明治学院大学 文学部芸術学科 芸術メディア系列のゼミです。
週に3回のペースで活動内容などを報告していきます!
中身


こんにちは、<チャーリー>です。私達長谷川ゼミ8期生は、今月の1月11日に無事卒論を提出し、卒論の執筆活動は終了しました。卒論執筆が本格化した昨年の秋から提出までの数カ月間をふりかえると、駆け抜けるような速さで過ぎていったように感じます。卒論提出日を遥か先に感じていた当時を思い出すと、どうにかこうにか卒論を提出できたことにたいして感慨深い気持ちになります。しかし今の私には、それ以上に自分の卒論の内容や取り組み方への後悔や反省のほうが圧倒的に大きく感じています。
今回のブログでは、その後悔と反省から見えた自分の物事への取り組み方に関してのお話をします。

 私の卒論は、「『学校剣道』において『成長』は、どのようなものであると語られているか」ということを、雑誌『月刊剣道日本』を調査資料にして探ろうとするものでした。私は、ゼミ内の卒論提出日であったクリスマスの3日前に、なんとかすべての雑誌に目をとおすことができました。しかし、その次の段階である言説を論文に組み込むという最も肝心な部分で、私は大きくつまずいてしまいました。
“『月刊剣道日本』から「成長」をみる”という抽象的な方向性は定まっていたものの、具体的になにをどうすればそれが可能になるのか、ということが全くみえていませんでした。なぜなら、「剣道」から「成長」を見よう、という私の「切り口」があっても、雑誌に書かれていることはあくまで「剣道」のことでしかなかったからです。そのために、そもそも「成長に関する言説」というものがどれなのかということを選別することもできず、資料の前に立ち尽くすことになりました。
このような状態であるにもかかわらず、「『剣道』を『剣道』として捉えるのでは、ただのオタクと変わらないのではないか」という決めつけがあったので、私は雑誌『月刊剣道日本』の内容からいきなり「成長」をみようとすることをやめませんでした。見えない「成長」を捕まえようとしては、これでもできないあれでもできないと試行錯誤しました。視点や方法を変えながら、手元にある資料を何度も読み直しました。そして、「これなら『成長』が見えるかもしれない」と思えた方法をみつけては、その方法で整理したり書き進めたりしてみました。しかししばらくすると、自分が何をしているのかわからなくなって、きっとこの方法ではうまくいかないのだろうと手を離し、再度資料を読み直しました。そうこうしているうちにも時間は刻一刻と過ぎていき、その焦りからいろいろな方向から記事を見ては書き進めましたが、着眼点や論点が、時代や記事ごとにバラバラになってしまいました。それではいけない、と無理矢理ひとつの方法論を捏ね上げて、それに従って強引に書き進めることもしましたが、やはり途中で行き詰まり、最後までやり通すことができませんでした。
本論への取り組み方を二転三転し、迷っていたこの時点では、雑誌『月刊剣道日本』から「成長」に関する言説を読み解き分析することは、私には不可能でした。それなのに、「できない」という現状を認めず「もっとも良い本論への取り組み方」を探すことに腐心し、「絶対にあきらめない」と必死になりました。それは、「適切な方法」にさえ自分が辿り着ければ、あとは道が開けるのではないか、という甘い考えによるものでした。その結果、いつまでも卒論を書き進めることはできませんでした。このままではどうやっても終わらない、ということに気づいて苦しくなったころ、ゼミ内の最終提出日を迎え、とうとう脱稿できないままの提出となってしまいました。多くのゼミ生が卒論を完成させているなか、私は完成の目処すら全く立っていない状態でした。

