で話し合い、制作してきたのですが、その中でも私の印象に残っているものが「2013年度長谷川ゼミ生紹介」です。座談会形式で行った話し合いでは、はじめに当時自分たちがゼミ生についてどのような印象を抱いていたのか、以下の3点を振り返り、思い返しました。
 1点目は、SチームとNチームのチーム編成に分かれ活動していた当時、6月の上旬に完成した両チームのホームページに掲載している、各チームに所属するゼミ生の「プロフィール紹介」。2点目は、ゼミが始動する前に取り組んだ春休み課題「写真関心連想コラム」(*1)をもとに、同じく春休み課題として各ゼミ生が作成した「個人関心地図」(*2)。そして3点目は、その10名分のコラムと地図をもとに、両チームとも各ホームページのメインコンテンツとして制作した「チーム関心地図」(*3)です。 

(Sチームホームページ:<http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-s-n/index-s/index-s.html> )。
プロフィール紹介⇒「お店紹介」ページ
関心地図⇒「おしごと」ページからご覧いただけます。

(Nチームホームページ:<http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-s-n/index-n/index-n.html> )。
プロフィール紹介⇒「Profile」ページ
関心地図⇒「Works」ページからご覧いただけます。


 これらを振り返ると、SチームとNチームの時に互いについて言及した言葉からは、まだ互いのいいところばかりに目を向け、それぞれにゼミに対する足りない姿勢に気づけていない、ということが浮かび上がってきました。そして振り返り終えると、ゼミ生1人1人に対して自分がどのような印象を抱き、またそのゼミ生について考えてきたのかをざっくばらんに話していきました。
 私<あっこ>については、<シャンクス>からゼミが始まった4月当初は本当に何を考えているのかわからなかった、というコメントや、<じーや>からは現在の私に対して、私の卒論の題材である『家族ゲーム』をもとに、私が書いた人物相関図に対して、人物の相関がわかりづらかった、というコメントをもらいました。またゼミが始動する前に取り組んだ春休み課題である「個人関心地図」について、「<あっこ>の個人関心地図は表現が独特」といったコメントや、座談会中、私の書いた「個人関心地図」を見ながら「この関心地図に<あっこ>の何かが詰まっている気がする」というような、この地図の具体的な意味を理解するのに頭を悩ませ、言いにくそうにしながらも、懸命に言葉を探してくれながらコメントを頂くこともありました。


学部ゼミ生10名の第1回写真関心連想コラムを<あっこ>がまとめた「個人関心地図」。

 そう言われてみて自分の関心地図を振り返ると、正直自分でもこの関心地図で何を表したかったのかよくわかりませんでした。この関心地図に対するコメントだけでなく、ゼミ生が私自身に対して言ってくれたように、私はこれまでも長谷川先生から「<あっこ>が話していることは<あっこ>にしかわからない。それはそれで<あっこ>の個性でもあっていいのかもしれないけれど、卒論を執筆するためにはそれではいけない」、というような指摘を何度も受けてきました。卒論は感想文でもレポートでもなく、具体的な言葉を使って、問いを明らかにしなくてはいけないからです。この関心地図も、描いた当時は納得していたのかもしれませんが、実際は今こうして見返すと、自分でも自分の関心地図の意味がわからない事態に陥ってしまいました。個人関心地図を掲載しているページには、地図の意図を説明しているため、自分がどのような意味を込めていたのかはわかるのですが、その意図からは漠然としている印象を受けました。自分が思った以上に、自分が考えていることを誰にでも分かりやすく伝えることは難しいことなのだと感じました。また、先生が言っていた「<あっこ>にしかわからない」という言葉の意味は、卒論を執筆していた当時の場合、自分の感情に振り回されすぎていた私の状態でもあり、時が経つと自分でもわからなくなってしまうほど、漠然としている考え方の状態でもあるのだろうと思いました。
 
