明治学院大学 文学部芸術学科 芸術メディア系列のゼミです。
週に3回のペースで活動内容などを報告していきます!
変わっていく

 

こんにちは。〈ミルクティー〉です。

2月に入り、テストやレポート期間も終了し、最後の春休みへと入りました。つまり学生生活の残された時間もわずかということです。私はというと、卒論執筆に打ち込んで働けなかった分を取り戻すかのように、連日アルバイトをしています。

 

自分の大学生活を振り返ると、4年生の1年間は、大学生活の中で1番濃い時間だったような気がします。就職活動が解禁された3月頃には、毎日のようにエントリーシートに追われながら、面接対策や、SPIの勉強をしていました。

それと同時に、ゼミも始まったので、就職活動とゼミ活動の両立をしていました。夏休みに行った夏のサブプロジェクトのラジオ企画でも、ゼミと就職活動について話していたことを思い出します。就職活動がひとまず落ち着いたと思えば、息をつく暇もなく卒論やゼミのことで手一杯になったような気がします。

 

卒論を書いている時は、本当に嫌になることが多かったことを覚えています。卒論を書いている時の息抜きは、何かを食べること以外にはありませんでした。手がパソコンから離れると、驚くほど無意識にお菓子に手が伸びてひたすら食べてしまいます。そのおかげで、体重が増えてしまいました。3月までに増えた体重をどれだけ戻せるかが今の私の最大の課題です。

 

逆を言えば、「3月までに体重を戻す」という課題を自分に課せることができるくらいに、今時間が有り余っているということが実感できます。この1年を振り返ると、常に時間と緊張感に追われているような切羽つまった感じがしていました。現在はそれから解放され、まだ4月の心配をするのも早いこの23月は、時間がないようで、思った以上に時間があります。今までの私なら、この時間でひたすら家にいることを選んだと思います。しかし、今はそれが少しだけ怖く感じます。なぜなら、糸が切れたように「何もしない」状況にすぐに順応してしまいそうだからです。

 

ゼミ活動を通して、自分のなかで「少しだけ強くなった」と思うことがありました。月1回の発表やゼミ生との話し合い、卒論のための調べもの、雑誌の言説の収集などを行い、卒論提出の日まで、逃げずにひたすら執筆し続けてきました。そのなかで、具体的にと言われるとうまく言葉にできませんが、自分が感じる範囲で今までとは違う自分に出会えた気がしました。しかしいまは、そうやって出会えた新しい自分がこのまま歳を重ねていくにつれて、消えてしまいそうな恐怖があります。

 

11日、自分の気持ちも考え方、体調は変わっていきます。それは、必ずしもいい方向とは限りません。悪い方に変わっていくのは、良い方に変わるよりも簡単で、本人が気づかないような速さで悪い方へ落ちていくような気がします。それに気づけるのも本人しかいません。なぜならば、周囲は悪い方向へ落ちていることに気づいても注意はしてくれないからです。むしろ「落ちるところまで落ちればいいのに」と思っているかもしれません。そう思うと、ゼミ生といろいろな話し合いをしたり、相談や助言をし合えたこの1年は貴重な1年間でした。

 

そうやって、1年間自分の中で積み重ねたものが消えるのは積み重ねる時間よりももっとずっと早いのだと思います。そう思うと、アルバイトや遊びの間の時間をうまく使って、今の自分よりもさらに成長できるようなことに時間を使う努力をする必要があると思いました。ブログを書いている時点は、何を具体的にとまで考えついていませんが、今まで知れなかったことを知ることができるようなことをしたいです。

 

余談ですが、夜型体質を変えることも今後の自分のためにやりたかったことの1つのことです。社会に出る4月までにきっちり訓練したいと思います。

 

以上、〈ミルクティー〉でした。

次回の担当は、〈さとうきび〉さんです!!

posted by 長谷川ゼミ | 03:14 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
段取りを立てる大切さ
みなさんこんにちは。〈うさぎ〉です。先月の1月27日(金)には、卒論の口頭試問がおこなわれました。ゼミ活動における最後の関門を全員が無事突破することができ、ほっと一安心です。しかし、このことは同時に公式なゼミでの集まりが最後であることをも意味します。それに対してわたしは、まだあまり実感が湧かないのですが、なんだか寂しい気持ちでいます。