 今迄の一連の態度が間違っていたと気づいたのは、最終提出で送付されたゼミ生の卒論のなかの「反省」を読んだときでした。そこには、「もっとこうすればよかった」「これが足りなかった」というような「あと一歩」及ばなかった点を挙げるようなものだけでなく、問いや調査資料、あるいはアプローチの仕方といった、卒論の中心的な「幹」の部分にたいしての反省もあったのです。これを見て、ハッとしました。私が想像していた「反省」とは前者だけで、後者のような「幹」に対する問題を「反省点」というふうには認識していませんでした。つまり、これが大きな間違いだったのです。たとえ卒論の「幹」にかんする問題に気付いたとしても、卒論本提出まで2週間を切っている時期は、今更その問題を修正するような段階ではありませんでした。残された時間を考慮して、そのなかで自分に出来ることをして、なんとしてでも卒論を書き上げるべきでした。私はただ、「できない」という現状をどうにかひっくり返そうと躍起になっているだけで、現状でも出来ることをしようとしておらず、そのために卒論がいつまでも書けなかったのだとわかりました。
卒論の現状を考えたら、「今の自分に、『成長』をみることはできないな」と思いました。そして、「『剣道』の指導のブームなどを見たところで、一体何の意味があるのだろう」と心のどこかで思いながらも、指導者が直接語っていることや、記事が間接的に重要なものとして語っていることをそのまま「剣道」として捉え、時期ごとに整理することにしました。すると、たとえば「練習」や「強くなること」に比重が置かれ、練習の方法や内容を盛んに語る時期もあれば、部員たちの態度やふるまいなどをどう教育するかといったことを多く語る時期もある、といった明らかな違いがありました。そしてその時期ごとに登場するキーワードや指導の方法は違いがあるものの、その先にある「部員に身につけさせようとすること」にはあまり変化がないことなどがわかってきました。今迄どうやっても見えなかったいろいろな特徴や変化が、はっきり見えてきた瞬間でした。これらの発見からは「成長」への道が開けたようにも感じましたが、それは提出の前日のことで、実際には何ひとつ間に合わせることができませんでした。
結局、言説分析は「あの記事のあの言葉が例としてわかりやすい」といくら思っても、今から分析して書き起こす時間もなく、今迄気まぐれに書き起こした言説をかき集めて、ほんの少しの解説を加えただけでした。考察もほとんどできず、その本体以前の章には私の主観を書き並べたような部分がいくつもありましたが、諦めるほかありませんでした。大慌てで印刷して「提出」を完了させたあとに、多くの誤植や抜けなどを見つけました。形式的な「卒論提出」を達成したにすぎませんでした。

 必死に試行錯誤することをあきらめなければ、なにかに辿り着けるような気になっていました。「ちゃんとした卒論を書くんだ」という意志を持ち続けていれば、最終的にはある程度「ちゃんとした卒論」を仕上げることができると思っていましたが、それは大きく間違っていました。「気合充分」で事に当たれば「いい結果」につながる、という考えと根本は同じようなもので、非常に自己満足的で自分勝手な考え方でした。

 必死に目標にしがみつくような私の態度は、到達までのプロセスの一切が抜け落ちていて、肝心な「中身」が空っぽでした。「中身」とは、当たり前のひとつひとつのことを積み上げていくような、着実で誰にでもできる作業です。それをどこまでも軽視して怠っておきながら、目標に到達できるはずもありませんでした。そんな「中身」のない私の取り組みは、そのまま「空っぽな卒論」という目にみえる形になって表れました。そしてこのことは、決して「あと一歩が足りなかった」というような惜しい失敗ではありませんでした。「結果が悪い」ということは、その過程が不充分あるいは不適切であったことを示していると思いました。そして「中身」というのは、決して「頑張った」「必死になった」といった感覚的で自分基準のものではなく、これまでの自分の選択や行動といった具体的なものによって形成されるのだと思いました。