 この投稿にて私<あっこ>のブログ担当は最後となるのですが、最後をどう締めくくろうか考えたところ、ゼミ生紹介で気づいた、自分の漠然としてしまう考え方や伝え方を克服する機会として、自分が書いてきた今までのブログの中で1番と言えるぐらい、わかりやすい文章を書こう、という結論に至りました。そのため1回のブログにつき2度行う下書き文の添削において、1度目の添削から添削箇所がないほどの文章を書くと意気込んで臨みました。しかし、説明に穴があるところが多くあり、ゼミ生からはいつものように添削コメントを頂きました。また今回のブログだけでなく、1つの文章を書くだけで、これほど長い時間パソコンと向き合ったことは、ゼミに入るまでは無かったことでした。
 1年間ブログを書いてきて思うことも、「ゼミで書いた文章ほど書くことに集中したものはない」ということです。集中して書いてきた文章だからこそ、文章を読めば当時のことが思い出されます。しかし、1番最初に書いた自分のブログを読むと当時の様子は思い出すのですが、自分が思ったことに対してそう思うのはなぜなのか、今一つ自分を振り返ることができていない、幼い印象を受けました。ゼミ生としての文章を書く機会は終わりを迎えますが、終わってしまった後は自分でまとまった文章を書く機会をつくり、その時その時の自分のいい面も悪い面も冷静にみつめながら、その幼い自分から成長していきたいです。
 今回のブログではWEBページ制作についてお伝えしましたが、現在それと並行して今月13日からの2泊3日ゼミ卒業旅行の計画も進めています。計画はほぼ先月27日までに詰められたため、旅行当日のスケジュールが具体的に見えてきました。行先は四国・香川県で、瀬戸内海に浮かぶ本島にも訪れる予定です。
 
 読んで頂き、ありがとうございました。次回の担当は、夏合宿に引き続きゼミ卒業旅行を管轄する<なっつ>です!お楽しみに!
 
 
 <あっこ>
 
 
 
 

 
(*1)「写真関心連想コラム」…1枚の写真から自分の関心に引き付けて連想したものを題材にしたコラム。学部ゼミ生10名が1人1枚ずつ写真を提示し、全10回行った。
(*2)「個人関心地図」…第1回から第10回までの10名分のコラムを、回ごとに各ゼミ生がまとめたもの。まとめ方は絵、図など自由。
(*3)「チーム関心地図」…学部ゼミ生10名の「写真関心連想コラム」と「個人関心地図」の各10回分を踏まえて、SチームとNチームがそれぞれ制作したもの。各チームの関心地図のタイトルは、Sチームは「関心商店街」、Nチームは「N家のアルバム」。


 
posted by 長谷川ゼミ | 02:44 | 長谷川ゼミ(2013) | - | - |
フィールドワーク/自分を見つめて
 こんにちは、<薫>です。2月は首都圏でも2回の大雪に見舞われましたが、なんだかんだでもうすぐ3月ですね。我が家の庭の梅は既につぼみがふくらんでいます。開花が待ち遠しいです!

 さて、今回のブログでは、まず2月13日に行われたディズニーシーでのフィールドワークの様子をお伝えします。
 このフィールドワークは、ディズニーシーにおいてカップルが、パーク内でどのような足取りをたどってどのような行動をしているのかを調査するものです。バレンタインの期間に合わせたこともあり、カップルはいつにも増してたくさんいるだろうと見込んでいました。そして私は、このフィールドワークのリーダーとして、全体を取り仕切る役割を担っていました。
 口頭試問が1月24日に終わり、土日を挟んだ週明けからフィールドワークの本格的な準備が始まりました。そして1回実際に調査をしてみないとうまいやり方をつかめないだろうということで、2月3日にお台場にあるダイバーシティというショッピングモールにて調査の練習を行いました。ここを選んだのは、人が多い大型ショッピングモールであること、モール内のお店の1つ1つがディズニーシーにおけるアトラクションの代わりになるのではないかと思ったことなどの理由がありました。2人1組に分かれて買い物客をターゲットにして調査を行ったのですが、やはり想像していたよりも調査に手こずった組が多かったようです。平日のためあまり人がいなかったので、調査しているのをターゲットに気付かれてしまいそうになったり、距離の取り方がいかなくて、離れすぎて見失ったりもしたようです。私は<もこ>と一緒に調査の練習を行ったのですが、ターゲットを見失うことも気付かれることもなく、思っていたよりもうまくいったと思います。このときは私がスマートフォンを使って他の班と連絡を取り、<もこ>が地図にルートを書き込んでくれていました。私が少し目を離したときにターゲットを見失っても<もこ>が見失わずに見ていてくれて、逆に<もこ>が見失ったときは私が見失わないでいることができたので、うまく連携が取れたのではないかと思います。特に事前に作戦などは立てていなかったので、うまく息が合えたのだと思いました。途中で見失いかけたときは少し焦りましたが、ターゲットごとに行動を見て、ターゲットの関係をふるまいから予想し、考察することにも興味が持てました。練習終了後は、練習に参加していたゼミ生全員で集まり、実際にやってみて感じたことなどを共有し、本番に向けての注意事項などを確認することができました。
 その後、本番の2月13日まではゼミ生で集まり、調査後ホームページにどんなコンテンツを載せるか、調査当日のチーム編成はどうするかなどを話し合いました。また、足取りを地図に書き込む必要があるため、ディズニーシーの既存の地図ではなく、シンプルな地図も作ったりして、忙しくも充実した日々を過ごしていました。ホームページには調査した班ごとのレポートや、ターゲットごとの記録のページを載せようということになりました。当日のチーム編成は以下のようになりました。
1班:先生、<もこ>
2班:<まゆゆ>、<あっこ>
3班:<シャンクス>、<くぼっち>、<なっつ>
4班:<じーや>、<サラダ>
5班:<きぬ>、<薫>