さて、今回のブログでは、この口頭試問についてお話したいと思います。わたしたち長谷川ゼミでは、毎年公開形式での審査としてこの口頭試問がおこなわれています。この審査は、まずゼミ生が自ら執筆した卒論についての発表をします。長谷川先生から質問をいただいた場合はそれに回答し、最後に長谷川先生から講評していただく、というものです。この審査が公開形式であるために、主査の長谷川先生はもちろんのこと、まわりのゼミ生や、観に来てくださった先輩方からの視線を受けることになります。今まで自分の決めた卒論に関するテーマや進捗に関する発表は毎月のように経験してきましたが、口頭試問はそれらのどの場面よりも緊張するものでした。自分の執筆した卒論を可もなく不可もなく振り返ることは、「自分で」書いたものだからこそ難しくもありました。

わたしは、「雑誌『FOOL’S MATE』における「ヴィジュアル系」イメージの成立と変遷??Xから名古屋系、ゴールデンボンバーまで」という題をつけ、「ヴィジュアル系」を題材とした卒論を執筆しました。口頭試問の準備にあたり、提出した自分の卒論を読み返すと、卒論に対する不足点が見えたとともに成長できた点も発見することが出来ました。

さきほど述べた毎月の発表では、自分たちの卒論のテーマに関する先行研究で明らかになっていることを調べ、それをもとに自分自身で「問い」に繋がる疑問点を洗い出す、という作業をおこなっていました。わたしは過去の自分の発表を振り返ると、この作業を適切におこなうことが出来ていたとは言えません。卒論の題材として扱う以上、これまでのような「ファン」という立場から抜け出して、「ヴィジュアル系」を客観的に見つめ直す必要がありました。しかし、わたしはさまざまなアーティストのプロモーションビデオを見て主観的な類型をしたり、まったく関係のないことと関連づけて共通点を挙げてみたりと、的はずれなことを続けて時間を浪費していました。

そのことを長谷川先生から指摘され、先行研究への取り組み方を自身の議論に結びつくようなものに改めました。基本となる知識をひとつひとつ身につけたおかげで、「的はずれ」な知識が活きる場面もありました。たとえば、1990年代当時は暴走族をはじめとして「不良」という存在が外見だけで判断されるという風潮がありました。当時の「ヴィジュアル系」のアーティストは、髪を逆立て色鮮やかな衣装を身にまとい、「鬼メイク」と呼ばれる派手な化粧をほどこしていました。そのため、暴走族などと同様のものと見なされ、「不良」というイメージが持たれていたようでした。これは1990年代の社会的な風潮と結びついているため、「ヴィジュアル系」全体に共通するものとは言えません。発表のなかでは、現在活動するアーティストを含めた全てに言えることだと主観的に述べていた点で安易でした。しかし、このような「ファン」としての感覚をもとに探り進めていったことは、先に述べた当時の風潮を知る手がかりのひとつになったので、無駄ではなかったと思います。

ただ、アーティストに比重を置いて勉強を進めてしまったことで、自分の卒論において重要な観点であるジェンダー論についての勉強やファンとはどういうものかということへの理解が不十分になってしまいました。ゼミでの1年間で、もっと時間の使い方を考えて過ごすべきだったと思います。このように思うのは、ゼミ生全員でおこなったプロジェクト活動の経験があるからです。そこでは、全体のスケジュールを考えてから実行までの段取りを立てるという手順がありました。この取り組み方を身につけたからこそ、ゼミ生としての1年間の段取りを自分自身で立てるということが必要だったのだとわかりました。

今後もなにかに取り組むときは、ゼミで学んだ、「全体を見通すことの大切さ」と卒論での反省点を活かしていけると考えています。そして、残りの大学生活を有意義に過ごしたいと思います。このブログひとつとってみても、日々気づくことがたくさんあります。ちなみに社会に出るまでの残された2ヶ月間は、「思う存分ヴィジュアル系のライブに参加する」ことと、いままで日本から出たことがないので「海外に行って知らないものに触れる」ことをしよう!と決めています。

次回の担当は、〈ミルクティー〉さんです、お楽しみに!!
posted by 長谷川ゼミ | 14:38 | 長谷川ゼミ(2016) | - | - |
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