 夢見がちで足元が疎かな私の態度や行動は、今回の卒論に限らず、きっと他の多くのことにも言えるのだろうと思いました。私は「自分がなにをして、なにをしなくて、その結果なにができて、何ができなかった」という冷静な振り返りをすることが苦手で、「必死になった」「よく考えた」「何回かやり直した」などという感覚的で抽象的な回答をしがちです。さらに言うと、結果にかかわらずたいていのことは、「自分なりには頑張った」とまずまずの好評価をつけていました。
私はよく「<チャーリー>が頑張っているのは、よくわかるよ」と、周囲の人から言われてきました。この言葉は、私の熱心そうな姿勢を評価している場合もあれば、失敗や空回りをしているとき、どうしようもない慰めの言葉として「頑張り方」の不適切さを間接的に指摘していることもありました。しかし私は、「頑張っている」ことを盲目的に「良いもの」だと信じていたので、自分の取り組み姿勢自体を「頑張っている」と表現されたことにたいしてうれしく思っていました。そして自分の取り組み方が「正しい」のであれば、「悪い結果」を「良い結果」へと変えるまでにはきっと「あと一歩の差」しかないのだろう、とどこか惜しい気持ちでいました。前者はともかくとして、少なくとも後者にかんしては、「頑張り」が「結果」となんら結びついていない状態に対して向けられたものであることから、その「頑張り」を評価しているはずがありませんでした。そんなことにも気づかず、私は自分の姿勢だけでなくおこないまでも無条件に良いものだとみなし、「いつかきっとうまくいく」と能天気に夢見ていました。自分が「結果を出すにふさわしい中身を実際に行っていなかった」ということは想像もしませんでした。

 今になってわかることは、「空回りばかりする」というのは、不器用だとかそういう問題なのではなくて、肝心な「中身」がないからだということです。今迄の私がしてきた失敗や空回りの大半は、目の前にあるものや自分がすべきことにたいして、等身大で着実な作業をしなかったことに起因するのだと思いました。そしてその努力をしない代わりに私がしていたことは、その積み重ねのはるか上空にしかない「結果」や「成果」を得ようと手を伸ばしてバタバタと足掻くことでした。
と、いくら頭で思ったところで、行動として手を動かさないことには今迄と何も変わらないので、物事の大小や自分の興味関心の強弱にかかわらず「手を動かして進める」ことに尽きると思いました。


最後までお読みいただきありがとうございました。次の担当は<パラサウロロフス>さんです。お楽しみに。
 

posted by 長谷川ゼミ | 23:59 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
人生のびしろだらけ
 こんにちは。<スウィート・チリ>です。
 1月11日、ついにゼミ生全員が卒業論文を提出しました。このブログはその翌日に書いています。これまでの睡眠不足を取り返すかのように存分に眠りましたが、それでも体中からだるさが抜けずにいます。まだあまり実感がわかず、何もしていないという状況がふしぎに感じられて母の真似をして今までやったことがなかった編み物に手を出しているような状況です。また、「卒論が終わったら絶対に買い物をする!」とずっと決めていましたが、いざ街に出てみると何を見ても自分が何を欲しいのかまったくわからず、結局何も買わずに帰ってしまいました。「購買欲、作られていた…!」と実感したできごとでした。

 さて、話は変わりますが、わたしは卒論を提出してから、普段はあまり使わないSNSに「卒論をやり遂げた」ということを投稿しにいきました。SNSには「こういう遊びをした」だとか「こういう努力をした」といったような「アピール」はしすぎることはよくないと思っていますが、提出直前の約2か月間は、遊びやコンサートなどの誘いを断ったり、バイトの繁忙期にもまったく働かなかったりと「卒論」を理由に多くのひとと会わずにいたため、報告もかねて、という気持ちで少しためらいながらも投稿しました。その投稿をみたひとたちは、みんなわたしに「お疲れさま」だとか、なかには「おかえり」などとまで声をかけてくれるひともいました。
 しかしそういう声がかかるほど、だんだんと「やっぱり投稿しなければよかったかもしれない」と恥ずかしくなっていきました。その羞恥心の原因を考えたときに、SNSでわたしが今回「がんばった」ことだとして発信した気持ちは、本当は「今までほとんどがんばったことがないから、少しがんばっただけでも『がんばった』気になっている」だけに過ぎないのかもしれないということに気がつきました。