 そして迎えた調査当日は、正直朝から少し緊張していました。前回の舞浜のフィールドワークでは、Bチーム全員でフィールドワークの準備を担当していましたが、今回はディズニーシーのフィールドワーク班というようなものはなく、責任者の私が実質1人で取り仕切るような形でした。私は何かを任されるとなるべく1人でやってしまおうとする悪い癖があるので、舞浜のフィールドワークのときのように、何人か集めてフィールドワーク班を作っても良かったかなと実は少し後悔していました。特に地図を作る作業が大変だったときにそう思っていました。そうすれば、いくらか仕事を分担して任せることができると思っていたからです。
 しかしそんな私の気持ちも吹き飛ばしてくれるほど、ゼミ生たちは準備期間から積極的に動いてくれました。特に本番の日は私も1人の調査メンバーとして参加していたので、調査中の各班の行動は完全にそれぞれの判断に任せるというスタイルを取っていました。しかしどの班も、中間報告で集まって報告し合った際に、リハーサルのとき以上にしっかり調査してくれていたので、私も自分の班の調査に集中することができ、安心することができました。
 ただ、やはりそれでも、調査後に全員で集まって報告するときはどう仕切れば良いか、などずっと考えていたので、調査が終わる頃には精神的にだいぶ疲れていたと思います。また、ディズニーシーをぐるっと合計3週くらい歩いて回ったので、肉体的な疲労感もいっぱいでした。調査中は、お台場の練習のときと同じように、カップルごとに行動が違ったり、逆に複数のカップルが同じルートを辿っていたりなど相違点や共通点が見られておもしろかったし、広さも規模もお台場とは全然違うので大変だなとも思っていました。帰宅してからはすぐに寝てしまいました。
 ディズニーシーで実際に調査してみて、多くのカップルが同じルートをたどっていることに気が付き、面白いと思いました。ディズニーシーは、パーク内に入場するとまず道が二手に分かれているのですが、左の道に歩いて行くカップルが多かったのです。私自身も何も考えずに歩くと、ついつい左の道に行ってしまいそうになりました。これはアトラクションの設置場所や景観のつくりなどを利用した、制作者側の意図によるものなのではないかと考えました。また、バレンタインが近いからカップルが多そうだ、と当初は見込んでいました。私は普段ディズニーリゾートに行かないので普段と比べてどうなのかはわかりませんが、全体的にカップルと友人グループの数が半々くらいのように思えました。ディズニーに詳しい<きぬ>によると、この日はカップルの数は普段とあまり変わらなかったそうです。バレンタイン当日ではなく前日だったとは言え、少し意外でした。
 そして、現在はこのフィールドワークをホームページにまとめている最中です。班ごとにルートを記した地図をパソコンで清書したり、調査時にメモした内容を添削したりしてページに載せています。また、班ごとに調査の感想と考察を記したレポートを書いてもらい、レポートページというコンテンツを作ってそこに載せる予定です。調査前は、地図の準備など誰にも頼ることをせずに、1人でやってしまったことが多かったのですが、調査を終えてゼミ生たちから「ホームページはちゃんと分担してやろう!」と言ってもらえてとてもうれしかったです。それに甘えてしまい、任せきりになってしまった部分もありましたが、そこは自分の反省点として受け止め、最後までこのフィールドワークのチーフとしての責務を全うしようと思っています。ホームページは近日公開予定です。公開を楽しみにしていてください!

 最後に、私が卒論を書き終えて、改めて自分を振り返ったときに考えたことを書きたいと思います。私は卒論を提出してからは燃え尽きたようになってしまい、卒論の見直しもせず、就活も再開せずに2週間ほどダラダラと過ごしていました。こんなに頑張ったのだから、少しくらい休んだってよいだろうという考えがずっと続いてしまったのです。ゼミ生たちで集まり、口頭試問のために原稿を読み合うなどの準備が始まって、ようやく私は卒論を見直し始めました。しかも、このときですらまだボーっとした気分は完全には抜けていなかったと思います。
 そして口頭試問を終え(口頭試問の振り返りはこちらをご覧ください)、その翌日に、私の転機となる出来事がありました。その日は高校時代の友人と会う約束をしていたのですが、ゼミのために休止していた就活をこれから再開するのだと話すと、既に就活を終えている彼は自分の経験談などを話してくれました。彼は、「自分が納得していないで、なんとなくもらった内定ならやめておけ」など具体的な就活のアドバイスをくれました。またそれだけではなく、「苦しんだ方が自分のためになる」「自分がやることには妥協しない方がいい」など、私がゼミで1年間かけて、先生や先輩、ゼミ生たちに気付かせてもらったことを彼からも言われたのです。私はゼミで1年間かけてやっと学んだことなのに、どうして彼は自分自身でこのような考え方を身につけられているのだろうと思いました。高校時代は自分と彼の間に差などないと思っていたのに、と愕然としてしまいました。しかし落ち着いてよく考えてみると、高校時代から私と彼の間にはもう差ができていたのです。私と彼は同じ軽音楽部だったのですが、彼はギターを、指から血が出るくらいまで一生懸命練習していました。そのおかげで彼はギターの腕をどんどん上げていきました。一方私は、せいぜい指の皮を少し痛めるくらいまでしかギターを練習せず、「それなりに」練習すれば満足していました。当然、昔も今も、私よりも彼の方がギターの腕は上です。このことに気付いた瞬間、ものすごく情けなくて悔しい気持ちになりました。彼から他の軽音楽部の同期の友人の話も聞いており、就活の際に同期の男子だけで何回か集まり、お互いにエントリーシートを見せ合って悪いところをビシバシ指摘し合うなど、まるでゼミのようだと思わせるようなことを何回かやっていたそうです。私はそれを聞いて、同期の友人たちに自分が置いて行かれていると思いました。彼らほど自分が成長できていると思えなかったのです。また、高校時代にギターを練習していたときも、ゼミ活動においても、そして卒論を書き終えて就活をしようとしている今も、私はどうして本気で頑張ることができないのだろうととてもショックを受けました。ギターもゼミも就活も、すべて自分がやりたいからやっていることです。この自分の不甲斐なさと、同期に置いて行かれている自分自身に、非常に悔しさを感じました。このときに、卒論を書き終えてから再びスイッチが入ったように思います。
 また、先日はソチオリンピックにおいてフィギュアスケートが大変な盛り上がりを見せました。私は、男子個人フィギュアスケートで金メダルを取った羽生結弦選手が、金メダルを取ってもなお、自分がミスしたことについてインタビューで「悔しい」と言っていることに多大な感銘を受けました。そのときは「さすが羽生選手だ、1位なのにまだ上を目指すような言葉が出るなんてすごいなあ」くらいにしか思っていなかったのですが、今思うと、彼の姿勢からは多くのことを学べるのだと感じます。彼は順位を気にするというよりは、自分自身の目標が明確にあり、自分がどれだけ強くなれるかを大切に考えているのだと思います。そして、それに向かって堅実に努力しているのだと思わされました。だから結果がついてくるのだと思います。私には、自分に助言をくれた友人と羽生選手が似ているように思えました。どちらも自分のことを客観的にしっかり見つめた上で、悪いところを改善する努力を行っているのです。それに比べて私は、ゼミに所属したばかりの1年前よりは少しましになったとは言え、やはりまだまだ自分を客観的に見ることが完全にはできていないのだと思います。自分のできたことに対して驕ってしまう部分がまだあります。自分のできたことを一切認めず、謙遜ばかりして生きていくのも、それはそれで自分のことを客観的に見ることができていないと思うのですが、私はまず自分を認めようとばかりすることから離れた方がいいと思いました。今までは事あるごとに「自分で自分を認めないと苦しさに押し潰されそうだ」と思っていたのですが、そんな甘えた考えはもう捨て、友人や羽生選手のように生きていきたいと思います。「それなり」ではなく、本気で何かをやらないと認められないのは当然だし、そもそも認めてもらうために何かをやるのではないとやっと気付けました。

 このように考えられるようになれたのは、ゼミ生や先生、先輩をはじめとする、周りの人たちのおかげでした。私にスイッチを入れてくれた友人もそうですし、途中から就活を休止してゼミに集中すると決めた私を理解して支えてくれた家族のおかげもあります。22年間生きてきてようやく周りの人の大切さに気付けましたし、自分も彼らのためになることを本気でしようと思えるようにもなりました。この1年間は本当に貴重な期間でした。卒業までの残りの期間も、最後までゼミ活動をしっかりやり遂げたいと思います!