 わたしがいままでどれほど「がんばって」こなかったのかということを、年末に母がわたしの努力を父に伝えようとしたときに言っていた表現で実感しました。母は、「<スウィート・チリ>、がんばってる!だって部屋をのぞいても寝てないもん!」と、言っていました。そうなのです。わたしの「がんばり」は、「やるべきことから逃げて、日中や夕方から眠っていない」だけで、認められるほど低いところにありました。これまでは、やるべきことがあっても部屋に籠って「勉強しているポーズ」をとりながら眠ってしまい、母親から怒られるようなレベルでしかがんばれていませんでした。大学受験、就職活動、もっといえば定期試験のひとつひとつは、周りからみても、自分にとっても「がんばった」とはとても言いきれるようなものではありませんでした。それでも今回の卒論に関しては、気が抜けてしまったことは何度もありましたが、ただ「起きている」ということだけではなく、これほど長い間集中したことは初めてでした。些細な変化でしたが、これはわたしの中ではとても大きな変化に思えました。
 この些細な進歩を感じたときに、「わたしの努力のレベルは最低限のもので、いつもがんばっているひとからすれば、このくらいの努力は普通のことだ」ということに気が付きました。さらに言えば、きっとこれしきのことで喜んだり、ましてやアピールしたりすることはないだろうと思いました。そう考えると、わたしがとった行動はとても恥ずかしいことでした。普段がんばっていない分、「のびしろ」が多い分、少し進むとそれがとても目立って見えてしまったのです。ですが、そうして少しの変化を「努力した」と手放しで認めてしまうと、「のびしろ」はいつまでも伸びることはなく「しろ」のままでしかないのだとも感じました。

 このことを考えて、先生が以前わたしたちに「みんなできるだけの力は持っている。けれど、その力を持っていることとそれを活かせることはちがう」というようなことを言ってくれていたのを思い出しました。
 わたしは、卒論執筆で自分のもっている力を活かすことができたのでしょうか。上の文章で「これほど長い間集中したことは初めて」だったと記述しましたが、実際には気が抜けてしまったときがたくさんありました。自分の卒論に対する熱量を維持しつづけることができなかったのです。そして最大の失敗は、自分の力がどれほどのものなのかも把握しきれなかったことでした。実際に卒論に関しては、第1稿の提出である12月25日は脱稿が目標で、この日以降は提出や体裁にかかわる細かい事務的な作業が数日単位で設定されていました。それにも関わらず、わたしはその12月25日以降も、文章を完成させなければならなかった12月31日にも、本文を書き続け、それどころか最終稿を提出するはずであった1月8日になっても、本文を書き終えることができていませんでした。これは、それまでにきちんと計画しながら作業を進め、切り捨てるところは切り捨てる決意をして、決められたスケジュール通りに進めることを優先すれば、絶対に防げたことでした。
 他のゼミ生たちと同じように、わたしも20万字ほど書き溜めた卒論の「材料」がありましたが、そのすべてを自分のなかで処理しきれていませんでした。それにも関わらず、わからないことが生まれると、参考文献や題材に手を伸ばして新しい情報を増やして考えようとし続けていました。それは12月25日を過ぎてからも変わらず、最後まで「まだ手にない何か」に執着していました。ですがこうして前の段階に執着し続けることはつまり、次の「整理」して「まとめる」という段階がどんどんおろそかになるということでした。
 わたしがするべきであったことは、手元にある情報や残された時間を考えて、それらを最大限に生かすような方法を探し、その方法にのっとって作業を進めることでした。わたしは自分の力を活かすどころか、自分の力すら把握できてないまま最後を迎えてしまったのでした。「今の自分の力量で完成させることのできる限度はここまでだった」と割り切ることも、期限までに卒論を作り上げることには必要なことでした。

 今までがんばってきたことが少ないわたしは、まだまだ「しろ」のままの「のびしろ」がたくさん残っています。これは卒論で終わったことではなく、いままでずっと努力の余地を残したままにしてきたように、これからも伸ばす必要は続いていくものだと感じました。人生は「のびしろ」だらけです。この「のびしろ」たちを、人生のうちで精いっぱい伸ばすことができるようにがんばりつづけなければならないんだ、と強く思った機会になりました。
 からだが覚えているうちに、いまは編み物に向けているこの「がんばれる力」をなにかもっと役に立ちそうなことに注ぎたいと思います。

 つぎの投稿は<チャーリー>さんです!
posted by 長谷川ゼミ | 09:28 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
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