 ここまで読んでくれてありがとうございました。次回のブログ担当は<あっこ>です。お楽しみに!

<薫>
posted by 長谷川ゼミ | 23:10 | 長谷川ゼミ(2013) | - | - |
私と水樹奈々さん
 みなさん、こんにちは。<くぼっち>です。2013年度長谷川ゼミ生は、去る2月13日、東京ディズニーシーでカップルがテーマパークにおいて、どのような振る舞いをするのか調査をする、というフィールドワークを行ないました。現在そのフィールドワークの調査をまとめたホームページを作成中です。更新しましたら、またこのブログやTwitterにてお知らせいたしますので、お楽しみに!
 
 さて、今回で2013年度長谷川ゼミ生である<くぼっち>のブログ更新は最後となります。今回は私の担当が最後なので、私が卒論において「友達親子」というテーマを考えるきっかけとなった人物である水樹奈々[i]さんに関して、ゼミでの1年間を通じて私の彼女に対する捉え方がどのように変化して行ったのかを書きたいと思います。何故、水樹奈々さんの事を書こうと思ったかというと、水樹奈々さんが自分の人生において大きな存在であり、ゼミの1年間を通じて彼女について考えたことは、私にとって非常に重要な転換点だったからです。勿論卒論についての話が、ウェイトが軽いというわけではありません。卒論の1年間振り返りについては、長谷川ゼミホームページの新しいコンテンツにおいて更新する予定です。また、2013年度長谷川ゼミホームページにおいて、口頭試問の発表振り返りレポートを更新しました。(http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-egg/egg-works/egg-works-frikaeri/egg-works-frikaeri.html)<くぼっち>の口頭試問については、そちらに記してありますのでご覧ください。
 
 私は中学2年生だった2004年から水樹奈々さんのファンです。自分の気持ち――特に落ち込んだ時には彼女の歌を聴いていました。どうしてそういう風になったのかは思い出せませんが、気が付いた時には、落ち込むといつもMDでもCDでもパソコンからでも彼女の曲を選んで聴いていました。また、受験などの人生の分岐点には、いつも勉強などに取り組む時のモチベーションの源となっていました。私が奈々さんの歌を好きなひとつに歌詞があります。特に奈々さん本人が作詞した歌詞は歌詞カードの表記と違う言葉で歌われています(どのように歌うかは、ルビがふられていますが)。例えば「涙」と表記されている所を「星」と歌ったり、「風」という表記を「声」と歌ったりしています。これは、ひとつの詞に二つの意味を込めているのだと思います。当時の私は、奈々さんの力強い歌声や彼女が作詞した歌詞に感動していました。「歌手でなくとも、こんな風にカッコいい歌い方してみたい」、「私もこんな風に素敵な詞が書けるようになりたいな」と、いつしか奈々さんは私の憧れの対象となっていきました。2010年に大学に入ってからはアルバイトでお金を稼げるようになったため、彼女のライブに定期的に参加するようになりました。この頃から水樹奈々さんのファンとSNSで交流したり、オフ会[ii]などに参加したりするようになり、私の周りに「水樹奈々さんが好き」という友人が沢山増えました。また2011年に奈々さんの自叙伝である『深愛』(水樹奈々著、幻冬舎)が出版されました。それを読んだ時は、自叙伝に書かれていた奈々さんの、本人より妹の方が自分の意見を持っていることを羨ましく思っている部分や、人の顔色ばかり窺って言いたいことを言えずに悶々としてしまう部分に、「私」自身を見てしまいました。『深愛』を読んで、「あー。奈々さんは、凄く私と似ているな。それでも声優史上初めて紅白歌合戦に出たり、東京ドームライブで会場を満席にさせるほど人気だったりして、自分と違ってカッコいいな」とますます憧れを抱くようになっていきました。
 長谷川ゼミの第1回ゼミ内発表は「自分の好きなものについて」というテーマでした。その時私は、水樹奈々さんの活動や人となりについて発表しました。当時は、ただの水樹奈々さんの紹介になってしまい、「彼女を好きな自分」の深い部分については全く触れない発表だったと今では思います。しかし、長谷川ゼミに入った当初は元々違うテーマで卒論を書きたいと思っていました。第2回発表では自分の書きたいと思っていた「言葉の影響」というテーマに無理矢理こじつけようとした発表をしたため、全く水樹奈々さんについて考えることはしませんでした。本格的に「何故自分は水樹奈々さんが好きなのか」と、奈々さんについて掘り下げて考えたのは、第2回発表が終わってから夏合宿の発表準備をはじめる頃でした。その頃、自分が人と上手く人と話すことができないから「言葉の影響」について卒論を執筆したいと思っていたことが分かり、それに気が付くと「それならば、卒論で調べるのではなく、もっと人と話せばいいじゃないか」と思いはじめました。そのため「言葉の影響」について卒論を執筆することを辞めました。そして、自分が「“好き”の壁を越えられない」ことを言い訳にして、奈々さんについて考えることから逃げていると思い、奈々さんについて改めて考えてみようと、夏合宿の発表の準備をしていました。卒論を執筆するには客観的な物の見方が必要になるため、卒論で水樹奈々さんを扱うのであれば、彼女を盲目的に好きでいる状態を脱する必要があります。そして、客観的に見るためには、一回彼女を嫌いになる覚悟が必要なのではないかと思ったのも、奈々さんについて考え直そうと思った大きな理由の一つでした。夏合宿発表では、自分が自信ない子供で、水樹奈々さんに対する憧れを持っている事や、自信のない自分が嫌で違う自分になりたいと思っているという事を話しました。その際、自分の生い立ちや家族の事、特に母親と自分の事を中心に話しました。そして自分が母親との関係で悩んでいる事と人から認められたい気持ちが非常に強い事が分かりました。ところが、ここまで分かっても、自分のその状態と水樹奈々さんの「何を明らかにしたいのか」を結びつけることができませんでした。それは最終的に卒論のテーマが決まって「友達親子」について卒論を執筆し始めても、卒論の内容と水樹奈々さんの事が結びつくことはありませんでした。しかし、夏合宿で自分が「何故水樹奈々さんが好きなのか」について話したことで、それを出発点に自分と母親との関係を考えるようになり、家族社会学について夏休みの間は勉強することになりました。そして10月に「友達親子」というテーマで卒論を執筆することになったのです。
 また、水樹奈々さんの事が卒論において結びつかなくても、卒論執筆の間に水樹奈々さんに対する考えは確実に変化して行きました。特に彼女に対する見方が大きく変わったのは、夏休み明けのことです。私たちが講読を行った長谷川先生の著書『アトラクションの日常―踊る機械と身体―』(河出書房、2009年)の「第7章 くりかえす」を担当していた<シャンクス>が、先生に講読の報告していた時でした。(講読についての詳細は『アトラクションの日常』の講読振り返りレポートを参照ください。 http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-egg/egg-works/egg-works-koudokufrikaeri/egg-works-koudokufrikaeri.html )「第7章 くりかえす」の部分では、庄野潤三の小説「晩年シリーズ」で描かれる、人里離れた山の上に住む老夫婦の日常生活を例に、「くりかえす」という動作に潜んでいる<アトラクション>[iii]を見ていく章になります。老夫婦の生活の中には「おいしい」「うれしい」などの幸福に満たされているような言葉が散りばめられ、そして繰り返し使用されています。しかし本書では、それは「同時に『苦痛』や『不愉快』なものの『消去』を土台とした上に築き上げられたものであり、故に『不安や狂気』の浸潤からはけっして逃れきることはできない[iv]」ものと記されています。それは、「肯定的なもの」を繰り返して、それらで埋め尽くし、「否定的なもの」を排除しようとすればするほど、「否定的なもの」は「肯定的なもの」の世界に常に寄り添っているような状態にあるという事なのです。
 私は、<シャンクス>の報告を聞いていて、ふと「これは自分が水樹奈々さんの曲を聴いている時と同じなのではないか」と思いました。私は嫌なことがあると彼女の歌を聴いて気持ちを落ち着かせていました。特に落ち込んでいる時は、ファンの間でも「応援ソング」と言われる物を聴いていました。「家族について悩んでいる自分」も「誰かに認めてもらいたくても、それを遂行する能力が無い自分」も全部、まさに「臭いものに蓋」をするように「憧れの」奈々さんの曲を聴くことで、そのような自分を見ないようにしてきたのだと気が付いてしまいました。自分と似ていて、なお且つ「成功」をしている水樹奈々さんと自分を重ね合わせることで、「コンプレックス」と向き合う辛さを緩和させたり、水樹奈々さんの歌を聴いて辛い思いを消したりしていたのです。そんな事をしても自分の根本的な部分は何も変わっていないため、「嫌な自分」を見てしまった時に再び同じことを繰り返してしまい、意味がありません。
 そして、自分が「嫌いな自分」と向き合いたくないから、そのような自分を見ないようにするための道具として彼女の歌を聴いていたのだと解った途端、急に彼女の曲を聴けなくなってしまいました。奈々さんの歌を「嫌いな自分」を見ないようにするための都合の良い道具にするというのは、彼女に対して失礼に思えたし、そんなことをしている自分が余計に嫌に思えたのです。11月中ごろまでは、奈々さんの曲の代わりに阿部真央[v]さんやKOTOKO[vi]さんやPerfume[vii]など、水樹奈々さん以外にもよく聴いていたアーティストの曲を中心に聴いていました。しかし、それも「アーティストが変わっただけで、やっている事は同じなのではないか」という考えがよぎることがありました。その時は、卒論の執筆が最優先させるべきであったため、その考えに対して具体的な答えを見つけませんでしたが、卒論執筆のモチベーションを上げるためにそれらの曲を聴いていました。
 再び奈々さんの曲が聴けるようになったのは12月に入ってからだと思います。きっかけは知り合いに上記の理由で、奈々さんの曲が聴けなくなってしまったことを話した時に「落ち込んだ時に気分転換をするのが悪いというなら、人類の9割以上が困ってしまうって、思わない?それは落ち込んだ気分を積極的に上げようとするいい方法だと思うし」と言われたことでした。その言葉の意味をじっくり考えた時、「嫌な自分を見ないようにするための道具」としてではなく、「嫌な自分と向き合う勇気を持つためのエネルギー」という形で奈々さんの曲を聴きたいと思うようになりました。そうして久しぶりに聴いた彼女の曲は、「誰かに甘えている自分」に気が付いて、落ち込んでいる私にそんな自分を受け入れる勇気をくれたような気がします。しかし、口頭試問までは完全に自分を受け入れる事ができなかったため、自分を受け入れ、そこから「嫌な自分に立ち向かう」にはもう少し時間がかかりました。それでも、水樹奈々さんの曲や奈々さんの代わりに聴いていた曲の聴き方が変わったのは、この頃からであるのは間違いありません。
 卒論提出後に文庫本版の『深愛』が出版されたと聞き、それを購入し、改めて内容を読み返しました。読み返した時、奈々さんは自分の人生を本に率直に綴ったことにより、何か変化があったのかな、と思いました。文庫本版のあとがきにて、3年前に出版したハードカバー版の『深愛』について、以下のように奈々さんが綴っているのが印象的でした。少々長いですが引用させていただきます。
 

かつて、ある人にこう言われたことがありました。「奈々ちゃんは、どこかで水樹奈々を演じているような気がする」(中略)ショックでした。私自身は、演じているつもりなど全くなかったからです。(中略)「私のすべてを知らないはずなのに、なぜこの人はこんなことを言うのだろう?」と、心中穏やかではありませんでした。でも、今にして思えば、私のことをいちばん知らなかったのは、私自身だったのかもしれません。演じていたとは、今でも思いません。(中略)ただ、私は”水樹奈々はこうあるべき”と自ら作り上げてしまった殻の中に、いつしか自分を閉じ込めていたのだと思います。その殻を内側から突き破るきっかけになったのが、間違いなくこの本でした[viii]

 
 この本のレビューの中に「ただの苦労話」と一蹴したものがありました。確かに『深愛』の中には、奈々さんが小学生時代いじめられていた事や、下積み時代の偏屈な歌の先生の事等、奈々さん自身これはあまり他の人には話したくないだろうな、というものもいくつかありました。しかし、自叙伝という形で多少美化されていたとしても、自分の生い立ちを率直に語るという事は辛い事であり、勇気が必要だったと私は思います。何故そう思うかというと、私自身がゼミ夏合宿の発表の時に自分の話をすることがとても辛かったからです。無意識のうちに「人から頼られるべき存在」でありたいと思っていた私は、人に弱い部分を見せてはいけないと思っていたので、特に家族の事に関しては他の人にあまり話したくはありませんでした。しかし、今までそのように思ってきたことが、結果的に自分を「ただの見栄っ張り」にしていました。また、人に話すという事は自分がその状況を理解していないと上手く話せません。そして、それが自分にとって辛い事や向き合いたくない事であれば、他人に話すという過程で自分が辛い思いをしたくはないと思ってしまいます。「誰にも自分の事を話さない」という手段で、私は自分の問題と向き合おうとしなかったのです。だからこそ、余計に誰かに自分の事を話すのが辛かったのだと思います。
 しかし、勇気を出してゼミ生に話をしたからこそ、見えてきたものがありました。11月25日に更新したブログ(「残り一か月/さよなら優等生」http://hajime-semi.jugem.jp/?eid=373 )において記した「自分はできる」という思い込みをしていた事や「自分が他人に対して甘えている」という事は、「水樹奈々の曲を聴く」という蓋によって、私が見ないようにしていたのだと思います。夏休みの発表で気づいた自分自身についてと、水樹奈々さんを好きな自分が、この時に初めてつながりました。そもそも夏合宿で「辛くても自分の話せる事を全部話そう」と思わなければ、奈々さんの事だけでなく、「友達親子」というテーマにも辿り着けなかったと思います。
 
 長谷川ゼミでの1年間は、私が今まで生きてきた23年間を集めても足りないくらい凝縮された1年間だったと感じます。何故なら今まで、ぼーっと過ごしてきた自分の人生が、いかにつまらない生き方をしてきたかというのを思い知らされ、卒論を通じて今までにないくらい自分のことについて考えてきた1年間だったからです。初めて自分が担当したゼミブログ(「磁石のように。そして、積極的に、柔軟に。」http://hajime-semi.jugem.jp/?eid=296 )を読むと、どこか澄ましている感じがしていて少々恥ずかしいです。ゼミブログや自分の卒論を見ていると、当時自分の気が付いていなかった事や、これからの自分に必要な事は何かを考えます。そして「これからも頑張ろう」と気が引き締まる感じがします。これから先、自分が何かで挫けそうになった時は、長谷川ゼミのブログや自分の執筆した卒論を読み返して、ゼミでの1年間を思い出し「私だってやればできるんだ。見栄張らないで、自分を賭けて挑戦し続けていこう」と自分を奮い立たせたいと思います。
 
 最後まで読んで下さりありがとうございました。私の更新は最後ですが、これからも長谷川ゼミをよろしくお願いします。
 次のブログ担当は<薫>です。次回もお楽しみに!
 
<くぼっち>
 
 
[i] 水樹奈々…シグマ・セブンに所属する女性声優。キングレコードレーベルで歌手活動も行なっている。2009年から5年連続でNHKの紅白歌合戦に出場している。公式サイトNANA PARTY http://www.mizukinana.jp/ 
[ii] オフ会…パソコン通信やインターネット上で活動するグループに所属するメンバーや、ネットワーク上の特定の掲示板・チャットなどによく出入りする人々が、実際に集まって行う会合のこと。ネットワーク上、すなわち「オンライン」に対し、現実世界を「オフライン」としてこのような呼び方がされている。(IT用語辞典e-Wordsより  http://e-words.jp/w/E382AAE38395E4BC9A.html
[iii] <アトラクション>…『アトラクションの日常―踊る機械と身体―』において、「日常生活の中に溢れるテーマパークさながらのスペクタクルな仕掛け」の事をそのように呼称している。「揺られる」「乗り込む」「くりかえす」などのように日常生活で行なう振る舞いから、身体の主体性が<アトラクション>に取り込まれていく様子を論じている。
[iv] 長谷川一『アトラクションの日常―踊る機械と身体―』p.162(河出書房、2009年)
[v] 阿部真央…女性シンガーソングライター。2009年1月21日、アルバム「ふりぃ」にてメジャーデビューした。公式サイト http://abemao.com/
[vi] KOTOKO…読み:ことこ。札幌のクリエイター集団「I've」に所属していた女性シンガー。現在は「I've」から独立し、2011年に設立した自身のオフィス“オルフェコ”で歌手活動を行なっている。KOTOKO公式サイト http://www.whv-amusic.com/kotoko/index2.html
[vii] Perfume…のっち(大本彩乃)、かしゆか(樫野有香)、あ〜ちゃん(西脇綾香)の女性三人組によって構成される、テクノ・ポップユニット。Perfume公式サイト http://www.perfume-web.jp/
[viii] 水樹奈々『深愛(文庫本版)』p.263-p.264(幻冬舎文庫、2014年)
posted by 長谷川ゼミ | 15:48 | 長谷川ゼミ(2013) | - | - |
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